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img034  マノン 小林紀子バレエ

2011828

オペラ劇場(東京)

マノン:島添亮子 デグリュー:ロバートテューズリー

レスコー:奥村康祐 レスコーの愛人:喜入依里

ムッシュGM: 後藤和雄 看守:冨川祐樹

 

夏のバレエシーズンのファイナル、フィナーレにふさわしい公演であったと思う。マクミランのしっかりした三幕の全幕バレエを日本のバレエ団で、日本にいながらにしてロバートをむかえて観ることができたなんて、わたしにとってはこの上ない幸せだ。この一瞬のために、心を悩ませて、準備して、思い続けた数ヶ月が今日終わった。覚悟の上ではあったけれど、終演後に襲ってくるこの切なさの嵐を今は耐えて耐えて、通り過ぎていくのを待つしかない。感謝も幸福も感動も強すぎると心を壊してしまうようだ。

 

あまりに思いいれの強すぎる作品にロバートが出演すると、彼の動きばかりが気になって、他の人のパフォーマンスが目にはいりにくいのは大きな難点だと気づいた。せっかくの小林のチャレンジであるこの大作をどんなふうにダンサーたちが演じたのかをもっとじっくりみたかったなと思う。できることなら、もう一度、同じメンバーでやってくれたらと思うけれど、ロバートが出ている限り他の人には目がいかないし、ロバート以外のダンサーのデグリューなんて受け入れられないし、これは困ったものだ。ロバートが登場するまでに踊る乞食たちの踊りは、昨日も今日もちゃんとみれてよかった。乞食のリーダーは前にみたことはないかと思うけれど、とても器用に演じており、主人公二人の次によかったのではと思う。ダンシングジェントルメンは、わざとなのかお化粧がちょっと濃くて、わたし的にはお楽しみどころだけどちょっとはずしたなと思った。この人たちは、三幕で看守の役もやっているとこのバージョンではじめて知った。メインのドレスを着た娼婦は、高橋さんや萱島さんなど中堅どころのしっかりしたダンサーがかためており、安定していて演技的にもよかった。ムッシュGMの後藤さんは、もっと踊る役で見たかったけれど、こういう癖のある役をやってもいける人なのだと知った。看守の冨川お兄ちゃん(祐樹君)は、もともとがおとなしい顔立ちなので、こわくて暴力的な看守のイメージとはなんとなく違っており、実はすごく残酷なマノンをレイプするシーンはちょっと弱かった。

 

島添さんは、昨日に続いて、連日の疲れもみせず少しも衰えることなくマノンを演じきっていた。昨日は、見ているこちらとしては、彼女がこんな役を演じていることにただただ、驚くばかりであった。本日、少し冷静になってみると、やはり初役の固さが難解なパドドゥの中には残っているかなと思った。これは、経験からしても元々のバレエ的な能力からしても当然なのであるが、完全にパートナーであるロバートのリードに身をまかせて踊っており、ところどころでロバートが全体のバランスやスピードを調整しているなと感じたところがあった。マクミランの振り付けは、音楽にきれいにのれていないと途中で破綻をしてしまうので、いかに音楽的に動けるかが重要であるが、パドドゥの中でも特に動きが激しい回転やリフトにうつる動作は、彼が勢いをつけて島添さんを動かしているのだなと思った。基本的には、とても自然に流れていたのだが、島添さんが、もっと回を重ねて経験をつんで、この役を楽しんで踊れるようになったなら、もっとのびやかで、軽く、美しいパドドゥがつむいでいけるだろうなと思う。マノンという役を今回で終わらせずに、彼女のレパートリーに加え、是非是非深めてほしいものだ。世界で活躍する実力のある日本人バレリーナは近年数多くなってきたけれど、こうして日本の地で、マクミランを演じることのできる日本人ダンサーがいることを大切にしたい。

 

ロバートがデグリューを演じる姿を今日も観ていることが現実から遠く離れているような感覚に陥りそうだった。自分の思いがかなわないことのほうが圧倒的に多い日常の中で、また”マノン”で踊る彼を見ることができている今は真実なのかと疑いたくなるほどだ。一幕のソロは、いつもとかわらず、マノンとの出会いのときめきにあふれ、出会いのパドドゥは、触れ合いはじめた喜びでみたされている。今日もまた、このシーンで涙がじわじわにじんできて、これは今ここでおきていることなのだわと実感できた。わたしは、この出会いのパドドゥがどのシーンよりも好きだ。これから起きる悲劇を少しも知らないで、お互いがお互いにひかれて高まる心と、わたしが今日もロバートを”マノン”で観ているというときめきと同期するような感覚を覚えるのだ。次にひかえているのが悲しい出来事でない唯一のシーンだからかもしれない。ガラでは寝室のパドドゥが一番踊られるけれど、ロバートがガラで"マノン”をいつか踊ってくれるなら、是非その前のソロとともにこの出会いのパドドゥのシーンを選んでほしい。寝室のパドドゥは、もっとも島添さんへの気遣いを感じられたシーンであった。このシーンは、二人の幸せの絶頂期であるから、スピードもあって、音楽と戯れるような演技が要求され、一番自然な表情がほしい場面だ。ロバートが島添さんをしっかりとサポートして、リードして、大きな包容力が感じられ、沼地のパドドゥ以上に彼が島添さんを思う気持ちが感じられた。二幕の歎きのソロも好きなシーンだ。マノンは、目の前にきらめくものに心を奪われる人なので、お楽しみの対象は瞬時にかわってしまうのだけれど、デグリューがマノンを思う気持ちはいつもかわらない。それどころか、一秒一秒マノンへの思いは深まるばかりだ。だから、手のひらを返したようにデグリューをみつめてくれないマノンの振る舞いに戸惑い、傷つき、そのやりきれない心をそのソロは語る。その一つ一つの苦痛がみているわたしにも伝わってきて、美しくて、切なくて、美しくて、また切なくて。美しいということは、こんなにも胸をしめつけるものなのだろうか。音楽とその振り付けとそれを表現するロバートの演技と、このパーフェクトなコンビネーションをマクミランはここまで計算しつくしてこのシーンを作ったのだろうか。わたしは2度だけ、ロバート以外のダンサーで全幕の"マノン”を観たことがある。 デグリューの心境にこの振り付けが必然であると理解できたダンサーが、その技術力と音楽性をもって一分の狂いもなく演じることができなければ、このシーンは無駄な動きの連続にしかみえないことを実感したことを忘れられない。2幕最後の下宿に帰った後のパドドゥ。実は、ここはデグリューの中ではマノンの死で絶望する瞬間に次いで悲しいシーンではないかと思う。混乱の末にやっととりもどした恋人は傍らに寄り添っているのに心が宝石やドレスから離れない。いつ、マノンが自分の腕からすりぬけていくのか不安でたまらない、切なさでいうとデグリューの中では最も切ないシーンだ。あんなにマノンを大切に大切に扱っていた彼が、乱暴にブレスレットをひきちぎり、マノンをつきとばすシーンは彼自身が心に傷をおっていて離れていたときよりもいっそう苦しんでいるようにみえた。三幕、本日気づいたのだけど、ウィーンやシドニーの時、彼は無精ひげのバージョンだったのだけど、今回はお髭なしの汚れメークのバージョンだった。どちらでも展開に差はないのだけど、好みとしては、汚れだけのバージョンが好きだ。アメリカに送られてからは、辛いことばかりなのだけど、わたしとしては、デグリューの精神的な苦痛はそれほどには感じられない。むしろ、沼地においつめられた後は、その腕にしっかりとマノンを感じ、現実的には行き場のない状況でありながら、二人だけで生きていることをどんな時よりも実感していたのではないかと思うのだ。振り返ることも引き返すこともできないのだけど、それゆえに前に進むしかない今は、まぎれもなく二人だけの世界なのだ。沼地のパドドゥは、激しくて、厳しい現実を目の前にさらしてくるけれど、マノンとデグリューが意識を超えてしっかり結ばれていることを最も強く感じるシーンだ。この強い絆をマノンの命の炎がかよわく焼ききってしまう瞬間までは。マノンの命を彼女との将来を最後の最後の瞬間まで信じていたデグリューを思うと、最後の慟哭を導く一瞬の絶望は、わたしの心まで引き裂いて、幕を下ろす。

 

今、レビューを書きながら、ロバートの一つ一つを振り返り、その姿を思い浮かべるたびに胸がしめつけられては、切なさの度合いが強まってくる。バレエは、幸福と喜びで心を満たしてくれる芸術なのだけれど、あまりに愛しすぎると心を壊してしまうものでもあるらしい。このやりきれなさを吐き出しても吐き出してもしばらくは、胸のつかえがとれることは難しい。こんな思いを彼は知らないで、日本を離れてしまうのだわと”マノン”での感動なのか彼への思いなのか区別もつけられない。小林の”マノン”も、また、この痛みとともに記憶に残る公演となってしまった。

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img034  マノン 小林紀子バレエ

2011827

オペラ劇場(東京)

マノン:島添亮子 デグリュー:ロバートテューズリー

レスコー:奥村康祐 レスコーの愛人:喜入依里

ムッシュGM: 後藤和雄 看守:冨川祐樹

 

2009年のマクミラン版’眠れる森の美女’の終演後、紀子先生に’先生のところで、”マノン”やってくださいよ’と御願いしたら、先生は’無理よ’とおっしゃったけれど、今夜、それは見事にくつがえされた。日本の私立のバレエカンパニーがマクミランのこの代表作の実現にこぎつけるのはいろんな面でどんなにか困難であっただろうことは容易に想像できる。とりわけ、今年は日本にとっては、未曾有の大惨事にみまわれ、通常の生活をおくることが誰もが大変であったときに、こんなにも感動的な夜をむかえられたことの奇跡を幾重にも思わずにはいられない。

 

わたしは、前回2008年にオーストラリアバレエの”マノン”をみており、今回同カンパニーから借り受けたという衣装やセットはとてもなじみ深かった。*ピーターファーマーの美術は、ジョージアディスのシックな茶系になれていると、少しカラフルな感じもするが、作品の雰囲気を損ねることなく機能していると思う。オーストラリアバレエの時、ロイヤルやウィーンよりも雰囲気が明るく感じたのは、カンパニーの雰囲気だけでなく美術も影響していたのかなと思った。夏場の公演ということもあるかと思うが、ロイヤルやウィーンで感じたような重厚感はやはりうすくはあったと思う。

 

今回、キャスト発表になって、若手が多く重要な役に起用されていて驚いた。ダンサーだけが発表になったときは、後藤さんか冨川君がレスコーで、レスコー愛人は大森結城さんか高橋玲子さんだと思っていた。レスコー愛人に関していえば、大和さんや高畑さんや萱島さん、考えうるだけでも役者はそろっているのに喜入さんは大抜擢だなと思う。これは、レスコーがあまりに若い奥村君というのも起因していると思う。奥村君は、前に"ジゼル”のペイザントでみたことがあり、あんな若い子が大丈夫かしらと思ったほどだ。中村誠君がまだ日本にいたら踊ったかなとか思う。レスコーは、これまでみたダンサーでは、結構技巧系だったり、ビジュアル的にもデグリューにひけをとらない長身のダンサーが演じていたり、存在感のある役だ。奥村君は、ペイザントの頃からすると、ずいぶん成長を感じたけれど、まだまだ役作りやテクニカルな面では荒さが目立つ。酔っ払いダンスのような演技は、ただ踊ったり、演技するだけでなく、その演技の意味をきちんと伝えて崩れない踊りをみせねばならないので容易ではない。課題はたくさんあるけれど、彼のダンサーとしてのステップアップには、ふさわしい役だと思う。技も演技ももっともっと磨いて、この経験を役立てロバートと対峙できるレスコーに成長してほしい。喜入さんは、今までみた愛人の中ではオーストラリアのダンサーたちに近く、やはりまだ若くて、小娘的な要素が強かった。わたしとしては、2005年にみたマーラガリアッツィの狡猾さと女のほれた弱みとをあわせもつもう少し大人の女性のほうが好みではあるので、彼女もまた、ステップアップの一歩としてほしい。実は、本日は、ロバートをこの作品で再び観れるということで、デグリューばかりを追っており、脇の方々は申し訳ないほどに観ることができず、それ以外の方のパフォーマンスをじっくりとみれていないのであった。

 

今回、"マノン”を小林で実現できたことの大きな要因は、島添さんの存在だと思う。彼女をはじめてみたのは、やはりロバートがパートナーを務めた2007年の”ジゼル”だった。あの時は、控えめで、おとなしくて、技術面でも特に突出したものを感じることはないが、情感のあるバレエをする人だなと思った。その後、ロバートや他の魅力的なゲストとパートナーを組んだ関係で何度かみたけれど、あの自己主張のうすい人がだんだんとプリマとしての華をみにつけていくのを感じていた。小林がもっと男性ダンサーの充実したカンパニーなら、是非ジュリエットでみたいところだけれど、彼女の本来のおとなしさの殻をうちやぶって、彼女がジゼルを演じたときからは想像さえできなかったこの難役に挑んだことはカンパニーにとっても、日本のバレエ界においても快挙だと思う。彼女のパフォーマンスをみながらリャーンベンジャミンを思い出した。島添さん演じるマノンは、原作のマノンに近いと思う。マノンは、ファムファタールで男をどこまでも陥れてしまう女のように思われているけれど、マノン自身は意図してそうふるまってはいない。どちらかというと、その場に流されやすく、お金が好きで、楽しいことが好きで、デグリューに愛されすぎなければ、どこかのお金持ちの愛人になって幸せに終わったのではと思うような女性だ。”マノン”の悲劇は、マノンが導いたのではなく、彼女自身よりもむしろデグリューがマノンを愛しすぎたことによるものだ。最初に”マノン”を観たのがタマラロホで、彼女はデグリューを悲劇に吸い寄せるような魔性の女であったので原作を読んだときは意外な感じがしたが、ロホから後にみたマノンは概ねこの原作に近い、デグリューに愛されすぎたゆえの悲劇の路線だった。特に島添さんは、この傾向が強かった。デグリューと出会って下宿で愛をかわす時は、その幸せが永遠に続くのではと思ったのに、ムッシュGMに宝石と毛皮をみせらえるとまったく無邪気に富の方向に心が動き、男たちに囲まれてお金にみちた生活を満喫しながらも、デグリューの真摯な愛にも、簡単にこたえてしまう。そして、それでもまだ宝石やドレスを忘れられない。この一連の流れが、島添さんの場合一貫性をもって、違和感なく感じられた。その場で目にはいった魅力的なものにあまりに簡単に心を開くさまは、島添さんの持つ素直な表現力がよき方向にでたのだと思う。演技面だけでなく、テクニカルにもすばらしかったと思う。特に1幕でムッシュGMとレスコーに足を軸にして、回転させられるところは、しなやかな動きがマノンのセクシーさをよくあらわしていた。沼地のパドドゥは、彼女がこれまで踊ってきた作品の中でももっとも怖い振り付けであったかと思うが、これまでガラや全幕でみた海外の女性ダンサーにひけをとることのない動きであった。彼女が、これほどまでにすばらしいダンサーに成長してロバートをむかえてくれたことに深く感謝したい。

 

ロバートを好きになって、何度も海外まで彼を追いかけながら、こうして再び日本で、”マノン”を観ることができるとは思ってもみなかった。2005年のロイヤルの来日公演で彼がこの役を踊るのを観て、またこの作品を踊るのを観たいと切望し、2008年初頭に真冬のウィーンでそれが叶ったとき、たとえようのない切なさにおしつぶされそうだった。その年の最後にシドニーで観たときは、これが彼が全幕でデグリューを踊る最後かもしれないと覚悟さえしていた。地震と原発事故でたくさんのダンサーが公演をキャンセルし、それでも彼は来てくれるのだろうかとか、懸念された電力不足で公演自体が興行可能なのだろうかとか、たとえ彼が来日しても怪我や体調不良で踊れなくなりはしないのだろうかと、本当に今朝まで、いや幕があがるまで、緊張で肌荒れになるほど悪いことをいっぱい考えてしまった。一幕、マノンと出会ってソロの始まったところ。もうこれが現実とは信じられない、わたしが本当に愛してやまないロバートのバレエが目の前にあった。このシーンが出会いだった。わたしが彼のバレエに恋におちたのはこの場面だった。あの時、バレエがこんなに美しいものだと知った。彼への思いを正確に認識していないとき、彼のバレエを観るたび、わたしの見たい作品で観たい役でこうしてほしい踊り方をする人だと思い続けていた。”マノン”は、このわたしの思いをみたす要素がすべて詰まった作品だ。一幕のソロ、出会いのパドドゥ、寝室のパドドゥ、二幕の歎きのソロ、下宿での疑心暗鬼と強すぎる愛に揺れるパドドゥ、三幕の波止場のソロ、沼地のパドドゥ、どの振り付けもどの演技も、バレエであることを忘れてしまいそうになるくらい物語として雄弁で、せりふがないのに、デグリューのささやきを感じ、心の叫びが聞こえる。そのどれもが、完璧なビジュアルラインで美しく、ひとつの無駄も一瞬の隙もなく物語をつむいでみえる。出会いのパドドゥでマノンを微笑みながら、見つめ返すデグリューをみながら、この幸せに涙がにじんできた。この先、彼以上のパフォーマンスでこの役をみることはないのではないかと思う。もしも、彼以上にこの役をわたしの好みで演じてくれるダンサーに出会えるのなら、なんとラッキーなことかと思う。ロバートは、ソロがすばらしいのはいうまでもないが、パドドゥのサポートの完璧さも大きな魅力だ。今回、島添さんとのパートナリングは、これまでの誰とよりもやさしい気遣いが感じられ、デグリューの強すぎた愛ゆえの悲劇をいっそう彩っていたように思う。もともと彼はパートナーをとても大事に扱い、美しくみせる人なのだけど、島添さん演じるマノンへの愛はこれまでの誰よりも強かったように思う。特に寝室のパドドゥでマノンを振り回すように抱きかかえるところは、島添さんがしっかりとロバートに身をまかせて固定され、あれほどしっかり支えているのは初めてみた。二幕最後の下宿のパドドゥでの、自分の元にもどってきたもののお金が忘れられないマノンへの切ない怒り、三幕で流刑の地で追い詰められながらも、しっかりと自分の腕の中に彼女を感じてその先を最後まで信じていた儚い希望のあとの絶望、これまで何人かのパートナーで幾度かみてきたシーンではあるけれど、今日はよりいっそう深く心につきささるようだった。

 

ロバートが演じる”マノン”を観たあとは、このはりさけそうな思いをどこにどうやってもっていけばいいのかわからない。彼のソロを見るときの美しさに高揚するあの思いをどう表現すればいいのかわからない。高揚した後は、切なくて、哀しくて、それでも幸せで、苦しくて。この感動と幸福の感覚は、痛いほどに胸をしめつけて、うんと悲しいのに泣けない苦痛と双子のように似ていることをまた、今夜思い出してしまった。何をどう記しても記しきれないもどかしさ、ウィーンの空港行きのバスの中で、ケアンズの空港を飛び立った飛行機の中で、急に涙がとまらなくなるあの瞬間をむかえるまで、この胸の中のかたまりは去ることがないのだろう。

 

*2011829日追記

なかなか日常にもどれず、過去の資料をみていたら、ウィーンの美術もジョージアディスでなく、ピーターファーマーでした。実は、昨日デグリューの長いブルーのジャケットの美しい白いお花の模様をみながら、このジャケット、ウィーンで着ていたのと同じかもと思って、ウィーンのプログラムみたら、ピーターファーマーでした。つまりは、ジョージアディスの美術は2005年のロイヤルで観ただけだったみたいです。

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img034  ジゼル 東京バレエ

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ゆうぽうと(東京)

ジゼル:ディアナ・ヴィシニョーワ アルブレヒト:セミョーン・チュージン
ヒラリオン:木村和夫 バチルド姫:吉岡美佳
公爵:後藤晴雄 ウィルフリード:柄本弾 ジゼルの母:橘静子
ペザントの踊り(パ・ド・ユイット):
高村順子-梅澤紘貴、乾友子-長瀬直義
佐伯知香-松下裕次、吉川留衣-宮本祐宜
ジゼルの友人(パ・ド・シス):
西村真由美、高木綾、奈良春夏、矢島まい、渡辺理恵、川島麻実子

ミルタ:田中結子 ドゥ・ウィリ:西村真由美、吉川留衣

本来なら、東京バレエの方々は今、お盆休みのはずだったのですよね。原発事故がなければ、今頃、ニコラと仲間たちの後半部分が行われている日程ですから。ゲストがわりとはいえ、東京バレエのこの顔ぶれのラブロフスキー版は、何回観たことでしょう。いい加減、まわりのメンバーにはあきちゃったかなと思いますけど、急にお仕事になったわけですから、びっくりするようなキャスティングはないわけで。そういうわけで、本日、東京バレエの方々に関するレビューはありません。

 

本日のこの公演は、賛否両論あるのではないかなと思います。"ジゼル”くらい超有名な古典作品になりますと、たいていのバレエ団がレパートリーにもっており、もちろん主役級のダンサーなら必ず踊る演目です。技巧よりも表現力を問われる要素が強く、ダンサーの技量と個性が試される作品ではないかと思います。

 

セミョンチュージンは、モスクワ音楽劇場バレエ時代の来日公演で”エスメラルダ”を踊ったのを観たことがあります。ゴージャスな金髪で、ものすごく不誠実なファビュスの役がとてもはまっており、記憶に残るダンサーでした。で、この人はアルブレヒトとかをやるんだろうなと思っていたら、意外なくらい早く観れる機会がおとずれました。と、いってもたいして期待はしていませんでした。なんか、最初に見たときから、好みじゃなかったのよね。で、本日、やっぱり好みじゃないわ〜と再認識しました。こういう人をよく言わないのは理不尽だと思いますけど、ことごとくわたしのツボをはずしているのです。技術的にも何がいけないということないし、ロシアダンサーにありがちなゆるさがあるわけでもありません。でも、歩き方とか腕の動かし方とか変。あと、演技も変。バレエそのものも、なんというかはじけてない時のコルプみたい。わたしは、正確なところはわかりませんが、カテゴリー的にいうとロシア的なダンサーなのかなと思ったりします。こういう系統のダンサーは、マクミランとか踊る必要ないし、基本的には古典のオーソドックスなバージョンで王子とか踊って終わるのでしょう。そうだ、ロシア的といえば、2幕は多分紫のタイツに違いないわと思っていたら、ほんとに紫で、どこまでもロシア的だわと思いました。チュージンのアルブレヒト像は、お城からやってきた貴公子というよりも、商家のぼんぼんという感じ。あんまり深くものごとを考えず、はたからみると、ジゼルはなんでこんな男にいれあげているのでしょうという感じ。でも、恋は盲目ですから。ジゼルをものすごく愛している風にもみえないし、遊びでつきあっているほどにスマートじゃないし、成り行きに流されている男で、2幕もあいかわらずその路線のような印象でした。つまりは、ジゼルに対する本物の愛がみえないのです。1幕のラブラブ加減もジゼルの熱愛に比べるとうすいし、2幕に関していうと贖罪でもなく、愛にめざめたわけでもなく、ジゼルとの深いところでの交わりの部分が欠けていたように思います。せっかくきてくれてすみませんけど、アルブレヒトは違う人でみたかったです〜。ごめん、チュージン、アントルシャシス23回もしたのにね。

 

ヴィシニョーワは、わたしはよかったです。個性的でしたけどね〜。まずは、なんといっても技術的にすばらしかったです。演技的には、つながりに説得力があり、細かい演技が次にどうつながっているかがとてもよくわかって唐突さが皆無なところがよかったです。ジゼルは、身体が弱くて、心臓が悪いみたいな設定だけど、他の人の演技をみていた時って、発狂して心臓とまるかなと思うときもありましたけど、本日のジゼルは途中で具合が悪くなり具合がけっこうすごくて、これなら発狂したら心臓麻痺おきるかもと思えました。ただし、少女にはみえなかったんです。演技が濃いのはいいんですけど、メークもなぜか濃くて、髪型のせいと、チュージンの小粒加減もあるせいか、少女というより、小料理屋のねえさんおかみみたいにみえました。年下の若旦那を愛する女性って感じ。アルブレヒトに対する思いがこれまた一幕からいきなり強いんですよ。それで、発狂して長い黒髪をばさっとおろして静かに狂気におちていく様が怖いの。重すぎるわ、この愛。無垢な少女の純愛でなく、ここまで思いは深かったのよというような、成り行きに流される男には到底うけとめきれるはずがない愛に思え、一幕を観終わって、こういうジゼルはどんなもんでしょうねとあまり肯定的な印象はありませんでした。ですが二幕の精霊になったジゼルは、ヴィシニョーワならではの、女の情念が昇華して魂だけが残るとこうなるという路線を見事につらぬいており、ぐっときました。技術的には、少しも質感を感じさせない、ただようようなバレエでありながら、冷たさや無機質さを少しも感じさせないものでした。いったいこんな男のどこがいいんだと見ているわたしは思うのですけど、精霊になって、存在そのものは消えているはずなのに、アルブレヒトへの思いがなぜだかジゼルから醸し出されているのです。それが悲しいことにアルブレヒトとはからみあってなくて、ひたすらにジゼルが彼を思う気持ちがだけが、情の部分だけが残っているのです。ウィリたちや、ミルタがアルブレヒトを踊り殺そうとしている気持ちに同調したくなるほど、アルブレヒトに対しては何の感情もわかないのに、ジゼルが彼を思い救おうとしている姿がなんだか切ないんですよ。どのバージョンでも誰でもしているお花をミルタにさしだして、どうか許してくださいとお願いするところさえ、涙にじみそうになりました。いよいよ、夜明けになってアルブレヒトの命が救われるところ、つまりは永遠のお別れの瞬間。彼の命は救われたけど、ジゼルはもう一生彼には会えないのだわと思うと、お墓に去っていくパドブレの一歩一歩(と、いう数え方でいいのか?)が悲しくて。本日は、アルブレヒトでなく、ジゼル一人に感動させられた稀有なバージョンでした。二幕だけならば、明日もみたいくらいです。

 

ニコラと仲間たちが開催されなかったことは、今でも大変に悲しく悔しいことですけど、かわりにヴィシニョーワの独特な’ジゼル’がみれたことはよかったです。できることならば、わたしの好みのアルブレヒトを演じることのできるダンサー(最初はばりばりプレーボーイの王子様が、深い贖罪の中で二幕は愛を感じさせるような演技ができる人)との組みあわせで見てみたいです。愛されない情念のジゼルでなく、愛されて愛に昇華されるジゼルを演じることができる人なのかどうかみてみたいです。

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img034  オールニッポンバレエガラコンサート 2011

2011815

メルパルク(東京)

 

本日は、東日本大震災の復興支援を目的として開催されたオールニッポンバレエガラコンサートに行きました。ほんと、これは、同士の集まりで開催しているという手作り感いっぱい、日本のダンサーの有志の心意気を感じる公演でした。吉田都さんが応援にいらして、舞台でご挨拶をして幕間には募金箱の前に立っていらっしゃいました。通常は、ここで主催者の係員がしきって大混雑というところですが、募金をいいことに握手をしてもらうわ、都さんと募金箱の前で写真をとるわするお行儀の悪い子供たちにさえも大人は寛容にふるまっていました。公演終了後もダンサーの方々はお衣装、メークもそのままに募金箱をもって立っており、わたしもささやかながら佐久間奈緒さんの箱にいれさせていただきました。

 

と、心意気と気持ちは感じましたが、公演内容に関しては、通常どおり公演そのものとしてのレビューを書きます。わたし的には、理解できない世界もいっぱい、好きでない演目やパフォーマンスもいっぱいですけど、真夏のバレエ公演っていうのは、玉石混合経験の場でもありますから、ま、いいんです。ここ、Webにプログラムをテキストで掲載してないから、手打ちが大変。

 

1

くるみ割り人形

振り付け:石井清子

志賀育恵&春野雅彦

 

これは、よくあるプティパの王子と金平糖の精のグランパドドゥの場面ではありません。クララとくるみ割り人形のパドドゥと書いてあったので、くるみ割り人形のお面つきかしらと思ったら、お面なしでした。つまりは、くるみ割り人形が王子様にかわったところかな?志賀さんは、もうけっこう年齢いっていると思いますけど、クララに違和感なく、少女のようでした。春野君は、う~ん、真夏のガラだわというレベル。いろんなレベルのバレエを観て、世界は広がるという感じ。クララのところなんて、子供だから盛り上がらないかなと思ったら、わりときれいなパドドゥに仕上がっており、志賀さんと外人の素敵な王子ダンサーでみてみたいなと思えるものでした。

 

Spiel

振り付け:樋口晋策

白椛祐子&吉瀬智弘

 

体操みたいな明るいコンテンポラリー?でした。特に思うところはないけど、この名前みたな~と思ったら、吉瀬君は、この春のスタダンの’シンデレラ’でみて、ちょっとうまいなと思った子でした。本日は、特に目立つところなし。

 

ディアナとアクティオン

振り付け:ワガノワ

河野舞衣&荒井英之

 

河野さんは、昨年のローザンヌガラで、’In the middle’を見たので、ディアナは意外でした。と、思ったら人違いで、河野さんは’海賊’を踊った人でした。そうだ、あの妙に金髪のずんぐりむっくりのパートナーと踊った人でした。最初、一人で出てきて踊っているときは、わりといい感じと思っていたら、アクティオンの荒井君がでてきて二人で踊りだしてからなんか調子崩れたみたいで、最後のソロのほうは崩壊気味でした。荒井君は、ジャンプは低いけど、自分の能力内で最大にみせる技を知っているみたいで、ソロのころから俄然調子よくなり、会場ではうけていました。わたしは、別にでしたけど。どっちも、それなりに踊れるけど、相性がよくないのと、なれない相手だとうまくやっていけないタイプなのかなと思いました。ガラらしい演目ですが、地味でした。

 

Vertigo Maze

振り付け:Stijn Celis

浅見紘子

 

浅見さんは、お名前は知っていますが観るのは初めて。とてもスタイルがよく、踊れそうな体型。ちょっと期待してしまうのですけど、わたしは、どうもこのクネクネ系のコンテンポラリーは苦手です。浅見さんは、最後の作品でも踊りましたけど、そっちも同じ系統で、もう少しきれいな動きのある作品で見てみたい人です。

 

Little happiness

振り付け:キミホハルバート

キミホハルバート&上野天志

 

’牧神の午後’の曲で、男女がでてきたので、あ~~官能系の新種かなと思ったら、わりとさわやかな、若い男女の小さな幸せを踊った作品でした。ドビュッシーのこのメロディーは、ニジンスキーをはじめとする、いろんなバージョンの官能的なものばかりで聞いていたので、そういう曲だと思っていましたら、こんな風にもできるのだわと思いました。

 

Song of Innocence and of ExperienceよりO Solitude

振り付け:中村恩恵

大嶋正樹

 

本当は、中村恩恵さんが踊るはずでしたが、体調不良で大嶋さんにかわりました。曲がきれいで、暗かったので、眠くなりよく覚えていません。お友達はよかったといっていました。

 

Bitterroot

振り付け:松崎えり 増田真也

松崎えり&増田真也

 

眠かったので覚えていません。コンテンポラリーは、踊るほうもみるほうも難しいのですね~。作品とダンサーによっぽど吸引力がないと、コンテはつづくとあきちゃうし。この人たち、フィナーレで皆、それぞれ踊った作品にちなんでパフォーマンスしながらカーテンコールしているときに、何もしなかったのでした。即興に弱いのか、自分たちは他と一線を画しているということなのか。

 

ジゼル

振り付け:谷桃子

永橋あゆみ&三木雄馬

 

アルブレヒトは、全然ぱっとしませんでしたけど、ジゼルは個性的でした。わたしは、どうかなと思いましたけど、お友達は全幕で見てみたいといっていました。精霊というよりも、まだ女の子のジゼルがそのまま森にやってきたような若い若い俗世を背負ったジゼルでした。

 

Lillyより抜粋

振り付け:+81

青木尚哉&柳本雅寛

 

これは、バレエではありません。ほとんどダンスではなく、パフォーマンスです。コメディっぽい展開です。パフォーマーの身体はものすごく柔軟で、息もあっており、お見事でした。でも、これ、バレエコンサートなんだよね。わたしは、こういう演目が挟まれるのはいやです。

 

瀕死の白鳥

振り付け:フォーキン(改訂:畑佐俊明)

酒井はな

 

1部の最後にお衣装をつけてちゃんと踊ったときは、あんまりぱっとしないなと思ったのです。はなさんは、わりと好きなダンサーなのですけど、瀕死は、けっこう名だたるダンサーで見ているせいもあり、なかなか今更普通の踊りでは感動しないわけです。しかし、フィナーレのカーテンコールの時、他のパフォーマンスで着た現代的なお衣装のまま、白鳥の振りをしたときはすごくよかったです。瀕死でなくて、もっと明るい白鳥の新しい作品を彼女に振付けてあげればいいのにと思いました。

 

 

2

海賊

振り付け:プティパ

長田佳世&芳賀望&厚地康雄

 

新国立トリオの’海賊’は、もう、ものすごく、思いっきりまあまあでした。新国立バレエなら、もっとレベルの高いもの見せられなかったんでしょうか?ガラにお約束の’海賊’を他でこなせるグループがなかったのかな?長田さん、フェッテのところ、がんばってダブルいれたのはいいけど、おっとっととバランス崩れてしまい、シングルできっちりこなしたようがよかったねと思いました。アリは、もうゆるすぎ。芳賀君は、ランデケムは悪くなかったのに、アリは無理なんだね。もう観たくないので、次回はやめてほしいです。厚地君って、立ち姿はほんといいんですよ。日本のバレエ団の男性ダンサーの中ではベスト3にはいるのではないかと思います。が、やっぱりコンラッドは、あいかわらず弱弱しく、ちょっとゆるかった。彼が踊ると、どうにかして上手になってと祈る気持ちがわいてくるのでした。

 

ブエノスアイレスの冬

振り付け:日原永美子

伊藤範子&小林洋壱

 

東宝ミュージカルの振り付けみたいでした。謝先生のことちょっと思い出しました。これもバレエではありません。パフォーマンスや作品に感銘をうけるところはなかったけど、パートナリングというのかしら?相手とのパフォーマンスにおける呼吸とかタイミングが、一番しっかりしていたペアでした。

 

White Destiny

振り付け:?

橘るみ

 

これは、誰の振り付けでしょう?白鳥を現代風にしたようなお衣装で、基本はクラシックな動きのコンテンポラリーです。こっちのほうが、どちらかというと’瀕死の白鳥’っぽかったです。けっこう途中もがいて苦しむところもあり、最後は暗闇に倒れちゃうし。おもしろい作品でした。

 

エスメラルダ

振り付け:?

田中ルリ

 

本当は、’眠り’のグランパドドゥのはずでしたが、パートナーの怪我で、急遽おなじみ’エスメラルダ’のタンバリンのバリエーションになりました。ここだって、最初はパートナーとのシーンがあって、男女のソロがあってまたパドドゥになるのが通常のガラの構成かと思いますが、女性のバリエーションのところだけで大変に短かったです。田中ルリさんの黒いお衣装がとてもきれいで、もっと踊らせてあげたかったなと思います。

 

タマ

振り付け:島地保武史

酒井はな&小尻健太&東海林靖志&佐藤健作

 

和太鼓の響きはよかったと思いますけど、こういうのは嫌いです。バレエじゃないし。

 

白の組曲

振り付け:リファール

藤井美帆

 

藤井さんは、地味な人だわといつも思っており、それをおとなしい’白の組曲’なんか踊ったら華がなくてぱっとしないんじゃないかしらと心配していました。ですけど、ものすごい才能の人ではないし、スター性がある人ではないけど、きっちり一流のバレエ団でお仕事してしている人の基礎能力っていうのは、それだけでみせるもんだなと思いました。’白の組曲’自体がとてもクラシックバレエっぽい作品であるので、なんだかバレエだかバレエじゃないんだかわかんないような作品をいっぱいみている中では、ちょっとほっとした思いもありました。クラシックもなんだか、テクニカルにレベルに達していないものが続いていたせいもあるかもしれません。真っ当な作品を真っ当なダンサーでみれる幸せを実感するのも真夏のガラの特徴です。

 

Bolero

振り付け:西島千博

西島千博

 

通常、ダンサーというのは、舞台で踊っている姿に圧倒され、パフォーマンスの後のデマチの際、あまりの普通加減にびっくりというほうが多いものです。ダンサーは、踊ると普段の何倍も素敵にみえるものです。が、西島さんだけは不思議なほどに、そこに立っているときは、めちゃくちゃっかっこいいのに、踊ると魅力が全然なくなる人です。なんでだろう〜ね?まあ、技術的にも表現力も平凡といえば、平凡で、カリスマ性がないのはよくあることなのですけど、あの容姿だからマイナスになってしまうのかな。今回のパフォーマンスも、ま、そんなところです。ところで、これ、振り付けはおもしろいというほどでもないのですけど、別のダンサーで見てもいいかなと思った部分がありました。で、そうだ、フォーゲルは、ベジャールでなく西島さんの’ボレロ’を踊ったほうがしっくりくるわと思いました。今日のこの作品、フォーゲルならみせただろうし、フォーゲルもこれなら、日本でファンをなくさないでいられると思います。

 

二羽の鳩

振り付け:アシュトン

佐久間奈緒&厚地康雄

 

よかったです〜。本日、一番の演目。実をいうと、期待度も一番高かった演目で、厚地君がどうか失敗しませんようにと祈りをこめて見守っていたのでした。奈緒さんは、今回の中ではダントツスターで、技術的にも表現力としても他とは格段の差を感じました。BRBでも踊っている演目ですので、安定感もばつぐんで、初めて作品にひきこまれて舞台を見れた瞬間でした。厚地君は、立ち姿は申し分ありませんが、サポートがまだまだぎこちなく、幸い、ソロはなかったので、大きく気になるところはありませんが、まだまだ奈緒さんにリードされてる感は否めません。とても素敵な作品だったので、来年のバレフェスにBRB枠で、ロバートパーカーと奈緒さんが来て、’2羽の鳩’踊ってほしいわと思いました。ツァオチーじゃなくて、ロバートパーカーでね。

 

Mayday, Mayday, Mayday, This is

振り付け:遠藤康行

平山素子&浅見紘子&加藤野乃花&金田あゆ子

木下佳子&佐藤美紀&青木尚哉&大柴拓磨

大嶋正樹&柳本雅寛&八幡顕光&遠藤康行

 

これが最後に長くて長くてつまらなくて、フィナーレがなければスキップして帰りたいくらいでした。これだけのダンサーを使って、なんでこんな作品を最後に見せられなくちゃいけないんだろうと、個人的には大不満足の一品でした。ただひとつの収穫は平山素子さんをはじめて生でみれたことです。こんな振り付けでも、彼女はちょっと違ってました。これが、噂の平山さんなんだ〜と顔写真確認する前にわかりました。こういう作品は、わたしは理解できません。できることなら、平山さんの作品でソロで踊ってほしかったです。

 

 

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img034  クロージングガラ アメリカンバレエシアター

2011729

東京文化会館(東京)

 

怒涛のような平日バレエの日々もいよいよ終わりを告げる時がやってきました。 3年前は、そんなに気合をいれてABT好きというわけではなかったのですけど、今回は、あとからチケット買い足し、買い足しで気づけば6公演通いました。 ベルリン国立バレエの来日公演のあとは、震災と原発事故の影響で、バレエ公演もなんとなく影のある寂しさが漂っていました。が、やっと日本のバレエ公演のお祭り気分がもどってきた〜と感じた楽しい楽しいABT来日公演でした。

 

1

アレグロ・ブリランテ  

振付:ジョージ・バランシン

シオマラ・レイエス   ダニール・シムキン  
メラニー・ハムリック,シモーン・メスマー,ルシアナ・パリス,ヒー・セオ,

グラント・デロング,ロディー・ドーブル,ジョセフ・フィリップス,エリック・タム 

 

最初は、オープニングガラと同じ演目です。これは、好きな演目なんですけど、ダンサーによるよね〜。こういういかにもバレエです、みたいな演目は、やっぱり典型的な王子ダンサーに踊ってほしいわけです。何ゆえに、シムキン?たしかに上手ですよ。パドドゥも大分踊れるようになっていたしね。前は、一人で踊るはいいけど、サポートとか相手への気遣いがさっぱりだったのが、相手とともに踊ることをABTで学んだのだねと思いました。レイエスもうまいし、どこが悪いとかけちのつけようはないのでしょうけど。でも〜、レイエスが小さいので、シムキンの小ささは、目立ってはないけど、まわりに人もいるし、その小ささって、隠せるものではないのよね。わたしは、小さい男性ダンサーはいやなのです。 

チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ  
振付:ジョージ・バランシン

パロマ・ヘレーラ   マルセロ・ゴメス  

オープニングガラをみた時、クロージングでまたアンヘルコレーラのチャイパド観れるんだ〜と楽しみにしていたら、天使の微笑みで歩いてサインしにきてくれたのに体調不良で降板、残念です。と、思ったら、代役は、マルセロゴメスです!”ドンキホーテ”に続いて嬉しい変更です。今回は、ゴメス、臨時によく働いてくれました。おかげでわたしの幸せが何倍も増えたわ。そして、ゴメスのチャイパド、素敵でした〜♪ もともと、バレエは繊細でエレガントだけど、ラテンのダイナミックさのある人ですから、こういう王子の技巧系演目は向いていると思っていたのですよ。コレーラのときに速すぎるわと思ったテンポも普通にもどって、いい調子。ちょっと勢いつきすぎてバランス崩しそうになったところもあったけど、気にしません。ヘレーラが、また優雅で、ゴメスのやさしいサポートに漂うように動きます。こういう物語のないパドドゥでも、ゴメスのサポートは、本当にやさしいのです。パドドゥにうっとりで、ソロのところでは、またまた投げキス送りたくなるほどにセクシーで。本日一番の演目でした。

2
トロイカ  

振付:ベンジャミン・ミルピエ
トーマス・フォースター   ジャレッド・マシューズ   ブレイン・ホーヴェン  

これは、別にまた見たい作品でもないけどなとか思いましたけど、オープニングよりよかったです。長いわりには、盛り上がりはありませんが、本日は、なんか普通ぽさがよかったです。ダンサーの体型にデコボコ感がなく、またバレエの技量もほぼ同じで、プリンシパルには多分このまま届かないけど、ソリストでしっかり仕事します系のダンサーが3人、きっちりお仕事をしているなという感じ。何箇所かに区切られて、パフォーマンスの間が少しあく瞬間が何回かあり、そのたびに客席からは拍手をします。それが、そのパフォーマンスのすばらしさを称えているというよりも、あ、終わりだわ、拍手、拍手という感じで、何回か裏切られ、最後に本当に幕がおりた時は、やっと終わったわと安堵の拍手を送っているみたいでした。


眠れる森の美女 第3幕のパ・ド・ドゥ   
振付:マリウス・プティパ  
ジリアン・マーフィー   コリー・スターンズ  

 

やっぱりガラには、’眠り’のグランパドドゥでしょう。嬉しいわ、それもスターンズとマーフィーなんて。マーフィーが、前に比べてとっても女性的になった気がします。前は、元気な女の子でしたけど。これからイーサンと結婚して、大人の女性としてのおちつきや優しさがでてくるでしょうから、バレエにも深みがでるのでしょうね。スターンズは、立ち振る舞いが上品で、これは期待できるわ〜と思ったら、この人もサポートが弱かった。フィッシュダイブの抱き方が、危なっかしかったです。思うに、マーフィーは大きいダンサーなので、サポートは楽ではないんでしょう。(イーサンと白鳥の時は全然感じませんでしたけど)王子のバリエーションは、期待の分だけもう一歩かな。ちゃんとできてはいましたけど、あと少し、大胆に、あと少しエレガントに、う〜ん、まだ年季がはいってないのかな。これからに期待させる王子でした。このバージョンは、誰のアレンジか書いてないのですけど、最後に二人で踊るところが、若干いつもみているものと違ってました。 

椿姫 2<>のパ・ド・ドゥ   
振付:ジョン・ノイマイヤー
ジュリー・ケント   マルセロ・ゴメス  

 

オープニングのトラウマがあり、ピアノがちょっとこわかったけど、今回は大丈夫でした。全幕を観たあとでは、この一番幸せなシーンをみると涙が出そうになるシーンです。ジュリーケントは、ジュリエットよりやっぱりマルグリットですね。この白いお衣装も、おろした長い髪も、マルグリットの人生をみせます。一幕でたくさんの男性に囲まれて高級娼婦として夜の世界に生きてきた女性が、突然、あまりに純粋で無防備に愛をぶつける青年と恋におちて、囲われの身を逃れて、やっとたどりついた田舎での日々。永遠に続く幸せではなくて、なんだか儚げにみえる幸せの瞬間にケントの容姿はぴったりです。ゴメスは、イメージはアルマンではないのだけれど。でも、2幕のこのシーンは幸せいっぱいですから、彼のあたたかい微笑みとやさしさいっぱいのサポートは、この幸せの一瞬を輝かせるのです。彼は、傷ついたり、影のある役は似合いません。明るい顔で笑っていてほしいのです。 わたしの思い描く’椿姫’のイメージとはかなり違ってはいますけれど、ゴメスはゴメス、素敵でした。

白鳥の湖2幕のパ・ド・ドゥ
振付:レフ・イワノフ  
ヴェロニカ・パールト  アレクサンドル・ハムーディ  

’白鳥の湖’のこの箇所は、いまだに苦手なところのひとつです。音楽も単調で、ひたすら王子は、オデットをサポートし続けるだけ。全幕でも、よっぽどのプリマでなければ、意識がとぎれそうになります。オデットに関しては、もうそれなりに上手い人でみていますので、ちょっとやそっとでは心が動きません。本日も、ヴェロニカパールトのパフォーマンスには何の感銘もうけませんでした。 が、しかし、この演目がなぜここにあるかというと、多分、アレクサンドルアムーディ君をアピールするためではないでしょうか。彼の王子姿は、もう教科書のようにお見事でした。ここまで見事な王子体型のダンサーは、最近いくらスマートでスタイルのいい男性が増えたといえども、そうそういないでしょう。残念なことに、この2幕ですから、またまた王子のソロはなし。次回来日公演までのお楽しみということでしょうか。 サポートはとりあえず問題なさそうです。できることなら、歯は矯正してほしいかな。(舞台では見えませんけど)


レ・ブルジョワ 
振付:ベン・ファン・コーウェンベルク
ダニール・シムキン 

なんか、日本人は皆シムキンが好きと思われているようでいやだわ。わたしは、この子の’レブルジョワ’を生で観るのは4回目です。最初にプラハガラのDVD見たときは、すごく軽くてかわいい少年だわと思って、最初に生がみれるときはすごく嬉しかったものですけど。もう、いい加減観たくないわ〜と3回目みたときに思って、また観ることになるなんてね。で、*2年たって少しは成長しているかなと思ったけど、かわんないし。 このくらいの年齢の子の2年は大きいと思いますけど、2年前から技術的には踊れていたから、成長がみえにくいのでしょうか。もう少し、内面の成長を作品にいかせるようになっていないかなと、ほんとに少しだけは期待していたのですけどね。今は、これで受け入れられるのかもしれないけど、このままだと飽きられてしまうと思うな。どこに行くんでしょう、ダニールシムキン。


3

COMPANY B  
歌唱:アンドリュース・シスターズ
振付:ポール・テイラー 

マリア・リチェット  ニコラ・カリー  ミスティ・コープランド  シモーン・メスマー  
エリザベス・マーツ  ニコール・グラニェロ  メリー・ミルズ・トーマス    
アロン・スコット  クレイグ・サルステイン  サッシャ・ラデツキー  
ロディー・ドーブル  グラント・デロング  アイザック・スタッパス  

 

なんで、ABT祭のフィナーレがこれなんでしょう?ABTは、アメリカのカンパニーだからしかたないの?つまらなすぎ〜。作品もダンサーも、全然ありがたみがありません。衣装もいやだし、音楽もいやだ。最初に、皆で出てきて、アメリカンミュージカルみたいなダンスをしているのをみて、いや〜な予感が。もしかして、これが30分間続くのかしら。。。で、続きました。第2次世界大戦で闘った戦士の生と死が描かれているんですって。ダンサーがこれまた、’トロイカ’の3人組と同じ類で、ソリストだけどプリンシパルには届きませんという、もう一歩吸引力やカリスマ性に欠けるダンサーばっかりなので、こういう見所のない振りつけだと、まあまあ感が払拭できないのです。世界一ゴージャスなスター集団のABTならば、こういう見所のない作品こそ、スターを使ってゴージャスにみせてくれるなら観られる作品でしょうけれど。まあ、ダンサーの人々は、ほんと、そこそこには踊れていましたよ。マキューシオもいれば、ジプシーの首領もいるし、エスパーダもメルセデスも、皆々主要な脇をかためた人々ですから。ニューヨークでは、これでいいのかもしれないけど、3年に1回しか観れない日本の客としては、もっとゴージャスで、ABTのスターらしさを感じられる作品をみたかったです。これ、どうしてもアメリカらしさのある作品をやりたかったなら、最初のオープニングガラの初っ端にでもやればよかったのよね。最後にこれでは、あまりにもあっけなく物足りなく、最後の最後に腰砕けでした。

 

楽しいABT来日公演ではありましたけれど、このカンパニーは、ガラより断然全幕だわと思います。小作品は弱いのかも。全幕は、想像以上にすごく楽しかったです。次回公演の時は、もうガラは買わないで、その分全幕に通いたいと思いました。また来てね、ゴメス、もちろんホールバーグもね。

 

注*

2年前というのは、計算違いで3年前でした。2008年の6月の台北でのガラと8月の樋笠バレエのガラで観ていました。

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img034  ロミオとジュリエット アメリカンバレエシアター

2011728

東京文化会館(東京)

ロミオ  デイヴィッド・ホールバーグ ジュリエット  ナターリア・オーシポワ
マキューシオ  ジャレット・マシューズ ティボルト  アイザック・スタッパス
ヴェンヴォーリオ  ブレイン・ホーヴェン パリス  サッシャ・ラデツキー

 

先日、17時に机を立って帰ろうとしたけど、サンダルのボタンをかけるのに時間がかかったので、本日は、16時半にはサンダルも履き替えてスタンバイして退社しました。もう、今週は仕事どころじゃありません。平日の’ロミジュリ’は大変です。

 

先日は、ABTのマクミラン初ということで、いろいろと気になったのですけど、2回目ともなりますと、ベローナの活気のなさもフェンシングの下手さ加減もなれました。これがABTの’ロミジュリ’と思えばキャストによるパフォーマンスの違いをたのしむことができました。本日は、前回よりも’ロミジュリ’だな〜という雰囲気は強くゴメス&ケントの時とは全くちがう味わいがありました。

 

脇から書きますと、3バカトリオのバレエテクニックは、前回ゴメス組のほうがよかったと思います。ベンヴォーリオは、うすかったです。悪くはなかったし、見た目も若かったし、そこそこの容姿でしたけど、こういう可もなく不可もなくのダンサーがベンヴォーリオをやると影がうすくなるのですね。ベンヴォーリオは、劇中に強い個性を出すような劇的なシーンはないけれど、わりとロミオをやる一歩手前に経験として、若手スターの卵が踊ったりするポジションでもあると思います。なので、バレエの上手さで存在感をアピールするような役どころだけに、普通のダンサーだと、終わってみるとすぐ忘れてしまうのです。本日がまさにそうでした。

 

マキューシオは、本日もよく働きました。ジャレットマシューズは、本当に働き者です。いつも老けてるわ〜と思ってましたけど、本日は4階からみるかぎりは、他の二人とそうかわらなかったです。やっぱり背が低かったけど。踊るシーンは、いつものとおりそつなく、大技はないまでも、やるべきレベルにはきっちり踊れていました。特にマンドリンのソロで、馬とびをするところは、最後の高いところまで、はしょらずに飛び切り、まじめな仕事人のいっぺんを見せました。死ぬ前のマキューシオの演技と踊るシーンって、マキューシオ的には一番見せ所かと思います。マシューズは、あんまり大げさな表現をせず、あ、こういうのもあり、わりといいかもと思いました。が、最後の最後まで、抑えすぎたようで、あれ?と思う間に死んで、マキューシオのしぶとい生命力みたいなところが感じられませんでした。どこまでもこじんまりまとめてくる人です。このこじんまり加減が、彼をもうひとつ上へ行けなくしているような気がしてなりません。微妙なダンサーです。

 

本日のパリスは、サーシャラデツキ。彼は、こざっぱりと清潔感がある田舎の良家の息子という雰囲気を醸し出しており、日本でいうなら町長の息子っぽい、育ちのよさがありました。 あのパリスのお衣装は背が高い人がきないと振袖風のお袖がとっても長いと知りました。ジュリエットと踊る前に、邪魔にならないようになんか段取りしてました。ABTのパリスは、やはり、最初やさしく、最後冷たくてこわいというパターンでした。最後の冷たさ加減がまた、田舎で嫡子として大事にされて、人から拒否されることに慣れてない人という感じがよく出ていました。で、本日の面食いのジュリエットにしてみれば、この手の田舎男は絶対にいやだろうなと思え、わたしも今日はパリスでは手をうてないわと思いました。別にラデツキが悪いってわけじゃないですけど。

 

今回のキャストで、わたしの周りではもっとも批判の大きかったナタリアオシポワのジュリエットですが、わたしはそんなに気にしていませんでした。と、いうか、ちょっとどんなだか楽しみですらありました。オシポワが、またホールバーグなんかと組むので意地悪いわれちゃうのよね。コリーンスターンズくらいで手をうっとけばそうでもなかったかも。で、たぶん、座席位置によって賛否は分かれるところかと思いますが、わたしのような上の階からみた観客には評判よかったのではないかと思います。オシポワの一番のネックは、顔でしょう。ABTの三幕は特に朝なのにすごく薄暗くて、お顔がくっきりとはオペラグラスごしにさえみえにくいです。いうまでもありませんが、バレエテクニックは何の問題もありません。あとは、ホールバーグとのパートナリングと演劇的な表現ですね。オシポワジュリエットは、どんなかというと、’パリの炎’のジャンヌが、ベローナに生まれたらこんなでしょうという感じ。勢いがあってがさつだけど、純粋。体力があって、面食い。走るところが、スピードが速くて、ちょっとがにまた気味で、踊っているときの優雅さが一瞬にして消えてしまい、田舎の子だわ〜と思います。何も知らない田舎のお嬢さんは、町長の息子より、舞踏会で出会った美少年に一目ぼれしちゃうのです。一幕は、もうロミオに夢中という感じ。バルコニーのパドドゥも先日のしっとりおちついた大人の雰囲気でなく、ホールバーグのいっぱいいっぱい加減もあって、なんか若さゆえの無謀な疾走感がありました。前半はよかったのですけど、最後にキスしたところから、いきなりジュリエットは女になっちゃったのはどうかなと思いました。あの田舎のお嬢さんがあんなふうに恍惚の表情を浮かべちゃいけないと思うわ。ここは、もっと無邪気に恥らってほしかったです。一幕で女になっちゃったジュリエットですので、三幕は当然もう大人びています。わたし的には、少女のままで一生懸命少女なりに考えて、必死に行動するジュリエットのほうが好きですけど、まあ解釈かな〜。そのせいかどうか、別れの切なさは、ジュリエットよりロミオに感じちゃいました。死体のパドドゥは、ちょっとホールバーグのために勢いつけすぎたかなと思います。最後に剣をつきたてて死んじゃうところは、一生懸命ロミオに近づいて腕をとるだけの演技はよかったです。オシポワは、フェリにジュリエットを教わったそうで、そういえば、なんとなく表現のしかたでフェリを思い出すところがありました。けど、そもそもバレエの技法が違うのと、もっている感性の種類が違うので、あまりこだわらずにオシポワの表現をしてみたほうがいいかもと思いました。今までにない種類のジュリエットでしたが、もう少し彼女らしさを前面におしだすか、もっと掘り下げて全く演じきるか、どちらにしても、バレエがうまいだけに演劇面ではおしいなと思いました。悪くはなかったですよ。わたしは、また観てもいいと思います。ただし、美形のロミオとね。

 

ホールバーグはね〜。うすかったです。いでたちも演技も。とってもシックなジョージアディスのロミオのおいしょうが、うすいブラウン系なので、彼の容姿にとけこんで、舞台でせっかくなのに映えないのです。ホールバーグは、新国立のように色味のあるお衣装のほうがよかったね。そうはいえども、立ち姿は美しかったです。一幕前半などは、まだまだ体力もありますので、あの難解なステップをきれいに決めてきました。舞踏会の前くらいまでは、ほんと、バレエが上手になったわとしみじみ嬉しく思っていました。しかし、バルコニーの前に舞踏会の合間に逢引するところのパドドゥで、やっぱりリフトが弱くて、いったいバルコニーはどうなっちゃうんだと心配になりました。バルコニーのところのロミオのソロは、音楽に遅れないように若干先走っちゃってるかもと思うところがありました。基本的には踊れていたと思いますよ。あ、だめだわとは思いませんでしたから。でも〜、なんかおしかった。心配なリフトは、なんとか大丈夫でした。彼のロミオって、ペネファーザーに近いものがあり、高揚感が薄いのです。でも、少年がみんなみんな情熱的なわけでなく、若い子ってシャイだから、好きな子にさらって流しながら、さりげなくかかわっていくみたいな、それはそれでありかなと。休憩をはさんだせいで、2幕はまた元気をとりもどしており、踊りまくりのところはよかったです。三幕の寝室のパドドゥは、急に女になっちゃったジュリエットに、やっぱり薄い少年のままのロミオが、もうひとつかみあってなくて、別れの切なさがうすかったな。

お互いに意識があってからみあうところよりも、死体と踊ったり、死んだと思って相手とかかわるところのほうがこちらには伝わるものがありました。ホールバーグの場合、オシポワである必要はなく、オシポワもホールバーグである必要もなかったかなと思いました。どっちも、ちょっと期待させられるダンサーなのですけど、お互いに対する情熱と愛情がないみたいでした。ホールバーグって、すごく情熱的に演技することってあるのでしょうか? リフトも弱いし、この先、マクミランのほかの作品で見るチャンスはないかもしれません。好きなダンサーなんですけどね。

 

三幕しっかりみた後に、もう一巡みても平気だわと思うくらい、軽く口当たりのよいロミジュリでした。マクミランって、ひと作品みると、ど〜んと重くて疲労するものなのですけど。 もしかして、また観たいってことなのかもしれません。ロイヤルの’ロミジュリ’の重厚感のあるドラマとは、全くことなりますが、ABTの’ロミジュリ’は’ロミジュリ’として、楽しくエンターテイメントに成立しているのだなと思います。思えば、今回ABT全幕4公演とも、全部楽しかったです。それもそのはず、ホールバーグ、ゴメス、ゴメス、ホールバーグという順番で全幕バレエ2作品づつみたわけですから。想定以上に楽しいABT公演でした。いよいよ明日は、クロージングです。悲しい〜、もう明日はホールバーグは踊らないのですよ。ゴメスは2つ踊るけどね。

 

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img034  ロミオとジュリエット アメリカンバレエシアター

2011726

東京文化会館(東京)

ロミオ  マルセロ・ゴメス ジュリエット  ジュリー・ケント
マキューシオ  クレイグ・サルステイン ティボルト  ゲンナディ・サヴェリエフ
べンヴォーリオ: ダニール・シムキン パリス  アレクサンドル・ハムーディ

 

ABT祭りもいよいよ後半戦に突入です。 後半全幕は、大好きな演目マクミラン版の’ロミオとジュリエット’です。 ロミジュリを平日3連続でやるのはやめてほしかったわ。できることなら、全部観たかったのに。今回ABTのロミオは、ゴメス、スターンズ、ホールバーグ、どこをとってもおいしいです。ジュリエットは、ケント、レイエス、オシポワ。ま、ジュリエットは、誰でもいいです。

 

まずは、本日気づいたことは、カンパニーがかわると同じ振り付け家の有名な作品でも、テイストが全くかわってしまうのだわということです。’椿姫’がパリオペとハンブルグとシュツットガルトでは全然違うと思っていましたし、パリオペは何をやってもパリオペテイストで、パリオペが特殊なのかと思っていましたけど。本日のマクミラン版’ロミオとジュリエット’は、楽しくよく踊れてはいましたが、マクミランにしては、大味、これがABTのマクミランなんだと思いました。先月観た新国立バレエもマクミランではないみたいとか思ったけど、わたしの中にすりこまれたマクミランの深みとバレエの技法に関する印象とはあきらかに異なるABTのマクミラン版’ロミオとジュリエット’でした。

 

ネガティブなところから書きますと、ABTって、コールドがぱっとしませんね。ベローナの街に活気がないのです。前回の来日公演の時も思ったのですけど、メインのダンサーとコールドの実力差が大きいように思います。コールドの人々の演技が希薄なのです。マクミランの全幕バレエって、脇にすごくたくさん人がでてきて、街の雑多な人々の暮らしをどんな隅っこにも描き出しています。ABTの人々は、その生活感とか生命力をコールドの一人ひとりが発していないのです。実は、今回のマクミラン大味感の一因は、全体的な演劇性のうすさにあると思いました。もう一つのネガティブポイントは、フェンシング。ベローナの活気とともに、モンタギューとキャピュレットの対立を描く上で重要なのが、一幕のフェンシングのシーンです。’ロミジュリ’に限らず、西側のヨーロッパのバレエ学校を出たダンサーの多いカンパニーは、ここがきっちりできています。Kバレエで観たときに、やっぱり日本人には大変と思ったし、新国立もまあよく健闘したねくらいでした。で、ABTって今までみた中で一番だめかも。この白人顔の人々が、こんなにフェンシングが形になってないとは。スピードが遅いし、上半身が動くと下半身とまっているし、腰がはいってないので肩の位置が安定しないし。これは、プリンシパル級のダンサーも同じでした。ABTの意外な弱点をみたようでした。

 

そうはいえども、さすがABTと思ったのは、3バカトリオのバレエです。こちらはお見事でした。演技のテイストはマクミランではないとはいえ、新国立バレエを観てあらためて認識した難しいステップを3人とも誰も脱落することなくきれいに決めていました。びっくりなのは、マキューシオ役のグレイグサルスティン。こんなによく働くマキューシオは初めてです。マキューシオというのは、おいしい役でもありますが、演技も踊りもかなりハードな役です。特に2幕後半は彼の場面ですしね。それなのに、ABTのマキューシオって、ティボルトと対決する前に、マンドリンのソロまで踊っちゃうのです。本日は、開演前にキャストをちゃんとみなかったので、2幕はじまって’マンドリンのソロは誰かな〜’と思ったら、いつまでもマキューシオが踊っています。それどころか、確かにこの振り付けはマンドリンのソロのはず、、、のところまで、マキューシオが踊り続けています。ロミオ並の体力です。グレイグサルスティンは、お顔もおじさん、頭もおじさん、なんで、もっとかわいい男の子をマキューシオにしてくれなかったのかしらと思っていました。そうか、これだけハードでも乱れることなく、踊りきれる人ならば、髪型がへんでもおじさん顔でもマキューシオをやれるチャンスがあるようです。

 

わたし、シムキンって好きじゃないのよね。こじんまりした男性ダンサーってだめなんですよ。それに、この子は、ガラでは俺様系だし、サポートがまだだめでしょう。日本では大人気みたいだけど、ありがたくないダンサーなのでした。が、うまいよね。今日みたいなリフトやパドドゥのない、男の子っという役柄だと、彼のバレエのうまさは光ります。脇に特にベンヴォーリオなんかに、このくらいのテクニックのダンサーを配置できるカンパニーのレベルは高いと思います。この子をみていると、ボリショイのワッシーを思います。この先、この子はどうなるんでしょう。もう大きくはなれないでしょうから、役が限られてしまいますよね。これからこの体格でやれるとしたら、’ラバヤデール’のゴールデンアイドル、’マイヤリング’のブラッドフィッシュ、’マノン’の乞食のリーダー、’眠れる森の美女’の青い鳥、主役ならば’ラシルフィード’くらいかな。ぱっと見なら、ロミオをいけそうだけど、バルコニーのパドドゥに耐えられる小さな小さなジュリエットがいればね〜。

 

先日、”ドンキホーテ”を見ながら、ハムーディ君にはパリスとかやってほしいわと思っていたら本日はパリス役でした〜。期待どおりの、スマートな良家のお坊ちゃま風、立ち姿はすぐに王子になれそうでした。この体型のよさは、パリオペのジョシュアオッファルト並みです。欲をいうならば、パリスでなくベンヴォーリオで踊ってほしかったわ。ハムーディ君のパリスは、最初はすご〜くやさしくて、ロミオがゴメスでなかったら、パリスで手をうっていただろうなと思たりしました。が、最後にジュリエットがごねるところは、怒ってすごく冷淡にジュリエットを扱っており、Oh〜、物語にありがちな、一見いい人だけど中味は怖い美形の脇役の典型みたいでした。パリスは、何度か背中を客席にむけて仁王立ちする場面があるのですが、このように美しい体型のダンサーは、後ろ姿でもみせてくれるわと思いました。

 

本日、大味でマクミラン的ツボからはずれていたな〜の一番の要因はわたしとしては、ジュリエットです。ジュリーケントは、年齢にしても演劇性にしてもジュリエットは無理でしょう。まあ、わたしの場合、ロイヤルのジュリエットと若さの小野絢子ちゃんでしかみてないので、はじける少女のようなジュリエットのイメージが頭にすりこまれていますからね。登場の瞬間から、あ、勢いないわ〜と思ったし、三幕の寝室のパドドゥは、どうしても先日のガラのマルグリットのイメージがつきまとい、少女が恋人に別れをおしんでいるというよりは、年上の娼婦が立ち去る恋人にすがりついているようにみえてしまうのです。三幕のベッドの淵で一生懸命に考えて初めて一人で決断する瞬間もただ泣いているようだったし、ジュリエットが恋をして少女として強くなっていく様子がみえないんですよ。最後に死ぬ前にキスをするのも、ドラマティックな効果をねらっているのかもしれないけど、ロイヤルのようにひたすら身体をひきづってロミオの側までたどりつくのがやっとというほうが好きでした。

 

ゴメス〜、ロミオっぽくないけど、素敵でした〜。ゴメスの繊細なバレエなら、きっとバルコニーのロミオのソロは素敵なはずと思ったとおり、ツボでした。ベローナの広場で踊りまくりのところは、時々、あれ、こういうステップでしたっけ?と思うようなとまりかたをするところがあって、それがゴメスのくせなのか、わたしがこれまでの人には気づかなかったのかわかりませんが、ちょっとこれまでのロミオと違ってみえたところもありました。バルコニーのシーンで、ジュリエットを脇に左に倒して、右に倒してのところ、ロイヤルは片腕をあげるのですけど、ゴメスはあげてませんでした。前にボッレもあげてなかったので、ABTではあげないのかなと思い残念でした。あそこは、ゴメスのエレガントなラインを描いてほしかったのに。彼は、サポートがすごくしっかりしていて、女性をとても丁寧に扱いますので、パドドゥが大変に美しかったです。またまた一部の人にしか理解いただけないノスタルジックなことを書きますと、ゴメスってやっぱりアダムに似ているのです。一幕、ベローナの広場で元気に踊りまくりのシーンをみながら、アダムがロミオを演じたときって、こんなだったのかなとか思ってました。わたしのノスタルジーはこの辺どまりなんですけど、友人たちは、仮死状態のジュリエットを抱き起こすところは、’Swan Lake'4幕を思い出したといってしみじみしてました。ロミオとしてのゴメスというのは、どう評価してよいのかわかりませんが、ゴメスはゴメス、素敵でした。

 

マクミラン版の’ロミオとジュリエット’は、最初から最後まで演劇性の強いバレエであり、絶え間なく踊るシーンが続き一瞬たりともつまらないシーンがない作品だと思います。本日も、いろいろな見所やダンサーの魅力を追ううちにあっという間に終わってしまいましたが、’ロミオとジュリエット’における恋愛的な若さゆえの高揚感には欠けていたと思います。この作品は感動できるものだと思いますが、ABTの本日のキャストと演出は、その類の感情を残すものではありませんでした。ABTって、人間的な深みを掘り下げて激しく感情を揺さぶるような演目より、エンターテイメント性の高い古典に向いているカンパニーなのかなと思ったりしています。見終わって楽しかった気持ちが残ることは確かですので。

 

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img034  ドンキホーテ アメリカンバレエシアター

2011724

東京文化会館(東京)

ドン・キホーテ  ヴィタリー・クラウチェンカ サンチョ・パンサ  ジェフリー・ガラデイ
キトリ  シオマラ・レイエス バジル  マルセロ・ゴメス
ガマーシュ  フリオ・ブラガド=ヤング ロレンツォ  アイザック・スタッパス
メルセデス 森の女王  マリア・リチェット エスパーダ  ジャレット・マシューズ
花売り娘  レナータ・パヴァム、シモーン・メスマー
ジプシーのカップル  ミスティ・コープランド、アロン・スコット キューピッド  ニコール・グラニェロ

 

コレーラのバジルも見たいわと未練たらたら、ジャパンアーツぴあの残席チェックしたけど、お安い席が残っていません。まあ、諦めるかとお友達のツイッターをのぞくと、24日のお昼にゴメスが踊るとFacebookに書いてあるというではないですか!それから1時間ちょっとくらいあとにジャパンアーツでも公式に発表になりました。コレーラがみたいどころの騒ぎでなく、チケット転売サイトをさがしまくりです。出ましたよ〜。ABTの来日公演に1階のしかもS席で観る日がこようとは。チケット転売くださったかた、すばらしいお値段で素敵な席をありがとうございました。

 

本日は、主役の二人がインパクト強すぎて、脇はちょっと印象うすいです。昨日よりよかったなと思ったのが、メルセデスのマリアリチェット。彼女は、NBAガラでもみたし、前回パドトロワかなんかでみています。容姿がはっきりしていて、役にあっていたし、森の女王のところは昨日の人よりよかったです。エスパーダは、ジャレットマシューズ、うすい人です。彼は、加治屋さんとよくパートナーを組むので、なんだかんだみているのです。作品も役もいいのやるんですけどね。ロットバルトとか、このエスパーダもそうだし、チャイパドでもみたし、白鳥のパドドゥでもみたし。バレエそのものは、きちんと踊れていると思います。でも、だからって感じ。おもしろみがないのよね〜。背が低いのも残念だし、髪だって無駄に金髪だわ。マシューズに落ち度はないし、何も悪くはないのですけど、ひかれないダンサーなのでした。エスパーダに手堅くこういう中堅どころをもってくるのは、安全策としてわかるけど、どうせなら、荒削りでも若手のイケメンじゃなかった若手の元気な男の子をばってきしてほしい役どころです。

 

シオネラレイエスは、前にバレフェスとかでも見ていたけど、あんまり印象になく、かわいくもなく、昨日のマーフィーがよかったのでどうかなと思っていましたら、これまた、すご〜いよかったです。彼女は、キューバの人なので、ブラジル人のゴメスとともに、これぞドンキのバジルとキトリという感じのラテンカップルでした。ゴメスが背が高いからなのか、背がちっちゃいのかわかりませんけど、舞台上では小さくみえて、ちょこちょこよく動いて本日は、かわいくみえました。かわいいだけでなく、この人もまた、技巧の人でした。結婚式のグランパドドゥのフェッテのところは、昨日のマーフィーの技にはかなうまいと思ったら、なんと、シオネラは、閉じている扇を回りながら、片手で開くという技を何度も繰り返したのです。す、すごすぎる。扇ひらひらもすごかったけど、ABTのプリンシパルともなると、ただ回転して終わるというのは許されないのでしょうか。昨日に引き続き、すご技をみせてもらい、これはガラでなく全幕ものの最後なのに、すごいスタミナと余裕だなと感心しました。

 

もう、すばらしすぎ!大好きゴメス!今日のこの日の彼を見逃したわたしのお友達は、深く後悔することでしょう。彼の全幕は、’白鳥’の王子とか’シルヴィア’のアミンタで観るたび、わたしたちは、彼のラテンの容姿に似合わぬやさしさとエレガントさにうっとりしたものですけど、本日の彼、ゴメスは、そんな王子の殻をやぶりすて、はめをはずしすぎたラテンの兄ちゃんと化してました。 あんなに繊細な王子の踊りができる人が、いったんラテンの血にもどると、ああなるのだわ。勢いあまって回転がぴったりとまらないくらいです。そして、セクシー〜。一部の方にしか理解いただけないかと思いますが、全盛期のセクシーなアダムを思い出して、ノスタルジックな目でゴメスをみつめながら、でも顔はにやけていくのが自分でもわかるほど、わくわくしました。客席から大拍手とともに投げキスおくりたくなるほどです。 ラテンの情熱で勢いはあるのだけれど、キトリにはやさしい〜し。力強いし。片手リフトは、こうあるべきだわ!と昨日のはらはらものの体験がうそのようです。レイエスは、余裕の表情で、空中で*)扇をひらひらさせてました。ホールバーグが、一瞬あげたと思ったら、腕がおれそうになってすぐおろした振り付けと同じものとはとても思えませんでした。ゴメスって、ホールバーグの一人だけ外見スターみたいなオーラと違って、まわりをまきこむ明るい雰囲気をただよわせているのです。周りの人々を盛り上げて、盛り上げて、客席にむかってもコミカルな表情でアピールしてきて、客席もコールドも一体になって楽しんだような気分でした。こんなに素敵なバジルを観れるなんて、今回のABT来日公演の収穫は大きいです。コレーラのファンの方の無念は痛いほどにわかりますので御礼をいっては申し訳ないかもしれないけど、今日のこの公演でゴメスを踊らせてくれてありがとう。幸せいっぱいの舞台でした。

 

ABTの’ドンキホーテ’の舞台しかみたことがないので、他のカンパニーでもこんなにレベルの高いものが見れるのかどうかわかりませんけど、本当に本当に楽しくて、ハッピーで、心踊る舞台でした。 ドラマティックなネオクラシックって、切ない恋に揺さぶられる舞台は時にありますけど、こうして、人として日常の営みに思いっきり幸せみたいな作品もいいなと思いました。それをまさに舞台いっぱい、からだごとでABTの人々は幸せふりまいてくれました。楽しかったです。

 

注*)これは、記憶違い。ここは、扇ではなく、タンバリンでした。いづれにしても、空中でタンバリン揺らす余裕があったのでしたよ。
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img034  ドンキホーテ アメリカンバレエシアター

2011723

東京文化会館(東京)

ドンキホーテ:ヴイタリークラウチェンカ サンチョパンサ:ジェフリーガラディ

キトリ:ジリアンマーフィー バジル:デヴィッドホールバーグ

ガマーシュ:アレクサンドルハムーディ ロレンツォ:ロマズービン

メルセデス・森の女王:ステラアブレラ エスパーダ:サッシャラデツキー

花売り娘:メラニーハムリック、ヒーセオ

ジプシーのカップル:ミスティコープランド アロンスコット キューピット:ジェマボンド

 

本日、わたくし、人生初の全幕生’ドンキ’、つまり、ドンキ初体験なのです。まわりのお友達にものすごくびっくりされましたが、出会うのに時間のかかる演目というのはあるものです。だいたい、これロバートは踊りませんし。わたし、バレエ公演は、基本的に男性ダンサーで決めます。バレエが美しく控えめで、サポートが絶対に上手でパドドゥでは相手を美しくみせながら、ソロになると断然光るというタイプの男性ダンサーが好きです。対極にあるのが、俺様系。わたしは、俺様系はだめなのです。数年のバレエ暦の中では、日本でみれるドンキは、俺様系のダンサーが演じていたことが多く、俺様でなければゆるいロシア系とか、必然的に作品から遠のかざるえなかったのです。 先日、マシューゴールディングとルグリの映像をみたところ、実はこの作品は、王子を踊れるエレガントなダンサーこそ似合う振り付けだとしりました。よきタイミングで、ホールバーグがキャスティングされ、やっと全幕に出会うことになったのです。

 

楽しかったです〜。ドンキ好きです〜。振り付けがすごく好き。優雅なバレエではないけれど、躍動感にあふれて、生命力を美しく表現するとバレエになるんだと思えるような振り付けです。それも一幕から三幕まで全編を通して、踊りまくり、主人公の二人だけでなく、お友達や町の人々まで退屈な振り付けがないのがいいです。しいていうならば、ドンキホーテが幻想をみるキューピットや森の精の場面がなければいうことなしです。わたしは、こういうのはあんまり好きじゃないのでしたよ。’くるみ’とか’眠り’とか、はなっから現実味のない御伽話ならいいけれど、’海賊’とか’ドンキ’みたいに人間模様が生生しいお話で、しかも躍動感にみちた雰囲気に、いきなり脱力しちゃうのよね、’夢’とか’幻想’とか都合のいい言葉の中で片付けるのはなしにしてほしいです。まあ、そういう場面が楽しめるバレエファンになるには修行がたりないってことでしょうか。

 

脇から書きますと、ガマーシュがアレクサンドルハムーディ君というのが、嬉しいような悲しいような。コミカルなメークが残念です。貴族の立ち姿はすてきで、顔から下ならそのまま王子なんだけど。ガマーシュは、そういうメークだからしかたないです。それも残念だけど、ガマーシュは踊らないのよね。映像でみたKバレエでは、最後にガマーシュ踊るから期待してたのですけど、ABTでは踊りません。ハムーディ君、この役やるより、闘牛士の一人でも踊ってほしかったわ。あ、そうか、彼が闘牛士の一人になると、エスパーダに悪影響がでますね。ロミジュリでは、せめてパリスなんかどうでしょう?余談ですけど、スタイルのすばらしさは、ハムーディ君もさることながら、ドンキホーテを演じた方が背が高く、とてもすらりとして、かつては王子だったのではないかと思いました。

 

メルセデスと森の女王のステラアブレラは、遠めには東洋系の容姿にみえます。それで、最初、あれ、加治屋さんが大きくなったのかなとか、ヒーセオ今日、この役だっけ?とか最初混乱したら、ステラバウレラでした。この役の人は、けっこう大胆に踊れて華のあるダンサーがやるのかと思いましたけど、この人はわりと地味でした。森の女王もぱっとしなかったし。キューピット役は、興味がないのでわかりません。

 

昨年2月にホールバーグに聞いたときは、彼がエスパーダやるって言ったので、じゃあゴメスがバジル♪とか思っていたけど、本日のエスパーダはサッシャラデツキでした。外見は地味ですね。背も高くないし。でも上手。これで、あと手と脚が10cm長くて、背がそのぶん高ければかっこよかっただろうな。エスパーダは、かっこいいお衣装にかっこいいポジションで踊りますでしょ。映像では、そのわりに容姿もテクニックもそろった人でみたことがなく、それゆえ甘い期待はしないでみたのはよかったです。そうでなければ、ラデツキのよさを見逃すところでした。欲をいえば、コリーンスターンズのほうでみたかったです。あ、そうそう、前々回のとき、ホールバーグがエスパーダ踊ったそうです。今みたいにバレエは上手でなかったかもしれないけど、かっこよかったことでしょう。でも、バレエが上手でなかったというのが、どこまでどうだったか。いつの日か、容姿もテクニックもそろったエスパーダで、俺様でない貴公子系ダンサーのドンキをみることがわたしの目標です。

 

花売り娘は、だいたい二人とも二人で踊っていると上手だけど、三幕ソロになるとやっぱり吸引力にかけるねというダンサーが多いかと思うのですけど、マラニーハムリックがそうでした。二人で踊る時は、ハムリックのほうがかわいくていいわと思っていましたけど、ソロになったら、ヒーセオのほうが生き生き、みせる踊りになっていました。主要な脇役って、器用だけど華がないという人が時にいますが、ヒーセオは華もあるみたい。女の子の俺様系ですし。わたし、女の子の俺様系はいいのです、嫌いじゃありません。この子は、たぶん、近い将来加治屋さんより上にいくことでしょう。

 

キトリのジリアンマーフィーは、先日のサイン会のとき、ちょっと淋しそうにみえて、イーサンがいないからねと思っていましたけど、本日は元気全開、回転女王はすばらしかったです。オレンジがかったローズ色の最初のお衣装が、よくみる真っ赤なキトリのお衣装と印象を違えており、やわらかいやさしい印象でした。スペインの女の子というよりは、バジルのホールバーグの容姿もあり、アメリカの若いカップルという感じでした。’白鳥の湖’の時にも思ったのですけど、ジリアンってはかなくてかわいそうなオデットでなく、夜の街でがんがん遊んでいそうなオディールが本当にみえたように元気な女の子が似合います。キトリはそのよさがでていたと思います。圧巻は、三幕の結婚式のグランパドドゥ。最後の扇をもったフェッテのところをダブルトリプルいれながら、扇をもった腕をひらひらさせるのです。黒鳥の32回転の時も腕を翼のようにひらひらさせてすご〜いと思ったけど、それ以上でした。イーサンがいなくて淋しくても、回転女王の技巧は健在でした。

 

ホールバーグはね〜、好きなダンサーなのです。でも、のめりこむほど好きじゃない微妙なダンサーです。前回、コンラッドを踊ったときに、恵まれた容姿なのに、バレエテクニックがあと一歩一流でなくて、おしいわ、おしいわと思ったことを思い出しました。あれから、ガラでみるたびに、バレエが上手になったわ、いいダンサーになったわと思っていたのです。が、彼って、外見の華やかなスター性と瞬発力があるガラ向きダンサーだと本日思いました。全幕は、やっぱりあと一歩おしい〜のです。すごく丁寧に踊れるようになったので、回転とか、腕や脚をすっとのばしたラインは、超美しい。自分の生まれもっての美しい特徴を存分にいかせるようなバレエができるようになったなと思います。でも、基本的に才能の人、天性のうまさのある人のバレエではないので、ほんの一瞬、早い動きのところとかに、あらがでてしまうのです。彼がこれほど目をひく主役容姿のダンサーでなければ、そんなに気にならないかもしれないけど。彼の華やかな容姿は両刃の刃なのね。決定的に改善が必要なのが、腕力。リフトです。コンラッドの時から、リフトが弱いなと思っていたけど、ここは成長してないです。バジルが片腕でキトリを高くかかげるところは、2回ともどうなるんだというくらい怖かったです。これがトラウマとなって、三幕のフィッシュダイブにうつる前のリフトは息をのんでみていたとのことです。(と、隣のお友達に指摘されました)腕のばせないんじゃないか、おとしちゃうんじゃないかと内心ひやひやしていたのでした。なんで、わたしがホールバーグのためにこんな心を痛めねばならないんだと不本意ですが。ま、でも無事に切り抜けられてよかったです。ABTの結婚式のお衣装は、二人とも白で、着る人が着ないときれいにみえないものですが、ジリアンとホールバーグの美男美女カップルは、”眠れる森の美女”なみのゴージャスさでした。はらはらさせてはくれたけど、王子系のバジルがやっぱりいいわと思いました。そうだ、余計なお世話ですが、このままだと、ホールバーグ、’オネーギン’も’椿姫’も’マノン’も踊れなくなるわ。腕立て伏せして、是非、難しいリフトに耐える腕力とバランス感覚を鍛えてください。

 

ダンサーもよかったし、何より’ドンキホーテ’の作品が楽しくて、いい公演でした。’ドンキホーテ’は、これからは、積極的に見たい作品になりました。願わくば、俺様でなく、控えめな王子がキャスティングされてくれることを祈ります。あしたの公演もみたいけど、’ドンキ’は1回かぎり。来週は、いよいよ’ロミジュリ’です。楽しみ!

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img034  オープニングガラ アメリカンバレエシアター

2011721

東京文化会館(東京)

 

夏のバレエシーズン第2弾は、アメリカンバレエシアターの公演です。これから、1週間ちょっとで、5公演みます。それも、平日4公演というかなり無茶なスケジュールですので、間に夏休みをはさみながら、エンジョイしたいと思います。本日は、客入りはぱっとしないものの、終演後ダンサーのサイン会は大勢人がいました。後ろのほうに並んでいたので、大半のダンサーが帰ってしまい残念でしたけど、アンヘルコレーラは自ら歩いて後ろの人まで、(大人になってしまったけど)天使のほほえみを浮かべてサインしてくれました。いい人だ。

 

《アレグロ・ブリランテ》

 <振付:ジョージ・バランシン 音楽:P.チャイコフスキー>
パロマ・ヘレーラ & コリー・スターンズ

メラニーハムリック、シモーンメスマー、ルシアナパリス、ヒーセオ、

グランドデロング、ローディドーブル、ジョセフフィリップス、エリックタム

 

バレエ観始めの頃は、バランシンのアブストラクトバレエは、退屈で苦手だわ〜と思っていましたけれど、最近は、こういうのがバレエらしくて好きだわと思うとバランシンだったりします。ドラマティックなバレエが好きなのですけど、ダンサーの本当の表現力や技術が顕著にみえるのは、こういう作品かなと思います。コリースターンズは、前回は、まだプリンシパルになる前で、’白鳥’でスペインを踊っており、上手い子がいるわ〜と皆で話していたらやっぱりきましたね。外見的には、特に華のあるダンサーではなく、テクニックも超技巧系というわけではないですけど、まじめな感じの素直なバレエに好感がもてます。ちょっと、ロミオも見てみたかったなと思いましたけど、平日3連続は無理なので、残念です。ヘレーラは、最初誰だかすっかり忘れていて、あれは誰?とか隣のお友達に聞いたら’ヘレーラでしょ’といわれ、なんか前回より若返った気がしました。脇の4組もよくまとまっており、ヒーセオさんが目立ってました。



《トロイカ》 <振付:ベンジャミン・ミルピエ 音楽:J.S. バッハ>
サッシャ・ラデツキー、ダニール・シムキン & トーマス・フォスター

 

ちょっと期待してましたけど、あんまり好きじゃなかったな。若い3人の男の子が踊りますので、跳ぶ動作のところは、まあ♪と胸が高鳴るようなところもあるのですけど、ダイナミックな動きのわりに単調でした。あと、この3人組のビジュアルバランスがいまいち。シムキンが子供みたいで、ものすごく軽くて、他のダンサーがやったら、どうなるのかなと思いながらみてました。’ブラックスワン’の振り付けの人だそうです。そういえば、’ブラックスワン’の振り付けもあおられたわりには、好みじゃなかったです。

《「くるみ割り人形」のグラン・パ・ド・ドゥ》 <振付:ラトマンスキー 音楽:P.チャイコフスキー>
ヴェロニカ・パールト &アレクサンドル・ハムーディ

 

これは、ラトマンスキー振り付けの作品ということで期待していました。でも、やっぱり全幕でみないと、この箇所の意味というか位置づけがわかりにくいです。普通のくるみ割り人形のパドドゥとは違っており、金平糖の精と王子というよりも、お姫様と王子様なのか、クララと王子様なのか、とにかく二人は恋愛関係にあるようにみえました。王子は、女性ダンサーをすごく大事に大事にサポートして、女性ダンサーはうっとりと王子に身をまかせてよりかかるかのような振り付けです。ヴェロニカパールトさんは、お人形みたいにかわいかったので若いのかと思ったらそうでもないみたいです。で、わたしたちお友達間でも、プチ評判だったのが、王子役のアレクサンドルハムーディ君です。遠めには、スタイルもよいし、お顔もかわいっぽかったのですが、さきほどWebではっきりと画像をみたらそうでもなかったです。でも、踊りはよく、王子のバリエーションがないのが大変に残念でした。やっぱり、全幕でみたいな、ラトマンスキーは。

《ディアナとアクテオン》 <振付:アグリッピーナ・ワガーノワ 音楽:チェーザレ・プーニ>
シオマラ・レイエス & ホセ・カレーニョ

 

お見事でした。この演目は、ガラではよくみますけど、世界バレエフェスティバルでもなければ、ベテランはそうそう踊ってくれず、通常のガラでは若手が踊る演目でしょう。ホセカレーニョは、お顔とか体型が好きじゃないので、積極的に彼の公演のチケットを買うというダンサーではありませんが、上手いですね〜。こういう上手いダンサーがクラシックをびしっと踊るとこうなるというお手本みたいでした。ディアナのパートは、わたしは、なぜだかヤーナサレンコが踊ったときが印象深く、彼女のような細くてやわらかい線をイメージしていましたが、レイエスは太くてしっかり安定という感じで、それはそれで、カレーニョのパワーフルな踊りとマッチしてよかったです。

《チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ》<振付:ジョージ・バランシン  音楽:ピョートル・チャイコフキー>
イザベラ・ボイルストン&アンヘル・コレーラ

 

先日、お友達とお食事をしていて、’アンヘルコレーラって生でみたことないのよね〜’というと、’え〜’といわれました。前回、怪我でイーサンと交代したので、チケットは買っていたけどみれなかったし、その前日本にきているときはバレエそんなにみてなかったのかな。コレーラももうかなりベテランで、自分のバレエ団のお仕事が忙しく、とりあえず間に合ってよかったです。この人は、ロシア系でもなく、パリオペとかロイヤルとかでもなく、どういう教育の人なのかしらと系統的にはよくわからないのですけど、才能のあるしっかりしたバレエのできる人だなと思いました。人の噂では跳んだりはねたり系なのかと思っていましたけれど、細かい普通のところが上手い人のバレエでした。ボイルストンは、若さにまかせて体育会系、もう少し丁寧に踊りましょう。まだまだ修行が足りない踊りでした。音楽のスピードがとても速くて、もっとゆっくり踊ってみせてほしいなと思いました。最後のダイブして抱きとめるところは、なんかタイミング呼吸一つ分早く構えすぎのような気がしましたし、二人して、最後の回転のところバランス崩したのは残念でした。この演目は好きだし、コレーラの年齢はいってますけど、爽やかなチャイパドはいいなと思いました。クロージングガラも楽しみです。

《「椿姫」第3幕(黒)のパ・ド・ドゥ》 <振付:ジョン・ノイマイヤー 音楽:F.ショパン>
ジュリー・ケント & マルセロ・ゴメス

 

今回、期待度No.1の’椿姫’、それも大好きなゴメスだったのですけど、わたし的にはちょっとだめでした。まず、わたしピアノの演奏が気になって舞台に集中できなかったのです。わたしは、音楽の細かい違いがわかるような人間ではないのですけど、今回のピアノの感じは、あきらかにこれまで聞いた黒のパドドゥとは感じが違っていたのです。たしかに、ずっとパリオペのDVDを見たあとに、ハンブルグのDVDをみたとき、ピアノも違うのね〜と思ったことは思ったのですが。この音楽って、音楽そのものがドラマティックで聴いているだけで鼓動が高まるようなところがあるのですけど、今回のピアノはピアノだけで、その盛り上がりを楽しんでいておぼれているような気がして、バレエの盛り上がりと微妙にずれているような気がしたのです。音がバレエより先に物語を勝手につむいでいるようで、なんかバレエ的にのめりこみたいところで、現実にひきもどされてしまったのです。ジュリーケントは以前にもみたし、そんなにいいと思ったことはありませんが、今回のこの役は今まで彼女を見た中で一番よかったし、意外とマルグリットはあうかもと思いました。お友達は、ゴメスは、とてもよかったといったのですけど、わたし的にはう〜んでした。アルマンのこの場面にしては、やさしすぎますし、1幕と2幕と3幕前半のドラマを経たアルマンの経験と苦悩と情熱をもっと凝縮してみせてほしかったと思うのです。この場面は、ガラでよくやられますけど、一瞬でそれまでの恋愛模様をうつさないと、マルグリットの切なさや哀しみもアルマンの傷ついた情熱も伝わらないのよね〜。ゴメス、大好きなのに。彼って、ガラでは本領発揮できないのよね。当初、全幕は’ロミジュリ’でなく、’椿姫’が予定されていたのに。全幕で見なければ、彼のアルマン像が見えません。残念です。


Thirteen Diversions <振付:クリストファー・ウィールドン 音楽:ベンジャミン・ブリテン>

ジリアン・マーフィー 、デイヴィッド・ホールバーグ、ヒーセオ、コリースターンズ

マリアリチェット、シモーンメスマー、ジャレットマシューズ、アレクサンドルハムーディ

 

ウィールドンは、たしかロバートとロイヤルバレエスクールでいっしょだった人ではないかな。前にダンスマガジンで読んだことがあるような。最近、名前はよく耳にする振り付け家ですけど、作品を見たのは多分初めてです。もっと、崩したコンテンポラリーかと思っていたら、基本的にはバレエ的な振り付けでした。最初の出だしの音楽と照明がなぜだか、スピルバーグとジョンウィリアムスの音楽で作り出すイメージを彷彿させ、アメリカだな〜と思いましたが、後にはそういう雰囲気はひきずりませんでした。メインの男性4人が、金髪、黒、金髪、黒という並びになっており、ねらったのかなと思いました。4組で踊ると、テクニックの違いとかで際立つ組があるわけではないのですけど、ホールバーグは外見的にインパクト強いです。手足ながくて、金髪きらきら、近くでみるとこわいけど、光る青い瞳が舞台では映えます。それに、回転女王のジリアンと組んだパドドゥになるとスターだなと思います。コリーンスターンズとヒーセオも手堅く丁寧でいながら大胆でよかったと思います。くるみ割りの王子アレクサンドルハムーディも、よき印象フィルターでみたせいかいい感じでした。ジャレットマシューズは、金髪という以外は、悪くはないけど、平凡でした。ABTのコールドの人々も、プリンシパル級のメインの人々もテクニックとしては申し分ないので、踊れる人が踊っていると思いますので、作品に対する表現力は申し分ないと思います。が、作品としては、パドドゥなど、どこかでみたようなリフトやつなぎが感じられ、ものすごくオリジナリティがあって才能を感じるような作品ではなかったです。バレエ的な振り付けながら、ここ一番というところで、きれいな線を出さないような動きに展開するところが多々あって、あ〜、ちょっとわたし的にははずしているわと思うところがありました。このくらいの長さで、このくらいの人数で、みせれる作品を作るというのは大変なのだわと思いました。バランシンの偉大さを最後にまた感じました。

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img034  マニュエルルグリの新しき世界 Bプロ

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ゆうぽうと(東京)

 

本日も暑かったです。例年なら、ゆうぽうとは冷えすぎ対策の上着必須ですが、今年は節電のせいで、上着でなく、扇がデマチ以外にも必須です。この暑さと興奮、原発事故でいろいろあっても、夏のバレエシーズンをむかえられた喜びとともに記憶されることでしょう。

 

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「ビフォア・ナイトフォール」
振付:ニル・クリスト 音楽:ボフスラフ・マルティヌー
ニーナ・ポラコワ、ミハイル・ソスノフスキー
高村順子-宮本祐宜、佐伯知香-松下裕次、吉川留衣-長瀬直義

この演目は、2007年のルグリ先生のガラで、パリオペの若者たちが踊ったのをみたことがあり、けっこう楽しみにしていました。アグレッシブなエネルギーにみちたバレエだったように記憶しています。最初に4組がきれいに配列されて踊っており、あんなにうまくてスタイルのいい人、東京バレエにいたっけ?と思ったら、ニーナポラコワでした。つまりは、ウィーンのペアと東京バレエのペアは、遠めにみたビジュアルバランスはとれていたということでしょう。東京バレエのペアは、どこもなかなかきれいに踊れており、特に長瀬君&るいさんペアはよかったです。そういえば、なんで長瀬君は、昨日の5人組にいなかったのでしょう?東京バレエの3組がはけて、ウィーンペアのパドドゥになります。現代作品ながら、基本の動きはバレエで、ちょっとドラマっぽいところもあり、やさぐれたソフノフスキーを軽くあしらうポラコワがかっこよかったです。パリオペの時は、もっとたくさんのペアがいて、なぜだか男の子同士のペアもいて不思議な感じがしていましたけど、今回は普通の男女のペアだけで、そういう疑問はありませんでした。よかったです。

 


「ドン・キホーテ」
振付:マリウス・プティパ/ルドルフ・ヌレエフ 音楽:レオン・ミンクス
リュドミラ・コノヴァロワ、デニス・チェリェヴィチコ

 

回転担当リュドミラの出番です。’ドンキ’もガラには定番で、どうやらこの二人は、今回典型的ガラ演目要員だったようですね。でも〜、チェリェビチコ君もリュドミラも平凡すぎ。日本の客に’ドンキ’をみせるならば、もうちょっと覚悟して踊ってくれないとね。多分、ウィーンで舞台にたつとき、テープ録音なんて使うことないんでしょうね。あそこは、りっぱなウィーン歌劇場のオーケストラがひかえていますもの。チェリェビチコ君、テープの感覚になれていないらしく、なんか音楽にのれてなくて、踊りに集中できないけど、がんばらなきゃみたいなのがみえてちょっとかわいそうな感じがしました。ガラでは、誰でも知っている定番演目は必要かと思いますが、日本のルグリ先生のガラにくる客にみせるなら、相当レベルを用意してくれないと。もう少し、ウィーンらしい、このペアが得意な演目はなかったのでしょうか?ヌレエフ版は、ルグリ先生のパリオペ映像が残っているだけに、このレベルは辛かったです。


「モペイ」
振付:マルコ・ゲッケ 音楽:C.P.E.バッハ
木本全優

最初、演目発表になったときに、これは、誰が踊っても負け戦だわと思いました。ゲッケの’モペイ’をフォーゲル以上に踊れるダンサーはいないだろうし、日本のお客は、すでに前回体験ずみですから。そこそこ経験もある名の知れたダンサーが挑戦するならわかりますけど、無名の日本人ダンサーが踊るなんてね〜。と、思ったら、びっくり!木本君、すご〜くよかったです。 フォーゲルが前日’ファンシーグッズ’ を踊っているのに、気後れすることなく、しっかりと自分の’モペイ’を体得しているなと思いました。彼は、本当に体型にめぐまれており、しかも、きちんとバレエの基礎がからだの中にたたきこまれているので、こういう崩した振り付けでも、作品として見ごたえのあるものになっています。からだのきれがよいです。それに、暗闇の中でスポットライトが真ん中にあたり、上半身裸で黒いパンツ姿で一人踊りきるというのは、華のあるダンサーにしかできない技です。こういう内容でみせる作品にするゲッケもすごいけど、それを踊りこなせる才能をもったダンサーがここにもいたのだわと感慨深かったです。

 


「椿姫」より 第2幕のパ・ド・ドゥ
振付:ジョン・ノイマイヤー 音楽:フレデリック・ショパン
マリア・アイシュヴァルト、フリーデマン・フォーゲル

これは、今回、たぶん当たりかはずれのどっちかで、過去の実績から、たぶんはずすなと思っていたら、やっぱりでした。ノイマイヤーとアイシュバルトをもってしても、フォーゲルのドラマティックな表現力の欠如は、うめられませんでした。’椿姫’は、ハンブルグが本家のように思われがちですが、シュツットガルトバレエが本家本元なのです。昨年、マラホガラでマリインとアイシュバルトが踊った黒のパドドゥは、忘れられません。一瞬で、物語の世界にひきづりこまれ、アルマンの情熱とマルグリットの切なさに胸がかきむしられるほどに心高まったものです。そのアイシュバルトがパートナーですから、期待が少しはあったのですけど。 白のパドドゥは、アルマンとマルグリットが一番幸せな時のシーンです。どうして、フォーゲルって、一番幸せなシーンを選んでは、幸せな表情のできない男なのでしょう。マルグリットに対して愛がないのですよ。形は、きれいにきまっているのに、心がはいっていないの。どうにかならなかったのだろうか。残念すぎます。このパドドゥを踊りたいダンサーはいっぱいいると思うし、シュツットガルトにいたからといって、誰でもアルマンにしてもらえるわけではないのに。誰か、フォーゲルに演じるということを教えてやってください。そうだ、今夜、シュツットガルトでは公園のスクリーンで’椿姫’が公開されます。スージンとマリインが踊るそうです。つくづく観たかったです。

 


「クリアチュア」
振付:パトリック・ド・バナ 音楽:デム・トリオ(トルコの伝統音楽)、マジード・ハラジ、ダファー・ヨーゼフ
上野水香、パトリック・ド・バナ

 

やっぱり、この人たちは合うと思います。演目としては、別におもしろくもないし、感動もしなかったけど、悪くないし、きちんとした作品にしあがっています。なんたって、天然パンチパーマでタトゥーのはいった外人さんと対等に踊って負けない女性ダンサーが東京バレエには、上野みずかをおいて他にはいないでしょう。今回のガラで何がよかったといっても、上野みずかさんにやっとあるべきポジションがみえてきたことでしょう。東京バレエやめて、ドゥバナについていくというのはどうかしら?


「マノン」より 第1幕のパ・ド・ドゥ
振付:ケネス・マクミラン 音楽:ジュール・マスネ
ニーナ・ポラコワ、マニュエル・ルグリ

ルグリ先生のデグリューは、前々回のエトガラで、ルンキナちゃんと見たことがあります。年齢的にデグリューって感じじゃないけど、模範演技みたいと思った記憶があります。今回、ルグリ先生、パリオペのお衣装でなく、ウィーンの着てました。ポラコワは、先生には、ちょっと大きすぎるように思えましたけど、サポートにかけては一流のルグリ先生らしく、少しも違和感なくパドドゥきめていました。ポラコワは、たぶんレスコーの愛人はやったことあるけど、マノンはないと思われ、嬉しくてしかたなさそうでした。ルグリ先生とマノンを踊る人って、なぜだかマノンとして嬉しいっていうより、ルグリ先生とマノンを踊ることをすごく楽しんでいるように見えます。それで、好みとしては、ルグリ先生のデグリューって好みではないのですけど、なんというか、さすがベテランで、デグリューのツボどころをおさえており、あるべきところであるべき盛り上げ方をする、う〜んうまい!と感心しました。フォーゲルは若くて美しくて、デグリューにはぴったりのはずなのに、どうもツボどころをことごとくはずしていたので、本日は、そうそう、デグリューはこうでなくちゃという踊りと表現のツボの確かさに胸のすく思いでした。が、デグリューっていうのは、わたしにとっては特別思いいれのある役ですから、こんなことで満足はできません。できることなら、フォーゲルとルグリ先生のデグリューを足して2で割ってみたかったと思いました。

 

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「サイレント・クライ」
振付:パトリック・ド・バナ 音楽:J.S. バッハ
パトリック・ド・バナ

もうドゥバナはいいわ。音楽はきれいだし、みていてうんざりな振り付けではないのですけど、特に心を揺さぶられるようなものでもなく。これ、もうちょっと踊れるダンサーが踊れば、見ごたえあるのかな?とか、なんで、こういうダンスをわざわざ作るのかなと雑念いっぱいでみていました。ルグリ先生の彼じゃなければ、ドゥバナのソロをみることはなかったのだろうなと思います。わたしは、彼の才能はよくわかりません。

 


「グラン・パ・クラシック」
振付:ヴィクトール・グゾフスキー 音楽:フランソワ・オーベール
リュドミラ・コノヴァロワ、ドミトリー・グダノフ

回転担当のリュドミラ再登場です。いうほど、上手じゃないんだけど。’グランパクラシック’もね〜、日本はそれなりのダンサーで見慣れているので、ぱっとしませんでしたね。古典の国の超一流バレエカンパニーのプリンシパルが助っ人にきているというのに。グダノフ、寒い国の人には、真夏のガラはだめなのかも。ガラにはふさわしい演目ですけど、ときめかなかったな。

 


「カノン」
振付:イリ・ブベニチェク 音楽:オットー・ブベニチェク、ヨハン・パッヘルベル
デニス・チェリェヴィチコ、ミハイル・ソスノフスキー、木本全優

まあ、なんとなく想像どおりの’カノン’でした。イリが踊る時って、まわりもそれなりの人が踊っているし、振り付けよりも踊っているダンサーの力量でみせていたと思うのです。この3人組は、平凡でした。ちゃんと踊れてはいましたけれど、まあ、テイストが違うわ、ウィーンの個性だわと思わせるほどのインパクトはなく。今のところ、イリ、サーシャ、マチュウでみたエトガラの’カノン’にかなうものなしでしょう。

 


「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」
振付:ジョージ・バランシン 音楽:P.I. チャイコフスキー
バルボラ・コホウトコヴァ、フリーデマン・フォーゲル

これは、今回、ルグリ先生ガラ一番のすばらしい演目でした!これまで数々のチャイパドをそれなりのダンサーでみましたけれど、今日ほどにときめいたチャイパドはなかったかも。これこそ、ガラではチャイパド、チャイパドはこうあるべき、いえいえそれ以上でした。フォーゲルのお衣装は、シュツットガルトのチャイパドのお衣装です。フォーゲルのバレエテクニック全開です。この子は、本当にバレエが上手。こういう演目を本当に美しく、見事に踊りきります。そして、何がいいって、これだけ踊れて、俺様系でないってこと。みせつけないのです。やっぱりいいダンサーだわ、フォーゲルって。今回のこのすばらしさは、’オネーギン’のレンスキーをみた時以来です。あれから、何度も何度も失望したし、もうフォーゲルってばかかもしれないと残念な思いもしたけど、本日のチャイパドで何もかもふっとびました。コホトコヴァももちろんよかったです。ほほえみ全開で踊る幸せそうなフォーゲルをみながら、どうして同じパートナーなのに、’マノン’の寝室のパドドゥで、こういう表現ができなかったのかと悔しくなるほどです。この演目みながら、明日も来たいと思いました。(行かないけどね)

 


「オネーギン」より 第3幕のパ・ド・ドゥ
振付:ジョン・クランコ 音楽:P.I. チャイコフスキー
マリア・アイシュヴァルト、マニュエル・ルグリ

締めはやっぱり’オネーギン’です。昨日の疑問を思いながら(アイシュバルトはパートナーで演技をかえているのか?)、昨日より回数多めにオペラグラスを構えてみましたけれど、謎はとけませんでした。今日は、アイシュバルトの演技の違いに気をとられてアイシュバルトばかりをみていたというのもあるのですけど、ルグリ先生、オネーギンとしてはうすかったです。存在がうすいとかでなくて、オネーギンっていくら相手のダンサーに注目していてもついオネーギンに目がいってしまうような強い個性があると思います。けど、ルグリ先生のオネーギンって、よおく考えるとどういうオネーギンだかオネーギン像が浮かびにくいのです。ルディデールがタチアナをやったときもみましたけど、あの時もルディエールのタチアナの演技が強く印象に残っており、ルグリ先生はどうだったか忘れました。シュツットガルトの男性たちは、それぞれが根本的にオネーギンになりながら、ずいぶん個性的に自らの演技をしていたように思えます。生まれながらにあまりにナチュラルに自分の生き方をつらぬくイリ、若い日のあやまちをすっかり悔いて人がかわって切ないジェイソン、年齢重ねても自信満々挫折をしらないバランキ、どのオネーギンにもみているわたしが心揺らされた覚えがあります。でも、ルグリ先生って、いつもパートナーを美しくするサポートをしているように、オネーギンがタチアナの添え物になっているような感じがしました。アイシュバルトは、昨日とちょっと違っていたのは、多分グルーミンとの生活は平凡で、少女の頃、小説で夢見ていたようなときめきがなく、でもそういうときめきにあこがれる心が奥底にひそんでいて、一瞬、オネーギンとの関係に冒険してみようかと思ったりして、いえいえ、やっぱりそういうのはだめだわと常識の生活にかえっていったようにみえました。タチアナは、オネーギンとの恋に揺れていたのではなく、自分自身の願望と現実に揺さぶられ、オネーギンの再出現がきっかけにすぎなかったような、本日はそのようにみえました。2005年の時と今年と、アイシュバルトはルグリオネーギンには強い愛と欲望がみえなかったなと思います。でも、この二人の繰り広げる世界は格別で、感動はしましたけど、パリオペの’オネーギン’は、シュツットガルトとは違うというのは、こういうことなのかなと思ったりしました。

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img034  マニュエルルグリの新しき世界 Aプロ

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ゆうぽうと(東京)

 

当初、8月にはニコラのガラが予定されており、そちらに気合いれてお金つぎこむために、ルグリ先生の公演は、パスしようかと思っていたくらいですけど、一応、おさえておくべきとお安い席を買っていました。原発事故のせいで、いろいろあったけど、ルグリ先生は来てくれると信じてましたから、チケット買っておいてよかったです。バレエが観れるということは幸せなことだと、今年にはいって何度も実感しています。

 

1

「ホワイト・シャドウ」
振付:パトリック・ド・バナ 音楽:アルマン・アマー
マニュエル・ルグリ、パトリック・ド・バナ
吉岡美佳、上野水香、西村真由美
松下裕次、氷室 友、小笠原亮、宮本祐宜、岡崎隼也
高木 綾、奈良春夏、川島麻実子
梅澤紘貴、谷口真幸、井上良太、杉山優一、中村祐司
吉川留衣、矢島まい、渡辺理恵、河合眞里、河谷まりあ

前回のルグリの新しき世界のAプロは行かなかったので、この演目は初めてです。TV放送したのは録画してあるけど、まだみないまま残っているはず。一部は、この作品のみです。長かったです。くらっときそうになりました。ま、はっきりいって面白くなかったです。東京バレエのために振付けられたそうですが、東京バレエにはちょっと荷が重いかも。作品そのものがそれほど、面白みのあるものではないので、ダンサーの力量が出る作品だと思います。吉岡美佳さんは、わたしは好きなダンサーなのですけど、この手の作品向きじゃないです。彼女は、情感を求められるドラマティックな演技はできるけど、テクニックを駆使して、内面的なものをみせるような技術力のある人ではないと思います。巫女さんみたいでよかったという感想を聞きますけど、そういうインパクトにも欠けていました。この作品は、このパートを踊る圧倒的な吸引力を持つダンサーが欠けていると作品そのもの力が激減すると思います。あと、主要な男性パートを踊る5人組が、さっぱりでした。だいたい東京バレエの男の子たちは、そろえて踊ろうという意識は、いつもはなっからないです。一人ひとりが、もっとバレエとかダンス的にしっかりと芯のとおったきっちりした踊りができるなら、こういう個性重視のばらばらもいいのでしょうけど、それぞれが、まあまあ、誰もうまくないのに、ばらばらではただのばらばら。踊る人が踊れば、けっこうかっこいい振り付けだというのに、見所なしでした。意外とよかったのが、上野みずかさん。やっぱり、この人は、踊るべき舞台があれば踊れる人だったのだと再認識しました。ドゥバナとの組み合わせが、ビジュアル的にもバランス的にもしっくりきており、彼女の長い手足と、ワイルドな天然パンチパーマのドゥバナは、舞台上でもっともスタイリッシュな空間をつくりあげていました。ドゥバナが、みずかさんのために、二人のコンテ系のパドドゥを作ってあげるといいかもと思います。ルグリ先生、やきもちやかないでね。ルグリ先生は、引退してもなお、こんなにもしっかり踊ってくれるとは驚きでした。わたしがみたいタイプのダンスではないにしろ、基本的なうまさとサポートの確かさは健在でした。一部全部が、’ホワイトシャドウ’というのは、嬉しくはありませんが、これは、ルグリ先生へのご祝儀、先生とドゥバナのためのバカンス演目ととらえてよしとします。本気でみるなら、シュツットガルトかパリオペの男の子たちに踊ってほしいです。

 

2
「海 賊」
振付:マリウス・プティパ 音楽:リッカルド・ドリゴ
リュドミラ・コノヴァロワ、デニス・チェリェヴィチコ

 

ガラに、’海賊’はお約束のようについてきます。チェリェヴィチコ君は、2009年に、涙の’ロミジュリ’ウィーン遠征の時にマキューシオを踊っていたのをみましたのでよく覚えています。クランコ版のなかなか死なないマキューシオは彼のヴィジュアルにもよくあっていました。リュドミラが、少し彼には背が高すぎるのか、サポートがぎこちなく、ソロの部分はちゃんと踊れてはいるものの、とりたててびっくりもなく、あまりいい選択ではないかと思いました。が、これは、チェリェヴィチコ君のためではなかったのだね。リュドミラは、メドーラの回転のところ、ダブルをばんばんいれながら見事にまわりきりました。なかなかいいかもと思っていたら、彼女のすごさはこれだけではなかったのです。


「マノン」より 第1幕のパ・ド・ドゥ
振付:ケネス・マクミラン 音楽:ジュール・マスネ
バルボラ・コホウトコヴァ、フリーデマン・フォーゲル

 

わたしは、てっきり、出会いのパドドゥでデグリューのソロ入りだと勝手に思い込んでいましたら、’寝室のパドドゥ’でした。フォーゲルのデグリューは、バレフェスの時、けっこうがっくりきた記憶があり、今回は少しはよくなっているかしらと思ったら、少しはよくなっていました。髪にちゃんと紺色のおリボンをつけていたところはよかったです。が、やっぱりだめだわ、フォーゲルのデグリュー。彼は、本当にバレエは上手。本能的にあるべき位置にきちんと手も脚も動いていて、パーフェクトなくらい振り付けそのものはこなせていると思います。でも、これは、ゲッケのコンテじゃないのよ〜。マクミランの’マノン’なのよ〜。’マノン’って、マノンがファムファタールでデグリューの人生狂わせたみたいに思われていますけど、実はデグリューがマノンを愛しすぎたゆえの悲劇の物語なのです。’寝室のパドドゥ’は、物語の中で一番二人が幸せで、デグリューはマノンがかわいくてかわいくてしかたなくて、あふれる愛をどこに持っていこうかというくらいマノンを丸ごと愛でつつんでいるシーンなのですよ。

だけど、フォーゲルって、はしゃぎながらじゃれついてくるマノンをやれやれって、ちょっと上からお兄さん目線で冷静にみつめている演技をするのよね〜。デグリューって、そういう男じゃないし、ここで思いっきり愛してあげないと、この後にムッシュGMがやってきてころっとお金に目がくらんでしまうマノンの正直すぎる不誠実さとの対比が成り立たないではないですか。ENBで全幕’マノン’踊っているのだから、どうか前後のつながりとその場の全体のかかわりを考えて演技してくれないと。マノンは、このシーンだけで判断するのは難しいのですけど、コホウトコヴァは、とてもよかったです。いつも、その一瞬一瞬が楽しいことが大事なマノンが、この一瞬はデグリューといっしょにいることを思いきり楽しんで、甘えて、先のことも過去のことも考えない無邪気な様子がよくでていました。最後の最後のカーテンコールで、’ファンシーグッズ’の上半身裸のフォーゲルが、マノン姿のコウトコヴァをエスコートしているのをみて、この人たちは、クランコ版の’ロミジュリ’のほうがよかったかなと思いました。そしたら、フォーゲルの演技がどうのこうのいわれなくてもすみますしね。

 

 

「アレポ」
振付:モーリス・ベジャール 音楽:ユーグ・ル・バル
ミハイル・ソスノフスキー

 

ソスノフスキーも、忘れもしない涙の’ロミジュリ’ウィーン遠征で、ロミオのパフォーマンスで見たことがあります。つまりは、ロバートの代役でした。その前にも2008年の’マイヤリング’でブラッドフィッシュを踊るのを見ました。印象としては、好みじゃないってことくらいで、まあウィーンでは冷静にみるどころじゃない時ばっかりみてましたからね。 本日、やっと普通の気持ちでみてみますと、わりとちゃんと踊れており、チェリェヴィチコ君とともに、ルグリ先生が指導してるだけあって細部まで気をぬかない踊りをしているのがわかりました。ベジャールは苦手ですけど、’アレポ’(Operaの反対読み)は、わりと面白い作品でした。


「ラ・シルフィード」2幕 より
振付:ピエール・ラコット(タリオーニ版に基づく) 音楽:ジャン=マドレーヌ・シュナイツホーファー
ニーナ・ポラコワ、木本全優
東京バレエ団

 

木本君、日本凱旋おめでとう!木本君は、ウィーンに移ったばかりの頃から、ロバートの遠征のたびに舞台でお見かけしていました。楽屋口やオペラハウスのスーパーでもよくみかけていたので、まるで知り合いがやってきたような気分でした。ニーナポラコワさんは、初めてかと思って、ウィーンの遠征レビューをチェックしたら、みてましたよ。2008年の’マノン’の時、レスコーの愛人だったのね。でも、全然覚えてません。あの時は、本当に余裕なかったものね。’ラシルフィード’は、こちらパリオペ版がオリジナルなのですけど、世間的には、ブルノンヴィル版ですよね〜。ガラでもあることですし、ブルノンヴィル版のほうが盛り上がったのにな〜と思いますけど、ルグリ先生がラコットからもらった財産ですからラコット版というのはしかたないですね。木本君は、お顔小さく手足長く長身なので、舞台栄えがします。残念なのはお顔よね〜。お友達は歯を矯正すれば王子もいけるといっています。ウィーンもいいけど、新国立バレエあたりに帰ってきてほしい人材です。ティボルトや、レスコーなんか、これくらいのレベルのダンサーが踊るようになったら、日本のバレエ団もぐんと水準があがるというものです。


「白鳥の湖」より"黒鳥のパ・ド・ドゥ"
振付:マリウス・プティパ/ルドルフ・ヌレエフ 音楽:P.I. チャイコフスキー
リュドミラ・コノヴァロワ、ドミトリー・グダノフ、ミハイル・ソスノフスキー

 

ウィーンの’白鳥’は、ヌレエフ版というのは知っていましたけど、ヌレエフがフォンティーンと踊った頃のバージョンかと思っていたら、パリオペと同じバージョンだったのですね。 今回、わざわざゲストとしてやってきてくれたボリショイのプリンシパル、グダノフは本日はこの一演目だけなのに、なんともぱっとしませんでした。わたしがロシア系の王子の踊り方が嫌いというのをおいといても、気合がたりないというか、緊張感にかけるというか、いくらガラで瞬発力がいるといってもエンジンかかってなかったです。ソフノフスキーのロットバルトは、これまで何も知らなければおもしろくてよかったのでしょうけれど、わたしたち、ロットバルトは生で、パケット君、ステファンと相当ビジュアルばっちりのパリオペダンサーで見ていますので、やはり見劣り感はぬぐえません。ステファンなんて、つい年末に2回続けてみちゃったものね。ガラ的にはおもしろい選択だけど、ダンサーに華がないって感じでした。オディールはよかったです。リュドミラ、つまりは、この日、2部だけでメドーラの32回転とオディールの32回転をやってのけたのです。さらっと普通の顔して。


「ファンシー・グッズ」
振付:マルコ・ゲッケ 音楽:サラ・ヴォーン
フリーデマン・フォーゲル
東京バレエ団

この作品は、2月にシュツットガルトバレエの50周年記念ガラで見ました。あの時は、ガラの時間は長いし、コンテンポラリーダンスの嵐にまきこまれ、この作品の頃にはもう食傷気味でした。で、本日のように演目がバラスのよいガラでみますと、面白いですね。何といっても、フォーゲルのよさと天性の才能をよく引き出している作品です。フォーゲルは、ダンサーとして容姿にめぐまれており、あの美しいラインを暗闇の中で際立たせながら、彼だからくりだせる正確なラインを芯にもって、くずれた動きをつなげていきます。踊れるダンサーにしかみせることのできない振り付けです。表現方法を頭で考えるのではなく、本能のままに。彼には似つかわしい作品です。

 


「オネーギン」より 第3幕のパ・ド・ドゥ
振付:ジョン・クランコ 音楽:P.I. チャイコフスキー
マリア・アイシュヴァルト、マニュエル・ルグリ

 

最初に’オネーギン’をみたのは、ルグリ先生とアイシュバルトだったのですよ。あの時は、アダムが踊ったことのある作品くらいで、内容もよくわかってなくて、観終わったあとも、タチアナはオネーギンが好きでふりきったのか、本当に夫を愛しているからふりきったのかわからないわ〜とかいっていた覚えがあります。あれから、2008年のシュツットガルトバレエ来日公演で3連続みて、やっとお話が明確になり、そういう話だったんだ〜と理解も深まり、バレフェスやシュツットガルトの記念ガラとかでもこのシーンはみましたので、しっかり心にやきつく作品となっています。で、アイシュバルトですけど、シュツットガルトのとき、つまりは、バランキオネーギンの時と演技かえてますか?と、いうのは、わたし的にオネーギンが誰ってことで、ずいぶん見るときのスタンスがかわているせいで、本日の印象の違いがアイシュバルトの演技の違いなのか、オネーギンダンサーの違いなのか明確ではないのですね。バランキオネーギンとの時のタチアナって、もう心の底では狂いそうに愛しているオネーギンに迫られて、迫られて、おしかえす力がじりじりと弱まって、もうだめだわ!と倒れそうになりながら、渾身の思いでオネーギンを突き放す、もうみている自分の心が波うつような感覚を覚えていたように思います。が、本日のタチアナって、どこか冷静なのです。オネーギンの求愛にさざなみのように揺れてはいるものの、頭の片隅には夫があって家庭があって、強い意志というよりも、どこかさめたような部分があったように思うのです。これが、ルグリのオネーギンにときめかないわたしの心のせいなのか、アイシュバルトが演技かえているのか今でも謎です。ルグリのオネーギンは、最初にみた時とやはり印象はかわりなく、わたし的には魅力的ではありません。この役って、いくらバレエがうまくても、向き不向きがでる役柄かと思います。オネーギンって、セクシーでないとだめなんですよ。あと、人を平気で傷つけることのできる役を悪でなく演じられる人でないとだめなのですよ。魅力的な役だけど、ルグリ先生は、この役をやるには、本質的にあってないかと思います。というか、パリオペのテイストでは、演じきれない役かと思います。ルグリ先生とアイシュバルトの作り出す世界はすばらしかったけれど、これは、異形の’オネーギン’だわと思いました。

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img034  ロミオとジュリエット 新国立バレエ

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新国立劇場オペラパレス(東京)

ジュリエット:リアン・ベンジャミン ロメオ:セザール・モラレス
マキューシオ:福田圭吾 ティボルト:輪島拓也
ベンヴォーリオ:菅野英男  パリス:
厚地康雄

 

本日は、新国立’ロミオとジュリエット’2日目です。目がなれたせいか、今日は、昨日の違和感はあまりありません。わりとマクミランだったかなと思います。

 

本日は、マキューシオもベンヴォーリオも知らないダンサーが演じており、あまり二人に外見の差もなく、さらにいうとモラレスもこの日本人ダンサーと外見の差がなく、3バカトリオがベローナの広場にとこけこんでいるというか、うもれてみえました。しかしながら、これは、これでマイナスというよりも、ビントレーはねらったのかなと思いました。BRBには、ジェイミーボンドもロバートバーカーも、どうでもいいけどイアンマッケイだっているのに、何ゆえにモラレス?と思っていましたけど、ビジュアル的な舞台バランスを考えたとき、ゲストダンサーが浮いてみえないようにしたのでしょう。わたしとしては、ゲストダンサーは、どんなに違和感あろうとも、まわりのダンサーよりオーラを放ち、スタイルも容姿もひとりだけ別世界〜という美青年でないとかなりもの足りませんけど。

書いたついでに先に片付けてしまいますと、モラレスは、外見も背格好も新国立の青年たちとなんらかわりなく、よおくみると外人って感じでした。ただし、ビントレーが一応送り込んだダンサーだけあって、お仕事はきっちりです。ロミオのバリエーションもパドドゥも、ロミオならこのくらいは踊れるべきという基本線はきっちりクリアできており、ジュリエットとのからみの部分だけでなく、ベローナの広場で3バカで踊るシーンも、ちょっとしたソロも、けちをつけるところはないレベルのお仕事でした。でも〜、ロミオって、個人的には期待してしまうじゃないですか。演技とか〜、容姿とか〜。まあ、はっきりいうと好みじゃありませんでした。お友達は、昨日のマトヴィーショックのせいか、モラレスはとてもよかったといっていましたので、モラレスのパフォーマンスは、見る人が見ればよかったといえるのでしょう。なんだかんだいっても、わたしはかわいくないロミオはいやなのでした。

 

ベンジャミンは、’マノン’、’マイヤリング’となぜだかマクミラン作品でしかみたことのないダンサーで、この2作品の実績から、だいたい予想はしており、予想どおりのジュリエットでした。昨日の素のまま今の若さにまかせたジュリエットもよかったけど、ロイヤルのジュリエットは、やっぱりしっかりベテランの作り出す熟練の技みたいなところをしっかり見せていただきました。ベンジャミンって、手の動きひとつ、脚のふりあげかた一つにも表現がみえる演じるダンサーです。こうなってくると、やっぱり、ロミオとのパートナーシップが作品のよしあしを左右するわけなのですけど、モラレスとは、悪くはないけど、踊りこんだ絶妙さがみえなかったのは残念です。これは、まあベンジャミンくらいになると、標準以上のプラスアルファーを求めるからであって、ぜいたく領域ではあると思います。本日のマクミランらしさの一番は、なんといってもベンジャミンでしょうね。さすがではありますが、好みという点では、ベンジャミンもちょっと違うかなと思います。彼女はマノンのほうがよかったな。

 

前後しましたが、ベンヴォーリオ、マキューシオは、ビジュアル的にもバレエ的にも本日のほうがよかったと思います。ロミオとの見た目の差があまりないというのもありますが、広場のシーンなど、それなりに揃っていたのがよかったです。ただ、昨日も申し上げたとおり、マクミランの振り付けは日本人の下半身には難しく、これは形だけでなく、訓練もあるのかなと思いました。体形的にあまり差のないモラレスだけは、英国ロイヤルでみたのと同じくらい違和感なくみれましたので、そっか、体型でなくて、鍛え方の問題なんだと思いました。あ、才能かもしれないけど。昨日より断然よかったのは、パリスの厚地君でしょう。彼は、まだBRBに所属していたときに目黒パーシモンホールのガラでみたことがありました。バレエは、まだまだだわと思いますが、立ち姿がよいです。それに、演技もやさしくて気品のあるパリスで、今日は、ロミオでなくパリスで手をうってもいいと思えました。彼がもっと鍛えてバレエが上手になって王子を踊る日がくると、新国立も華やかさをますであろうと期待しています。

 

本日は、たしかにマクミラン版’ロミオとジュリエット’として成立していたなとは思いますけど、なんというか、ロミジュリに求める精神的な高揚とか感動という点では個人的にはうすかったかと思います。何がいいとか悪いとかでなく、ある程度のレベルになると好みなのでしょう。う〜ん、公演としてはよかったけど、好みではなかったです。

 

追記

 

このレビューを書いた2,3日後に他の人のレビューをみて思いだしましたが、ベンヴォーリオを演じた菅野君は、キエフバレエの来日公演’ライモンダ’で観たことがあったのでした。レビューにもちょっとだけ書いてありました。忘れてました〜。

 

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img034  ロミオとジュリエット 新国立バレエ

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新国立劇場オペラパレス(東京)

【ジュリエット】 小野絢子 【ロメオ】 デニス・マトヴィエンコ

【マキューシオ】 八幡顕光 【ティボルト】マイレン・トレウバエフ

【ベンヴォーリオ】芳賀望 【パリス】 貝川鐵夫

 

本日は、新国立バレエシーズン最後の演目、マクミラン版”ロミオとジュリエット”です。ちょうど、一年前に英国ロイヤルの来日公演で観て、TV放映もされましたので、しっかりとマクミラン版は心に刻まれています。新国立バレエは、以前にもロバート&デュランテ、コレーラ&フェリなどでマクミラン版を上演していますが、その当時は見ていません。今回は、ゲストもマトヴィーだけで、ほぼ日本人だけでのマクミラン版は、どんなもんでしょうと興味しんしんでした。

 

これは、あくまで個人的な印象ですけど、マクミラン版の振り付けって、ロイヤルバレエスクールで学んだ人々向けにできているのではないかしらと思いました。英国ロイヤルの上演をみていた時は、ふつ〜にそういうもんだと思っていた振り付けが、けっこう難解でスピィーディーで、脚が長い人でないと下半身の動きが決まらないのですね。そして、上半身は、曲線のあるしなやかな振り付けになっており、かなり忙しい振り付けなのに、ふつ〜に優雅にみせなくてはいけない振り付けなんだとあらためて感じました。マクミランは、難解なリフトとか会話のようなパドドゥが特徴といわれていますけれど、主役二人だけでなく、他の主要メンバーの動きもけっこうハードで難解なものだと思いました。

 

舞台の雰囲気が英国ロイヤルでみた印象とはあきらかにことなっているなと思ったら、お衣装も違うみたいで、新国立のはBRBの提供だそうです。概ね、衣装は問題ないかなと思っていたら、二幕のマンドリンのお衣装には、悩みました。まるで、北京原人かゴリラみたいな、毛みたいなひらひらが全身についたお衣装で、いったい何を意図してああいう衣装にしているのかさっぱりわかりませんでした。このパートは、コジョカルの日は、ポルーニン君が踊っていた素敵なパートだったのに、あの衣装に気をとられてダンサーの技量をみるどころではありませんでした。

 

一幕や二幕の盛り上がりは、英国ロイヤルと新国立では別物でした。新国立のダンサーの方々は、それなりに健闘していたとは思いますし、何がだめというほどではありませんが、全体的に借り物というかとってつけたような感じがして、生活感というかライブ感がうすかったです。娼婦も娼婦演じてますって感じだし、マクミランのバレエにはおなじみの乞食とか足の不自由な人なども、町の風景の一部としてとけこんでおらず、演出してますという風にみえました。何よりも二幕の、ロミオ、マキューシオ、ベンヴォーリオが踊りまくりの場面は、見ごたえうすく、なんかしっくりこないのです。ロミジュリは、Kバレエの熊川版とか松山の清水版などみましたけど、新国立くらいなったら、有名な海外バージョンでなく、新国立バレエのオリジナルバージョンをつくって、人々の活気の場面は、そのカンパニーのよさをだせる振り付けにしたほうがいいと思います。新国立のダンサーは、そんなにレベルが低いわけでなく、全体的におとなしくて丁寧なので、技巧をちりばめたマクミラン版にこだわる必要はないかなと思います。

 

まったく別物の第一位は、パリスでした。英国ロイヤルは、ステパネクが演じていて、2回みたうち、いつも、わたしならロミオでなくて、パリスで手をうってもいいわ。あんなにハンサムでやさしい男性のどこが不満なんだと思ったものですが、本日のパリスは外見はしかたないとしても、すごく粗野で、横柄で、こんな奴は絶対いやだと思いながらみてました。あれは、貝川さんの解釈なのか、新国立の指導なのか。パリスにお楽しみがないロミジュリは、つまんないわ。ティボルトは、マイレンで、お顔は素敵でした。彼は、残念ながら、手足が短くお顔が大きいのです。演技もよかったし、バレエきれいだし、あと10cm背が高ければといつも思います。マキューシオの八幡君は、大健闘だったとは思いますけど、体型がね〜。彼の下半身では、マクミランはつらいわ。演技もよかったですけどね。ベンヴォーリオの芳賀君は、うすかったですね。ベンヴォーリオは、派手なソロはないけど、3バカでけっこう踊りますので、うまいダンサーがやると、演技的に見せ所のすくないベンヴォーリオでも光るものなのですけどね。今となっては、いったいどこで踊ったっけ?と思うほどに印象うすいです。新国立でロミジュリみると、かえってロイヤルの録画見直してみなくちゃと、どこがどう違っていたのか確認したくなります。

 

マトヴィーって、わたしは苦手なんです。’椿姫’ではじめてみたとき、なんだか、お顔がだめだわとか、体型がだめだわとか、バレエがだめだわといろいろ思ったけど、忘れてました。で、何がだめって、やっぱりバレエがだめでした。全幕ではマクミラン版は生でたくさんはみていませんけど、ガラなどのパドドゥでは、何度かロミジュリのバルコニーのシーンは見ています。バルコニーといえば、まずはロミオのバリエーションですよね。これが、もう頭痛がするかと思うほど、荒っぽくて、粗雑で、悪いことばでいうと、バレエが汚いってかんじ。下手というのとは違うのです。きれいじゃないんですよ。あんなソロで、初日にロミオを踊っていいものだか。このバリエーションに代表されるがごとく、二幕の広場のシーンもさっぱり見所感うしなってました。演技は意外にもよかったのですが。ロシア系のダンサーって、踊れていても、演技が変ということのほうが多いなか、彼は踊りはだめだけど、演技はよかったです。三幕の寝室の別れのパドドゥなんて、状況に絶望してあれまくる少年で初めてみたパターンですけど、ちょっとかわいかったです。しかし、やっぱり、だからといって、彼はマクミラン版ロミオを踊っちゃいけないと思う。彼には彼のバレエスタイルがあるのだと思うけど、マクミランの男性ソロは、ああいうタイプのダンサーが踊るようにはできていないなと思います。

 

本日、一番の目的は、小野絢子ちゃんのジュリエットデビューです。ジュリエットは、コジョカルと都さんという2大プリマでみていますので、もう熟練の技と極めつくされた完成形を知っています。でも、ジュリエットって、長年積み重ねた完成形をみる役柄というだけでなく、その時にしかない若さの勢いでもってみせることもできる役柄であると思うのです。それは、ダンサーの一生の中でもほんの一瞬の時です。本日は、その瞬間をみれて大変によかったです。最初の登場の頃は、緊張感があるのか少し硬いなとおもいましたけれど、物語がすすんで、ロミオと出会って、バルコニーのシーンの前にお屋敷内で密会するパドドゥの頃から、本来のやわらかくてのびやかなバレエがもどってきました。絢子ちゃんは、腕の動きがすごくしなやかで、足先、指先まできれいです。ジュリエットという大役なので、かまえて頭でいろいろ考えて過剰になったらかわいそうねと思っていましたけど、とても自然に若さいっぱいのジュリエットでした。子供すぎることもなく、大人すぎることもなく、今の等身大の絢子ちゃんそのものジュリエットでした。マトヴィーのサポートはどうなのか正直わかりませんが、パドドゥの不自然さはなく、もっと踊れる外国人ゲストとの組みあわせをみてみたいものだと思いました。演技は、あまりしているようにはみえず、年齢を重ねたらもっと演じる部分も必要かと思いますが、今は、今の年齢の感覚でジュリエットを演じてもいいのではないかと思います。若いダンサーならではの魅力のあるジュリエットでした。

 

これがマクミラン版ということにこだわらなければ、プロコフィエフの美しい音楽とともに楽しい公演でした。ロミオ、マキューシオ、ベンヴォーリオの三人組のお楽しみはありませんが、絢子ちゃんの初々しいジュリエットデビューをみれたことがよかったです。あしたは、かわってベテランのベンジャミン、ビントレー推薦のモラーレスです。また違った味わいがあるのではと思います。


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img034 白鳥の湖 東京バレエ

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ゆうぽうと(東京)

オデット/オディール:上野水香 ジークフリート王子:マシュー・ゴールディング
王妃:松浦真理絵 悪魔ロットバルト:柄本弾 道化:松下裕次

パ・ド・トロワ:高村順子-佐伯知香-長瀬直義
ワルツ(ソリスト):乾友子、奈良春夏、吉川留衣、矢島まい、渡辺理恵、川島麻実子

四羽の白鳥:佐伯知香、森志織、岸本夏未、阪井麻美
三羽の白鳥:高木綾、奈良春夏、田中結子

チャルダッシュ :乾友子-長瀬直義 森志織、阪井麻美、氷室友、小笠原亮
ナポリ(ソリスト): 佐伯知香-松下裕次
マズルカ(ソリスト): 奈良春夏、渡辺理恵、宮本祐宜、梅澤紘貴
花嫁候補たち:高村順子、西村真由美、村上美香、吉川留衣、岸本夏未、小川ふみ
スペイン:井脇幸江、川島麻実子-木村和夫、後藤晴雄

 

本日は、同じキャストで’白鳥の湖’2回目です。もともとは、こちらが先に購入しており、ボッレの全幕も1回くらいはみとかないとねというくらいの軽い気持ちでした。ゆうぽうとは、一番後ろでも、はしっこでも、見えにくい場所もないし、一番お安い席にしました。マシューがくるとわかっていたら、もっといいお席を買っておいたのにと思いつつ、遠めにみる’白鳥’もまた悪くはなかったです。キャストは、金曜日と同じですので、全体の印象はそうかわりません。と、いうか、あの変な衣装や、妙な振り付けにもなれてきたので、観るべきところと、妥協すべき点をきっちり区別してみますと、見所に集中できます。そのせいもあってか、実をいうと、今日の’白鳥の湖’はとてもよかったです。まさか、東京バレエの’白鳥の湖’をみて、幸せな気持ちでかえれるなんて思ってもみませんでした。後ろの席のお母さんとお子様が、母’きれいだったね、楽しかったね’というと、娘’もっとここにいたい’という言葉にとっても共感できて会場を出たのでした。

 

脇の人々のことは、もう書くことはありません。今日は、特筆するとしたら、主役の二人でしょうね。マシュー、才能ある若いダンサーっているのは、分刻みに成長しているのではないかと思えるほどです。王子度が足りないと思った金曜日ですけど、ちゃんと王子らしさが芽生えているではありませんか。もちろん、まだまだわたしの基準の生まれながらの貴公子というレベルには達していませんけれど、金曜日よりは、全然王子してました。’白鳥の湖’の王子様って、たしか21歳なんですよね。若い王子っていうのは、そんなに気品にあふれて、優雅である必要もないのかなと思ったりして。まあ、一幕は、金曜日より王子様に近づいたねという印象でした。そして、二幕。マシュー王子は、出会いの時から、オデットに夢中なんです。警戒して、王子の腕をすりぬけていくオデットを追いかけて、追いかけて抱きしめて。かなりなじみのあるこのシーンをみながら、こういうキュんとするような思いをもったのは初めてです。たしかに、王子は初めて恋におちるわけなので、このくらいのアプローチはありねと思いました。上野みずかさんは、それでも、反応うすいんですよ。オデットは、なんだか自分なりに考えるところがあって、そのオデット像を表現しようとして、相手がみえていないみたい。ちょっと、変はくせのある腕のある動きをするし。二幕のオデットは、そういうわけで、わたし的にはやっぱりだめだわと思いました。お友達がいうには、昔に比べてずいぶんよくなったとのことですが。で、分刻みに進化するマシュー王子は、三幕に突入して、さらにパワーアップです。

 

三幕は、王子のソロありますでしょ。これ、けっこう技巧みせつけな振りなのですけど、この子は、みせつけないんですよ。踊りがすごく素直。のびやかで、丁寧で、エレガント。力強いのに荒さがなくて、今日もきてよかったわと思いました。水香さん、オディールは、すごくすれた女にみえるのですけど、マシュー王子は、彼女が踊るいちいちに反応して、ああ、美しい、またいい、いとおしいと、言葉が聞こえそうなリアクションをします。これほどまでに、オディールの思うツボにはまった王子もめずらしいのではないかと。そのせいか、水香さんは、だましがいたっぷりで、後半にいくにつれ調子をあげてきたように思えました。

 

四幕の王子は、さらにパワーアップです。オデットを裏切った罪悪感とショックにうちのめされ、ありったけの誠意をこめてオデットを探すのです。これ、言葉のあやじゃありません。ジャンプしながら登場するその姿のひたむきなこと。そして、ロットバルトとの対決。脇に倒れているオデットを絶えず気にかけながら、かなり苦戦して、ロットバルトに勝利します。夜明けをむかえて、オデットを抱きしめる時の幸せそうなこと。そして、今まで、なんとも無反応だったオデットが始めて、心から幸せそうに王子に寄り添いました。よかったね〜とハッピーエンドを心から喜べる白鳥の湖でした。上野みずかさんが、今まで、どうしてこんなにぱっとしなかったのは、愛が足りなかったからなのだわと知りました。こんなに彼女は、相手に愛されたことがなかったのよね。相手の愛にこたえるのが得意じゃないから、たっぷりと無防備なほどに愛をそそがれないと、とびこんでいけないタイプなのでしょう。マシューのひたむきな情熱と無償の愛につつまれて、はじめて上野みずかに情感が出たのをみました。愛されて踊るってことが、こんなに大切なことだと教えられたように思います。

 

バレエというのは、テクニックも表現も円熟したダンサーでドラマティックなものをみるというおもしろさもありますけど、今日のように、若さとひたむきさ、この瞬間にしかない短い時に立ち会える幸せもあると思います。若い才能っていいわ。この素直さ、ひたむきさ。マシューゴールディングのこれからを見守っていく幸せが増えました。よき公演でした。

 

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img034  白鳥の湖 東京バレエ

2011617

ゆぽうと(東京)

オデット/オディール:上野水香 ジークフリート王子:マシュー・ゴールディング
王妃:松浦真理絵 悪魔ロットバルト:柄本弾 道化:松下裕次家庭教師: 佐藤瑶
パ・ド・トロワ:高村順子-佐伯知香-長瀬直義
ワルツ(ソリスト):西村真由美、乾友子、高木綾、奈良春夏、田中結子、矢島まい

四羽の白鳥:佐伯知香、森志織、岸本夏未、阪井麻美
三羽の白鳥:高木綾、奈良春夏、田中結子

チャルダッシュ:乾友子-長瀬直義 森志織、阪井麻美、氷室友、小笠原亮
ナポリ(ソリスト): 高村順子-松下裕次
マズルカ(ソリスト): 奈良春夏、田中結子、宮本祐宜、梅澤紘貴
花嫁候補たち:西村真由美、佐伯知香、村上美香、吉川留衣、岸本夏未、渡辺理恵
スペイン:井脇幸江、川島麻実子-木村和夫、後藤晴雄

 

原発事故がなかったなら、本日は行かない予定でした。ボッレが降板してくれたおかげで、こんなに早くマシューゴールディングの生の舞台を見ることができるなんて。ボッレのために買った日曜日のお席は、2階の後ろの端っこでしたけど、買い足した今日は最前列です。

 

東京バレエの’白鳥の湖’は、2007年にルグリガラの一貫で、パリオペからマチュウとステファンがゲストで出た日にみたことがあり、これまで観たバージョンの中でももっともつまならなく、ゲストなしでは絶対にみたくないバージョンです。それでも、あの時は、まだゲストのおかげでパリオペバージョンぽいところもはいったりしておもしろかったんだけど、今日は、たぶんばりばりの東京バレエバージョンで、つくづく東京バレエの白鳥は嫌いだわと思いました。なんといっても、あの衣装が趣味悪すぎ。三幕のディヴェルティスマンではいているブーツなんて、ABCマートから調達してきたみたいです。どこのバレエ団も、’白鳥の湖’をレパートリーからはずすわけにはいかないんだろうけど、’ラバヤデール’なんかの完成度に比べて、落差ありすぎのような気がします。ゴルスキー版とのことですけど、いつの日か、振り付けと衣装を一新することをお勧めします。ダンサーはそう悪くはないわけだし。

 

最初に東バ関係まとめちゃいますと、パドトロワの長瀬君が大変よかったです。三幕では、チャルダッシュも踊りましたが、パドトロワのほうが格段によかったかと思います。もう少し背が高いとなおよしです。道化の松下君は、ほんと踊りが丁寧になりましたが、わたしが個人的好みとして道化の役そのものが嫌いなので、会場大うけのピルエットの連続もそんなに嬉しくはなかったです。ディベルティスマンは、スペインがベテランの人々でかためたので会場の東京バレエファンには大うけでしたけど、個人的には華が感じられず、とりあえず踊れてますくらいでした。マズルカのほうがよかったけど、マズルカの衣装は、中でも最も変なデザインで、完全に衣装にバレエが邪魔されているなと思います。東京バレエの公演のいやなところは、そこそこ踊れたら、必ずブラボーと誰かが叫ぶので、ブラボーの安売りのような感じがして興ざめです。本当によかったところの拍手の価値を下げているような気がしますし、普通のダンサーが普通に踊れているレベルで賞賛されたら、勘違いするダンサーのためにもよくないと思います。そうだ、ここでお詫び訂正を。田中結子さんは、ほんとうは、たなかゆうこさんだったそうです。わたしは、ずっとたなかむすこさんだと思っていました。それは、フォーゲルの’ジゼル’にいった時だと思うけど、となりの人が、’たなかむすこさんよ’とミルタのことを言っていたので、ずっと’むすこ’さんだと信じていたのです。大変失礼しました。

 

オデット・オディールを踊った上野みずかさんは、やっぱりわたしは、だめです。特に、これまで数々みてきた中で、ジゼルと共に、彼女のバレエ的に最悪の相性かと思います。あんなに手足長くて、お顔ちっちゃくて、技術もあるというのに、観客に対して自分の一番苦手な部分をさらしているように思えます。彼女は、情感の必要な役柄においては、その理解と表現力に欠けるのですね。テクニックはあるのだから、もっとふさわしい作品や役柄に挑戦したほうがいいです。無理に古典の主役にこだわる必要はないと思います。白鳥はだめよ。長い腕をばたばたさせたら、白鳥でなく、鷲か鷹みたいです。長い手足での大きな動きが、ダイナミックさを表すよりも、粗雑で繊細さに欠けた動きにみえてしまいます。東京バレエは、ほんと、上野みずかさんをおしているけど、彼女をダンサーとして育てていないわ。方向性、まちがっていると思います。

 

そして、マシュ〜♪ですね。お髭はどうするのかなと思っていたら、ちゃんと王子様らしく剃っており一安心。でも、わたし、お顔は好みじゃないんですよね。小さいお顔に、ぎゅっと真ん中にパーツが集まっていて、ちょっと斜めを向くともうパーツ類がみえるかみえないくらいの角度だと大変にいいのですけど。表情のつくり方ももうちょっと好みじゃないし。まあ、わたしのヴィジュアルテイストはおいといて、本日のマシュー君のことを書き残しておきましょう。一言でいうと、発展途上の王子でした。わたしは、王子にはうるさい女ですし、ロバートに出会った時、彼はすでに成熟した大人の男性ダンサーでしたから、完璧な王子像が頭の中でできあがっています。王子とはこうあるべきと、そこから計る基準でみますと、マシューは、まだまだこれからかなと思います。’白鳥の湖’の王子は、最初からたくさん登場はしますけど、ソロの部分以外は、小さな振りが多く、マイムや演技が中心です。そういうところって、王子度がみえるところなんです。その立ち姿、腕使い、表情のもっていきかた、目線とか、う〜ん、マシューはまだ街の若者の域を出ていません。一幕最初の王子の振る舞いで、そっか、まだわたしの期待するレベルには達していないのだわと悟りました。そして、ボッレは大味で好きじゃないけど、ああいう場数こなしたベテランなら、こういう場面はきっちりこなすんだろうなとか、その時はじめて、東京バレエにはボッレが必要だった理由がわかりました。あと、マシューは、この役は初めてではないかなと思えるほどに、こなれてない感じがしました。振り付けの一つ一つの背景を理解していないというか。リハーサルの時間短かったのだろうし、この役の経験がないと、なかなか王子は難しいわね。と、王子度については、思うところもあるのですけど、二幕以降のソロの場面はすばらしかったですよ!この子は、ほんと、動くといいのです。とまっているときの数倍すばらしい。特に、まわりに人がいなくて、舞台いっぱい使って踊る時がすごくいい。正確で、エレガントで、彼がソロで踊る姿は、ツボです。王子的には、期待はずしたけど、ソロの場面をみると、そうだわ、これがみたかったのよね〜と本日来た意義をひしひしとかみしめました。彼のソロこそは、ブラボーでしたよ。基本的にこれだけきっちり踊れる人だから、きっと経験をつめば、本当の王子にもなれると思います。若さだなと思います。20代半ばの男性ダンサーは、ほんと、経験を2,3年つむと化けますものね。温かい目で見守っていきたいと思います。今回、ボッレの代役を務めきれる技量であったかというと疑わしいかもしれないけど、こうして、才能ある若手ダンサーの成長過程に立ち会うというのもバレエのもう一つの醍醐味かなと思うのでした。

 

日曜日は、もともと買ってあるチケットで、今度は遠くからマシュー君をみたいと思います。1幕から4幕の間にすでに成長が感じられましたので、きっと今日より、進化した舞台をみせてくれることでしょう。日本の舞台と日本のバレエファンが育てて世界に送り出してあげたいダンサーです。

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img032.gif  レミゼラブル

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帝国劇場(東京)

ジャン・バルジャン 今井 清隆 ジャベール 鹿賀 丈史

エポニーヌ 島田 歌穂 ファンテーヌ 岩崎 宏美 

コゼット 神田沙也加 マリウス 石川 禅

テナルディエ 斎藤 晴彦 テナルディエの妻 鳳 蘭

アンジョルラス 岡 幸二郎  司教 林 アキラ

 

思えば2004年に暇つぶしにとったチケットで、初めてロンドンでみてから7年がたちました。もう何度みたかはわかりませんけど、本日は、久しぶりにしみじみレミゼラブルだわ〜という感動の夜でした。このミュージカルは、原作と音楽の力が大きく、作品そのものがすばらしいのですけれど、そのすばらしさを引き出す俳優さんたちの実力というものを実感した夜でした。本日は、記念キャストで、わたしとしては、ほぼこのメンバーは3回目くらいかな?ビジュアル面では年齢の苦しさは隠せないものの、レミゼのツボを知っているというか、キャストがそれぞれのパートの見せ所とさじ加減とをしっかりと心得ていて、年齢のハンディを補ってあまりあるパフォーマンスをみせてくれたと思います。

 

海外の司教様は、’あなたの魂わたしが買〜た↓’と、最後をさげて重々しさを出すのですけど、日本の司教様は、’あなたの魂、わたし〜↑が買った’と歌い上げます。これって、林アキラさんがオリジナルなのかな?盛り上がりとしては効果的なのでしょうけれど、なかなかその重みを醸し出せる司教様はいないのですけど、林アキラさんの歌はしみました。最初にロンドンで観たときに、一番最初に感動したシーンで、あの司教様の神様に対する絶対的な信仰をもって人を信じる姿を思い出しました。司教様は、ただ慈悲の人ではなくて、その先の厳しさもバルジャンが越えてきた苦難をみんなわかった上で、彼を解放するのです。この一夜の出会いがバルジャンの人生をかえたわけですから、短いながらもここのシーンが最初がきまりますと、後に続く彼の人生も重みをますというものです。

 

フォンティーヌは、そろそろかわらないかなと思っていたけど、やっぱり岩崎宏美さんでした。この人は記念キャストの中で、もっとも体型と歌は苦しかったけど、演技は細かくてよかったです。フォンティーヌを演じてほしいなという女優さんは、ちょこちょこいるわりに、いつもぱっとしない若手よりちょっと年齢いった人が演じることが多く昨今ははずれてばかりでした。そろそろ、歌が上手で本当に演技のできる女優さんをもってきてほしいポジションです。本田美奈子さんがキャスティングされていながらかなわなかったことは、チケットを買っていただけに、思い出すたびに悔やまれます。あとは、どうして土居祐子さんや島田歌穂さんがやらないのかなとか思いながらみてました。岩崎宏美さんにとって、今回が最後でよかったです。あの体型と高音の苦しさは限界でしょう。

 

ティナルディエは、過去の人々よりも、今現役で演じている駒田さんが一番上手と思いますので、記念キャストなら現役もまぜればいいのにと思います。本日のティナルディエ夫人は、今までの人の中で一番怖かったです。鳳蘭さんは、あまりコミカルな部分は出さずに、こわくて狡猾な奥さんに徹していたようです。わたしは、このポジションは、宝塚系の人が演じる、そういうこわい系がいいと思います。あまり崩しすぎると、ティナルディエ夫妻が悪い人にみえなくなるからです。宝塚系の人は歌も悪くなくてよいです。

 

本日は、ビジュアル的に期待するところがなかったのでB席の後ろのほうをとったので、マリウス&アンジョルラスの容姿はとりあえずわかりにくい場所にしました。岡さんも禅さんもビジュアルこそ、年齢を隠せないものはありましたけど、歌は全然、年齢を感じさせないで若々しく、しかし若者にはない円熟した深みがあり、できることなら、このままライブレコーディングしてCD発売してほしいほどでした。特に禅さんは、驚異といってもよいです。わたしは、禅さんの若者を演じるときの高音好きなんですよ。フランツヨーゼフのときも、シシイと出会う青年皇太子の頃から老年までを演じますでしょ。あの前半のお見合いの後のシシイとのデュエットの高音がかなりツボです。マリウスは、ず〜とあのままですものね。いつか年齢相応の声がのぞいてしまうのではないかしらと思いつつ、各所各所を聞いていましたけど、姿をみなければず〜とマリウスでした〜。マリウスの歌は、誰が演じてもこれまで日本では全然満足したことがなかったのですけど、本日は、日本で聞いた’Empty chairs and empty tables'の中で一番感動しました。この歌は、ジョンリー君とダニエルリーブス君をのぞいたら、ロンドンをいれてもほとんど満足したことがなく、誰もが熱く熱唱してしまう歌なのです。これを、さらっと抑えに抑えた深い哀しみをたたえて、亡くなった友への思いを静かに歌うパターンは、あまりおめにかかれないのです。禅さんは、わりと熱血系の俳優さんなので、濃すぎないでと祈るような気持ちでむかえましたけど、見事に抑えたパターンでした。ここは、バリケードが陥落して、学生たちの情熱も理想も一夜にして打ち砕かれ、その無念な気持ちを観客もひきづりながら、マリウスと共に死んでいった学生たちの影をみつめるシーンです。一人生き残ってしまった罪の意識と深い悲しみをマリウスと共有したような瞬間でした。すばらしかったです。

 

禅さんとともに、最もすばらしかったのが島田歌穂さんです。この人だけは、何度みても年を重ねても衰えることなく、永遠のエポニーヌだわと思います。エポニーヌは、本当に切ない役なんですよね。どんなにマリウスが好きでも、あの鈍感な男は、一瞬ぶつかったコゼットに夢中で平気でお手紙わたしてとか言っちゃうようなやつだし。最後の最後だけ、愛する人の腕に抱かれることができてよかったねと、泣けちゃう役なんです。これが、なかなかまたそういう表現力のある女優さんにあたらないんですけどね。島田歌穂さんが、この役を確立しちゃったから後が続かないのかな。もういい加減この感覚忘れてました。本日は、つくづく切なくて、エポニーヌの歌がいちいち哀しくて、胸がきゅんとする思いを味わいました。

 

今井さん&鹿賀さんコンビは、いうまでもなくグレードの高いパフォーマンスでした。 一番最初の記念キャストの時、今井さんが鹿賀さんの存在感に圧倒されそうになりながら、必死でもちこたえているかなと思ったのですけど、さすがに回を重ね年月を重ね、対等に存在感を放てるようになったと思います。ジャベールは、演じる俳優さんの解釈が一番出る役どころで、最近、禅さんのジャベールばかりみていたので、鹿賀さんの静かで苦笑いすらしないジャベールは新鮮でした。バリケードでスパイとわかってジャンバルジャンが処刑するとみせかけて逃がすところは、さっと逃げるように去っていくジャベールは多いのですけど、鹿賀さんは、すご〜いためらいをみせて立ち去らないのではないかというくらい留まって、ゆっくり歩いて去っていくのが印象的でした。この時点のジャベールなら、これはありだわと思います。今井さんは、もっとも好きなバルジャンなのですけど、一つだけ残念なところがありました。それは、禅さんのせいでもあるのですけど、地下道で、瀕死のマリウスを運ぶところ。マリウスに肩だけかして、歩かせるパターンでした。先日の吉原さんのお姫様だっこがやはり忘れられません。ジャンバルジャンは、馬車を持ち上げるくらい力持ちだったのですから、マリウスをお姫様だっこして歌ってほしかったです。実は、このシーンだけ、吉原さんに出てもらいたいくらいでした。

 

本日のこの余韻と感動をどのように表現すればわからないのですが、’レミゼラブル’は、時々このマジックを起こします。何度も失望するようなこともあったけど、時に、心の深いところにすっとはいってきてとどまるような感動を運ぶときがあるのです。この感覚がよみがえる時、また次のレミゼを見る日を待ち遠しく思います。新しいバージョンを観れる機会が早くおとずれますように。

 

 

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img034  ダフニスとクロエ 真夏の夜の夢 英国バーミンガムロイヤルバレエ

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東京文化会館(東京)

 

ダフニスとクロエ

クロエ(羊飼い):ナターシャ・オートレッド ダフニス(山羊飼い): ジェイミー・ボンド
リュカイオン(都会から来た人妻):アンブラ・ヴァッロ ドルコン(牧夫):マシュー・ローレンス
ブリュアクシス(海賊の首領):アレクサンダー・キャンベル パンの神:トム・ロジャース
ニンフたち:ヴィクトリア・マール、ジェンナ・ロバーツ、アンドレア・トレディニック

 

やはりキャスト違いというのは、大事なものです。昨日は、アシュトンのせいでいまいちぱっとしなかったのかと思ってのですけど、アシュトンいいです。(と、すぐに気持ちがかわる) 踊る人が踊れば、見ごたえあるんだわ。本日は、期待の’真夏の夜の夢’はもちろんのこと、昨日は正直すご〜い退屈だと思った’ダブニスとクロエ’が普通におもしろくバレエとして楽しめました。

 

昨日は、音楽のこの単調さの中にバレエそのものがうもれてしまい、あ〜単調な曲だわ、盛り上がりに欠けるわと音楽が気になってしかたなかったのですけれど、本日は、バレエの音楽として、気づけば物語にとけこんでいるという印象でした。つまりは、お話や踊りに十分のめりこんで楽しんでいたのだわと途中で気づきました。展開が頭にはいっているせいかとも思いますけれど、こういう単純な話は展開はたいして重要ではないので、その要素はあまり関係ないかなと思ったりもします。昨日みたときに思ったのですけど、’シルヴィア’みたいな展開かなと。ま、物語性より振り付けみたいな。昨日は、この作品は、もうよっぽど好きなダンサーが踊らないとすすんでみることはないだろうと思いましたけど、本日はまたみてもいいかなと思いました。

 

本日のキャストは、バレエテクニックも昨日の人々よりすぐれていますけど、演劇性というか表現力が格段に上でした。特に主役のナターシャオートレッドとジェイミーボンド。 ビジュアル的にもいけているというのもありますが。ナターシャオートレッドは、昨日かえって偶然にみたコジョカルが出ているロイヤルの’眠り’の白猫を踊っており、スマートな脚でいい演技しているなと思っていたところです。ジェイミーボンドは、昨日の’真夏の夜の夢’もなかなか素敵で、いでたちとしては、昨日のブーツ姿のほうがツボなのですけど、お顔がかわいいし、演技が若者っぽくていいなと思いました。この人を、新国立のロミオに置いていってほしいものだと思います。この二人は若々しくて、昨日のなんだかおちつきのあるうすい二人に比べ、物語が単純なだけにこの若さはすてがたいわと思いました。この二人で、’眠り’を踊ってほしかったけど、チケットが前もって売れないものね〜。次回までに活躍して知名度あげてください。

 

ドルコンを演じたマシューロレンスが、5階から遠目でみると、ニューアドベンチャーのスコットアンブラーにみえて、なぜだか’ザカーマン’を思い出しました。昨日、ロンドンのバレエ友からメールで、ロイヤルの頃、アダム(クーパー)が演じたのをみたことがあると聞きました。まあ、たしかに、アダムが踊ったならば、昨日の人もマシューロレンスもごっつくださくみえるこの振り付けを長い手足で素敵に踊っただろうなと思いました。アダムにあっています。役どころもね〜。で、ドルコンの踊りがどっかでみた、どこだっけ〜と思っていたところでアダムの名前が出て、そうだ、OYTの奴隷ダンスのところだわと気づきました。アダムの振り付けは、バランシン、マクミランを観て似ているわ〜と思うことがありましたけど、これでアシュトンも加わり、彼の振り付けは独創的なところがうすいのは、彼の歩んだバレエ人生からヒントを得ているのだわとまたまた確信しました。

 

主役二人とともによかったのが、海賊を演じたアレクサンダーキャンベルです。この子は、このあとの’真夏の夜の夢’でもパックを踊っており、BRBの技巧小僧は彼だったようです。青い鳥の時は、それほどいいと思わなかったのは、彼は技巧もあるけど、演技と共に見てこそいいみたい。だから、青い鳥みたいに演技しない役より、海賊とかパックとか演技もするし、飛び跳ねる役というのでいきるみたいです。

 

と、いうわけで本日は前半の’ダブニスとクロエ’でもかなり満足でした。この作品は、物語や音楽がドラマティックでなく、話が単純で、衣装は作品の質を2割がた下げるようなものなので、踊り手のテクニックと表現力が問われる作品なのだと思います。難しいものつくってくれるわ、アシュトンって。嫌いにならなくてよかったです。 

 

 

真夏の夜の夢

オベロン:セザール・モラレス タイターニア:吉田 都

パック:アレクサンダー・キャンベル ボトム:ロバート・パーカー
村人:ロバート・グラヴノー、キット・ホールダ−、ロリー・マッケイ、
    ヴァレンティン・オロヴィヤンニコフ、ルイス・ターナー
ハーミア:アンドレア・トレディニック ライサンダー:トム・ロジャース
ヘレナ:キャロル=アン・ミラー デミトリアス:マシュー・ローレンス

 

昨日帰って家にあったミラノスカラ座の映像みたら、バランシン版でした。大きな筋は同じでも、構成や役どころも全然違っており、何を覚えてんだかと自分の記憶のあいまいさを実感しました。だいたい、バランシン版は二幕ですしね。

 

それで、本日の’真夏の夜の夢’、よかったです。昨日もよかったけど、バレエの質的にはこちらも本日のほうが格段に上という感じ。正直、BRBの技術力って、やっぱり本家英国ロイヤルには劣るわ、上手い人がいないんだよね〜とか思っていましたけど、こんなところに隠れていたのか的な、ほぼ全部の役が昨日よりレベルが高かったと思います。

 

一番びっくりは、ボトム役のロバートパーカー。忘れていたよね、来日するまで。カナダのMy ロバート(テューズリー)のファン友が、絶賛しているダンサーです。昨年、新国立劇場では’カルミナブラーナ’の神学生3で麗おしいブリーフ姿をみせてくれたのは記憶に新しいところです。あの時は、コンテよりの振り付けなので、それほど印象はなかったので、ふ〜んくらいに思っていました。が、本日、あのロバ姿でポワントで、かなり崩したコミカルな動きをしているのですけど、身体の芯がしっかりと通ったバレエテクニックをもったダンサーの動きだわと気づきました。へんな話、ノーブルな動きができる人が崩している感じ。まあ、BRBに王子なしと思っていたけど、いたんだわ、ここに。どうして、彼がろばの役なんてやっているのでしょうとビントレーの意図がわかりません。とはいえども、パーカーが演じたことでボトムという役を観客の誰もがいとおしく思い、タイターニアが恋してしまう気持ちをただおもしろおかしくでなく、ほのぼの幸せな気持ちになりながらみつめることができたのです。大変にもったいないようなぜいたくな配役であると思います。次回来日の時は、’シラノ’を持ってきてねとデマチの時、御願いしてみました。

 

4人の恋人たちは、昨日もよかったですが、本日のほうが見ごたえありました。特に金髪でピンクのドレスのキャロルアンミラーがスピーディーな動きながら乱れることなく、その上かわいく好ましかったです。デミトリアスは昨日のジェイミーボンドがビジュアル的には好みですが、マシューロレンスのちょっとオーバー気味な演技のほうが、パックのまちがいといたづらに翻弄されるドタバタぶりとあってよかったと思います。

 

パック役のアレクサンダーキャンベルは、若さだよね〜。さっきは、海賊の首領でソロを踊りまくって、ちょっと休憩したらパックになって跳んだりまわったり大忙しです。で、やっぱり演技もいいです。昨日のパックもかわいくてよかったけど、ちょっとこのアレクサンダーキャンベルの勢いには今はかなわいでしょう。

 

昨日、佐久間奈緒さんの演じるタイターニアがすごくかわいいと思いましたけど、都さんは、そのずっと上をいくすばらしいタイターニアでした。これは、奈緒さんのせいでなく、都さんは別世界の人なんだと思います。バレエの根本的なうまさが他の人と違っているのでしょう。かわいいだけでなく、一つ一つの振り付けが完璧というか、あるべきラインから決してはずれないで、その上で表現力があるのですね。これは、かなわないと思いました。わたしはみるたびに思うのですど、この人は舞台にたつと信じられないくらい美しくなるのです。たしかにバックステージの姿はちっちゃくてかわいいとは思いますけど、このままステージにあがっても決して恵まれたお姫様タイプの容姿ではないと思うのですね。それが、不思議なくらい舞台上では華やかな美しさを醸し出します。まさにマジックです。残念だったのは、オベロンが都さんのレベルで対等にサポートできるダンサーではなかったことでしょう。セザールモレラスは、王子タイプじゃないんだよね。オベロンって、妖精王だけど、ダンス的には王子が踊れる人が、エレガントに踊ってほしい役どころなのです。モレラスは小さいし。顔もキューバ顔でいやだわ。まあ、顔はしかたないとしても、最後のパドドゥのところなど、う〜ん、都さんなのに〜と完璧なラインが想像できるだけに残念。できることなら、ロバートパーカとセザールモレラルの役をいれかえて本日の公演があったなら、完璧だったのにと思います。

 

よき公演でした。 英国らしい演目を個性的なダンサーたちが、それぞれの個性をみせて、本家英国ロイヤルバレエとはまた違った魅力を感じることができました。できることなら、売れ筋でキャスト選ばずに、本当に踊れる人々を前面に次回は、ビントレーのオリジナル作品もいれて来てほしいな。震災と原発の不安の中、本当に来てくれてありがとうといいたいです。ビントレーの心あたたまるメッセージは、通勤途中の携帯で読みながら涙じわっときました。パリオペの掲示板にはっつけといてほしいと思います。

 

http://brbontour.wordpress.com/2011/05/05/davids-letter-from-japan/

 

 

 

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img034  ダフニスとクロエ 真夏の夜の夢 英国バーミンガムロイヤルバレエ

2011528

東京文化会館(東京)

 

ダフニスとクロエ

クロエ(羊飼い):エリシャ・ウィリス ダフニス(山羊飼い):イアン・マッケイ
リュカイオン(都会から来た人妻):キャロル=アン・ミラー ドルコン(牧夫):トム・ロジャース
ブリュアクシス(海賊の首領):タイロン・シングルトン パンの神:ベンジャミン・ソレル
ニンフたち:レティシア・ロ・サルド、アンドレア・トレディニック、ジャオ・レイ

 

本日は、アシュトン2本立てです。この演目は、名前はよく聞きますが、商品化されているDVDにもないし、日本ではあまり上演されたことのない演目ではないかと思われ、お友達もわたしも初めてでした。ここ2,3年は、かなりバレエを観ていますけれど、わたしは、アシュトンの作品がいいわ〜と思ったことがなく、まだまだバレエのよさをわかっていないのか、単に趣味がそういうものなのか、今回もまた、その魅力を感じることはありませんでした。

 

昨日みたお友達から、バレエリュスっぽいといわれており、確かに音楽とか、”牧神の午後”とかの雰囲気に似ているし、振り付けも”春の祭典”や"牧神の午後”を彷彿させるものがあります。と、思ってプログラムを見てみると、もともとディアギレフの依頼でラベルが作曲して、フォーキンが振付けていたのがオリジナルだそうです。なるほど〜です。どうせなら、フォーキンのオリジナル版がみたかったものだと思います。

 

わたしは、シュツットガルトのガラ以来、やっぱり衣装は大事という思いを強くしています。アシュトン版’ダフニスとクロエ’、何よりも衣装がいやです。特に男性ダンサーの衣装がいやだわ。ギリシャが舞台とのことですが、美術もギリシャのよさが感じられません。女性のお衣装がやたら原色がいっぱいで、男性は、現代風のカジュアルなシャツとパンツ。なんか、時代が不明で半端です。2場の海賊のお衣装だけはよかったです。

 

よかったことを他にも書くと、2場の海賊たちの群舞と、最後のハンカチの踊りかな。特に海賊たちが、女性海賊をリフトして、真ん中に集まってわっと広がる場面は、まあと声をあげそうになるくらいお見事でした。5階から見下ろした甲斐があったというものです。ハンカチの踊りは、プリンシパルも群舞もほぼ同じ振り付けを舞台上に並んでくりひろげます。この振り付けがどうというより、わたし、こういうタイプのプリンシパルも群舞も同じ振り付けだけど、プリンシパルが前で踊るというのが何気に好きなのです。

 

はっきりいうと、この作品も本日のパフォーマンスも好きではありません。音楽が単調で、お話も平凡で、何がみどころというと、踊れるダンサーが踊れば見ごたえあるでしょうくらいかな?イアンマッケイもエリシャウィリスも別にだめじゃないけど、こういう振り付けで、魅せれるような上手いダンサーじゃないのよね。多分、バレエ的にすごい上手いダンサーが踊ったら、よかったわ〜と思える作品なのだと思います。実際、ダフニスのソロは、あんなに長かった’眠り’の王子より多かったことですし。ドルコンもブリュアクシスも振り付けはいいなと思ったけど、そのダンスそのものできは平凡でした。バーミンガムロイヤルには向かない演目なのではないかな。

 

めったにみれない作品をみれたのはよかったですけど、バーミンガムロイヤルのよさという点ではこの作品はどうかなと思いました。ビントレーの1品にしてくれたほうがよかったかと思います。

 

 

真夏の夜の夢

オベロン:ツァオ・チー タイターニア:佐久間奈緒

パック:マティアス・ディングマン ボトム:ジョナサン・カグイオア
村人:エンガス・ホール、クリストファー・ロジャース=ウィルソン、
    ナサナエル・スケルトン、オリヴァー・ティル、ルイス・ターナー
ハーミア:ジャオ・レイ ライサンダー:トム・ロジャース
ヘレナ:ヴィクトリア・マール デミトリアス:ジェイミー・ボンド

 

’ダブニスとクロエ’は、つまんないことはないけど、そこそこだったのに比べ、’真夏の夜の夢’は、楽しいバレエらしい作品でした。バレエのレベルも、こちらを踊った方々のほうが高かったのではないかな?あと、音楽もストラヴィンスキーまがいのラベルより、メンデルスゾーンのこちらの曲のようが好きですし。お衣装もちゃんとバレエっぽいしね。わたしは、’真夏の夜の夢’は、ミラノスカラ座のを映像でみたことがあり、あれと同じかと思っていたら、お話と音楽はいっしょですけど、振り付けや美術は違っていました。ミラノスカラ座のはうろ覚えなのですけど、全体的にはこちらの雰囲気のほうが好きだなと思います。

 

主役は、先週の’眠り’に引き続き、ツァオチーと奈緒さんです。奈緒さんが、本日も、大変にかわいらしく、妖精にぴったりで、情感あふれるバレエでした。今までみた3作品(美女と野獣、眠り、真夏の夜の夢)は、どれもお姫様系だけど、微妙に違う役どころを演じわけ、いつでも繊細だけど一本筋のとおった東洋女性の美徳を感じさせるところが好きだわと思います。ツァオチーは、先週の王子より見た目は苦しくありませんし、一つ一つの動きはとても丁寧できまっていると思います。でも、ツボな美しさはないのよね〜。奈緒さんとのパートナーシップは、まるで夫婦のようにぴったりではあるのですけど、この二人のしっくり加減とおちつきは、なぜだか新国立バレエを観ている気分になります。英国のバレエカンパニーの来日公演ぽくないのです。まあ、それはそれでもいいんですけど。ツァオチーは、できればパックのほうでみたかったかなと思いました。なんとなく、雰囲気がそっちのほうがあっているような気がします。本当に二人のパドドゥはお見事でしたけど、イメージ的に先週の’眠り’とかぶってしまって、違うテイストの組み合わせでみたかったかなと思いました。

 

2組の夫婦?恋人?もよかったです。男性ダンサーが、とてもスマートで、タイツにブーツ姿が似合っており、振り付けもこのいでたちに似合ったもので、正直、フォーゲルでみたいと思うような振り付けでした。ちょっとコミカルなシチュエーションで、コミカルな振り付け部分も多いのですが、概ねはきれいなパドドゥになっており、この4人がかわるがわるでてくるところはよかったと思います。昨日は、ボトム役がとても魅力的だったとのことで期待していましたが、本日、そのようには思いませんでした。パックは、跳んだりはねたり、大変に重労働で、いたずらっ子な演技も必要です。マティアスディングマン君は、プログラムにも載っていなかったので、まだ若手なのでしょうか?テクニカルにみせる技巧小僧には達していませんけれど、元気に明るくとびまわる姿は好ましかったです。バーミンガムバレエは、技巧小僧っぽい人は眠りのときも見当たりませんが、いないのかな?

 

明日は、いよいよ都さんのタイターニアの日です。奈緒さんの踊りをみながら、都さんにもぴったりな役だわと思い、とっても楽しみです。

 

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img034  眠れる森の美女 英国バーミンガムロイヤルバレエ (マチネ&ソワレ)

2011521日

東京文化会館(東京)

マチネ

オーロラ姫:タマラ・ロホ フロリムンド王子:イアン・マッケイ

その他のキャスト

ソワレ

オーロラ姫:佐久間奈緒 フロリムンド王子:ツァオ・チー

その他のキャスト

 

本日は、実のところ、マチネだけの予定でした。キャスト違いをみるなら、本日ソワレ、明日マチネが真っ当な方法だと思いますが、よく考えずチケットを買っていたらしく、1回でいいかとか思っていたのですね。ところが、マチネのプロローグのシーンをみてソワレも見なくちゃと思い、終演後当日分を買い足しました。’眠り’でマチソワとは長い一日でしたけれど、とても幸せな時でした。

 

BRBの眠りは、もちろんピーターライト版です。ピーターライトの作品は、’ジゼル’と’くるみ割り人形’を映像でみたことがあり、異形の斬新な演出はちっともないのに、古典バレエそのものとして楽しめるバージョンだと思っていました。本日の’眠れる森の美女’もまさしくその路線です。最初から最後まで、登場人物も設定もオーソドックスなものなのに、どの場面をきりとっても、バレエとしての美しさがあり、目新しさがないのに退屈させない、完成された古典の世界を感じました。だいたい、わたしのように異形のバージョンが好きで、登場人物はかっこいい人がいないとだめで、ディベルティスマンや群舞は苦手という邪道なバレエファンでさえもとりこにする実に魅力的な古典作品であったと思います。本日の公演は、まさにバレエ作品として作品そのものを堪能することができた珍しい公演でした。通常は、大変にビジュアル面で魅力的なダンサーがいたり、パフォーマンスのレベルが高かったり、斬新な演出だったりというところが公演のよしあしの決め手になっていましたけれど、本日は、バレエ作品としての作品の完成度の高さという面が一番の魅力であったと思います。

 

ピーターライト版の構成は、プロローグ休憩一幕二幕休憩三幕でした。’眠り’は、幕が開くとともにどんな世界が展開されているのかしらとなかなか美術的に楽しみなものがあります。で、ライト版、OH〜、こうきたか。。。これまでこの場面は目の覚めるような鮮やかで明るい印象がありましたけれど、ライト版は茶系のちょっと暗めな色使いで、とってもシック。ジョージアディスの’マノン’のような色使いです。それでいて、ところどころに金色が使ってあるせいか華やか。英国らしいわ〜といきなり好印象です。そして、お祝いにかけつける妖精たちには、ちゃんとおつきの騎士つき。このおつきの騎士のいでたちがこれまたツボです。みんなおリボンにつけ毛。そして、なぜだかプロローグの騎士たちは、なかなかつぶぞろい。BRBは、みわたすかぎり、美形レベルは決して高くないのですが、このプロローグではちょっと錯覚しそうになりました。あのお衣装を着こなす人材をここに投入したのはGood Job! 妖精たちは、微妙に違うけど一瞬同じにみえるチュチュで、色鮮やかなほかのバージョンと比べると個々の妖精の区別はつきにくいです。ライト版は、りらの精は踊らないバージョンです。りらのパートを踊る妖精は別にいて、りらの精は長いドレスでグループを仕切るのみです。このりらのお衣装の長さが、カラボスの黒と対称みたいにみえてこれもよき演出だわと思いました。カラボスとカラボスについてくる部下たちがかっこいいのです。このカラボスは、きれいな女性です。黒いドレスで気位が高くて女王様風。カラボスの部下たちは、ねずみとか骸骨みたいなかっこうでなく、黒づくめのお兄さんたちです。このカラボスの演出は、シュツットガルトバレエのハイデ版の次に好きだわと思いました。物語の展開としての一連の流れは他のバージョンと同じなのですけど、間に挿入されている騎士、妖精たち、りらの精の部下たちの3グループがそれぞれバランスよく舞台に配置されて踊る構成がとても美しくプロローグでいきなりこの作品の魅力にはまりました。

 

一幕の最初の花輪を持って踊る踊りは、一幕の騎士と妖精と同じ人がやろうともがらっと感じが換わることが多いですが、ライト版は人はかわれども印象は同じような人々が踊っており、これもプロローグの好印象がありますので好ましいです。編み物をするおばあさんは登場しません。花婿候補の王子たちは、だいたい同じような長いジャケットに短いパンツと白いソックス(?つまりはブーツじゃなくて靴)にクラシカルな鬘です。この王子たちは、ソロもないし、オーロラをサポートする以外はさっぱり踊らないのに、プリンシパル級を投入していました。特にマチネはロバートパーカー、ジェイミーボンドなどここだけで登場して帰ってしまうにはあまりにおしい人材でした。技巧女王のタマラロホ様をサポートでけちがついたりしたら大変と気合をいれたのかなと思いました。オーロラが眠りにつくきっかけは、おばあさん風の人が花束にしこんだ糸紡ぎでした。倒れこんだオーロラをまわりが心配していて、りらの精が眠っているだけですと説明すると、王子たちが一安心みたいな演技がよかったです。マチネでは気づかなかったのですけど、まわりの人々はわりと演技を細かくしていたみたいです。

 

一幕と二幕の間は休憩がなく暗転するだけですが、ここは音楽もなくイマイチかなと思いました。暗転だけにしては、長かったのです。100年がすぎるわけですからある程度はしかたないとしても音楽くらいはどうにかならなかったのかなと思います。100年後のお衣装もシックですね〜。王子の紺色のジャケットに白いタイツブーツは、よいですね〜。通常は、王子の髪型はおリボンにつけ毛でこれまたツボです。が、イアンマッケイは、つけ毛なしのくりくりの自前の短髪でした。これはいけません。一人になった王子にりらの精がオーロラ姫の幻をみせます。その幻と踊った王子はすっかりそのお姫様にひかれ、りらの精に導かれて深い深い森へとはいっていきます。ここをお船や馬車みたいなので旅する王子もいますけれど、ライト版の王子は脚でさがします。幻を求めるというのはおとぎ話っぽいとしても、大げさな乗り物がなく深い森へはいっていくのは説得力があるなと思いました。かつてお城のあったところは、長年の草やつるにからまれ門を閉ざしてありますが、りらの精が開けてくれます。その辺をしきっていたカラボスもいますが、りらの精がおっぱらってくれます。そしてやっとオーロラの眠っている場所をみつけくちづけで目覚めさせます。通常は、このへんからちょこっとして二幕は終わるのですが、ライト版はめざめたオーロラと王子のパドドゥになります。目覚めたらすぐに幕がおりて、三幕でいきなり結婚だと愛をあたためあう暇も必要のないおとぎ話ね〜と思いますけど、この目覚めのパドドゥによって二人の愛が高まっていく様子があらわされておりよい演出だと思いました。

 

三幕は、おなじみ結婚式のシーンです。ディベルティスマンは、パドカトル、長靴をはいた猫、青い鳥、赤頭巾ちゃんでした。パドカトルは、わたしが前にみたバージョンでは、宝石だったり金銀だったりした箇所かと思います。男性二人と女性二人で、この人々は騎士と妖精の踊れる人たちが同じく演じているのではないかなと思います。オーロラと王子のグランパドドゥも西側のオーソドックスなバージョンでフィッシュダイブが3回あるタイプです。ロシア系のようにフィッシュダイブが1回だと寂しいです。三幕もほとんどよくあるパターンで独自の演出らしきものはみあたりませんでした。

 

王子とオーロラ以外のバレエのレベルは、突出してうまいなと特に思う人もなく、これはだめだわと思う人もなくこじんまりとよくまとまっていました。ただ、これだけしっかり古典のテイストなので、個々のディベルティスマンや妖精は、もうひとレベル高いものが見られればなおよいかと思います。ディベルティスマンはマチネよりソワレの人々のほうがよかったです。青い鳥がどっちもずんぐりむっくりで、もうちょっとどうにかなんなかったかなと思いましたが、技巧系のところはそこそこ決まっていました。ただ、ありがちな会場大うけな技巧ダンサーの見せ場というほどにはなってなかったです。フロリナ王女はマチネソワレともによかったけど、ソワレのほうが若干よかったです。赤頭巾ちゃんや長靴をはいた猫などはかぶり物なので同じ人がやるのかと思ったら、違っており、微妙に表現も違っているのを感じました。

 

オーロラと王子に関しては、マチネとソワレではすっかりテイストの違うダンサーを持ってきたので、これは楽しめました。タマラロホは、これまで’エスメラルダ’や、’白鳥の湖’などで、しっかりとものすごい技の数々を日本人の目に焼き付けていますので、まあ期待は高まるわけです。オーロラが登場してすぐ踊るソロのところは、さすがに上手いわ〜と世界的に突出してクラシックを踊れるバレリーナの踊りが光ります。これはやってくれるでしょうと思っていたのですけど、本日ロホはあまり調子がよくなかったのかな?それとも、BRBはホームグランドではなかったので勝手が違ったのかな?ローズアダージョでは、驚異のバランス技をみせつけるかと思っていましたけど、ロホに期待するレベルにはちょっと足りていなかったような。まあ、そうはいえども、ロホのテクニカルレベルという標準以上の基準を求めればなので、どうこういうほどのものではありませんが。あとは、もう好みの問題でしょう。わたしの好みとしては、ロホはうまかったけれど、ソワレの佐久間奈緒さんのほうが好きは好きかなと思いました。奈緒さんは、2007年の’美女と野獣’でもおとなしいながらも華のある演技とバレエでいいダンサーだなと思いましたけれど、オーロラのような代表的な役をやってもそのよさが出ていたと思います。日本人らしい細やかで情感のある丁寧なバレエが、そのままお姫様の個性というかキャラクターにあらわれており、4人の王子様たちがお嫁にもらいたいと心ときめかす女の子でした。オーロラという役は、お姫様ながら大変にハードな振り付けで、技術も要求され、深い感情表現の場面がないだけに、踊りそのものにそのダンサーの表現力がとわれる役どころです。タマラロホの上手さで何でもこなす感じもさすがだなと思う反面、奈緒さんの西洋に生きる東洋的な奥ゆかしさや細かな情感を感じさせるしみじみかわいらしいオーロラがよいなと思ったのでした。

 

ライト版というのは、王子は出番は多く、パドドゥは目覚めもあり通常よりはあるほうなのですが、ソロが圧倒的に少ないです。一応、二幕のソロちょこっとしたソロと、三幕のグランパドドゥの中のバリエーションはありますが。それゆえに、王子はたっているだけで王子でないといけない役どころなのですね。王子のお衣装は、二幕も三幕もこれは、王子中心でバレエをみるわたしとしては、かなりツボなものです。ソロがめちゃくちゃ少ない不満をのぞいては、これぞ王子ダンサーに演じてもらいたいバージョンかと思います。で、今回BRB,デビッドビントレーの大誤算は、王子戦略の失敗でしょう。イアンマッケイもツァオツィーも悪いダンサーでないけれど、このライト版の王子だけはむいてないと思います。イアンマッケイは、つけ毛とおリボンをしないことをのぞいたら、このお衣装は似合ってました。長身で、白いタイツにブーツの映える形のよい下半身です。タマラロホのサポートもちゃんとこなしてました。が、ソロがいけません。特にわたしの大好きな三幕の王子のバリエーション、これがまったくいけません。長身のダンサーにありがちな、ゆるくて、決め所が甘いタイプでした。このがっくり加減はかなり大きいです。これだけ、王子らしい王子を要求されるライト版の本家でありながら、こんなダンサーしか王子にもってこれなかったのでしょうか。こんなことなら、ロイヤルからロホだけでなく、ボネリもかりてきてほしかったです。ソワレのツァオツィーは、前評判が高いしマチネの王子があんななので、是非に踊りのほうは期待したいところです。結論からいいますと、踊りは悪くなく、きっちりしているけど、普通でした。と、いうか体型で損しています。彼は、鍛えたアジア人体型なのです。今時のすっと長身の小顔の若者よりちょっと上の世代なのかな?デマチでみると、けっこういけてるルックスなのです。が、舞台でみるとお顔が大きく太ももが太くみえてしまうのよね。決して小柄ではないけれど、あと10cm背が高かったら、バレエもきれいにみえたでしょうに。あと、振る舞いと立ち姿は残念ながら、生まれながらの王子ではないです。やっぱり王子は世間にはそうそういないってことなのよね。眠りの王子は、本当に王子らしい王子ですもの。わたしが、これぞ王子と求める要素がいっぱいですもの。だからライト版はツボだったのでしょう。それだけに、残念だわ、BRB.。イアンマッケイもツァオツィーもだめなダンサーだとはいいませんが、ライト版がこれだけツボなつくりであったことを思い、オーロラがそれぞれすばらしく演じていただけに、おしい。残念。と、書きながら頭をかすめたのは、You Tubeで観たオランダ国立バレエにゲスト出演したマリンラドメイカー。シュツットガルトバレエで来日したときは、かわいさだけで王子やっており、そのテクニックの低さにおしいと思ったけれど、あのオランダ国立バレエのライト版の成長ぶりには驚かせられました。 ああいう王子で見たかったわ。まあ、ああいう王子でみたかったと言い出すときりがありません。だいたい、わたしには永遠に超えることのできない眠りの王子がほかにいますから。と、はなしがそれましたが、ライト版という宝物をもったカンパニーですから、どうかこれにふさわしい王子を育てるなり他からスカウトしてくるなりして、この作品をカンパニーのレベルとして完成度の高いものにしてください。王子は一番の課題です。

 

今回、震災があって原発事故の収束もままならず、いくつかのダンサーが来日を中止したり延期したりしている中、フルカンパニーでやってきてくれたBRBには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。遠く離れた東洋の島国は、ダンサーの家族にはさぞ危険なところに思われ、来日をどんなにか心配していたことでしょう。ダンサーたちの勇気を尊重してくれたご家族の皆様にも感謝します。今回の来日で日本のバレエファンはBRBのことを決して忘れることはないでしょう。という思いもあるのですけど、BRBの勇気ある来日、こんな状況での感謝の気持ちというただし書きがなくとも、よき公演でした。本当なら、そんな美談のような美辞麗句なしに、心に残しておきたい公演であったと思います。ピーターライト版のこれぞ古典のオーソドックスな演出と英国テイストなシックな美術、’眠れる森の美女’はこうあってほしいバージョンであったと思います。

 

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img034  白鳥の湖 サンクトペテルブルグバレエシアター

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オーチャードホール(東京)

オデットオディール:イリーナコレスニコヴァ 王子:オレグヤロムキン

ロットバルト:ドミトリーアクリーニン 道化:アレクサンドルアバタロフ

パドトロワ:ドミトリールダチェンコ、小林美奈、アンナサモストレローヴァ

 

元々は、’ラバヤデール’とかぶっていたので行かないつもりでした。前回来日の時に観たお友達によると、宣伝にあおられたわりにはぱっとしなかったとのこと。無理していくことはないなと思っていたら、公演延期により、GW後半の公演となり、これも何かの縁かもとチケットを買いました。旧ソ連系のバレエカンパニーというのは、来日するからといっても一流から四流、五流まで様々です。本日は、ま、三流どころ。昨年みたモスクワ劇場バレエよりは落ちて、ニーナのグルジア国立バレエよりはましというレベルかなと思います。

 

構成は、一幕二幕、休憩、三幕、休憩、四幕でした。’白鳥の湖’は何度もみているわりには、旧ソ連系のものは、細部の記憶があまりなく、こんなだっけ〜と思いつつ、なんか端折ってるんじゃないかなという気がするうすい印象でした。オデットが登場する前に王子の踊る場面がないんですよ。そういえば、レニ国でゼレンスキーがゲストの時って、王子が踊らないな〜と思ったときくらい踊らなかったです。そうだ、一幕の王子のソロはなかったです。道化と家庭教師が登場するバージョンですが、道化はいつもめざわりだわと思うのですけど、今回はそのわりに気にならなかったので、こっちもあまり踊っていないのかも。王子は、踊らないなら、振る舞いでどのくらい王子にみえるかというと、これがまたノーブルさが微塵もない、普通の青年。王子は、立ってるだけで王子であってほしいけど、まあ旧ソ連は生まれながらの王子はまれなので、彼も踊るまで待ってみましょう。二幕までの展開は、めずらしい振り付けも演出もなく、こんなもんかなという感じ。パドトロワの男性は、典型的にゆるいロシアの男性ダンサーで、こういうのをここに持ってくるようでは、この先が思いやられるわと暗雲ただよいました。女性二人は、そこそこ踊れていましたけど、平凡かなと思いましたけれど、後の踊りをみるかぎり、このカンパニーにおいては、踊れている人たちなのだと知りました。演出でちょっとよかったのは、乾杯の踊りのところで、だんだん日が暮れていって、王子が狩に出かける頃は夜になっているというのを表していたところです。この作品においては一番よかったといえるでしょう。

 

二幕最初は、最近には珍しい白鳥の人形が湖をすべっていくバージョンです。それも丁寧に、ちゃんと水面にうつった逆さの白鳥つき。もちろん、オデット白鳥は頭に冠をかぶっています。白鳥の流れたあとで、ロットバルトが一人でてきます。旧ソ連系は、歌舞伎メークが主流ですね。ちょっと踊ったところは、なかなかいい感じ。と、思ったら、ロットバルトは一瞬でてきて二幕最後まで登場しません。期待のオデット、コレスニコヴァ、でかい。大きいとか大柄というより、でかい。これは、まるで白鳥というより鷲。なぜか、2003年に韓国でみたアランヴィンセントのThe Swanを思い出してしまいました。手足ながくて、曲線系の動きは得意みたいです。王子が追いかけるのですけど、なんか恋におちていくというよりも、お姉さんにからかわれる小さな子供みたいでした。コレスニコヴァが大きすぎて、王子の腕をすりぬけていってるんだか、王子がふりまわされるんだかわからないほど。王子の腕によりかかって身体を倒してくると、王子がよろけるのではないかと心配です。リフトがあがらないし、あげないんですよ。コーダの最後に、王子がオデットを肩の上までリフトしないのはすごい久しぶりです。オデットにおいては、コレスニコヴァは、言うほどでもないなと思いました。ここのカンパニーがもともとそうなのか、今回の来日がそうなのか不明ですけど、白鳥の総数も少ないと思いました。通常は32羽くらい?ここは、24羽しかいないので、一列少ないです。大きな白鳥などは、カンパニーの中でも次をになうポジションの上手い人が踊るところなので期待しましたが、ほんとうに大きいだけで、残念すぎるほどぱっとしませんでした。

 

三幕になって、やっぱり全体の人数が少ないのだと気づきました。このままだと花嫁候補が3人くらいしかいなかったらどうしようと思っていたら、ちゃんと6人でてきてほっとしました。スペイン4人は普通として、ナポリが6人、マズルカが8人、ハンガリーが6人。個々のディベルティスマンがこのくらいの人数っていうのはありますけど、そのうちのどれか一つは10人とかもっといるようではなかったかなと思うのですが。直近の白鳥が、パリオペだったせいもあり、あの大カンパニーの記憶が邪魔しているのかもしれませんが。マズルカに一人まだすごく若い男の子がうまいなと思い、この子が将来の王子候補かなと思いました。三幕は、王子の演技はよかったです。オデットが来てないか、お姫様を熱心にチェックしたり、来てないとわかってがっくりしていたら、オデットに似たオディールがきてすごく嬉しくなったり。オディールの登場は、ブルメイエステル版なみに早いです。スペインの踊りは、登場の後ですので。オディールが登場してから、いっきにディベルティスマンをやりますので、その間王子とオディールは舞台に登場せず、この間に愛をあたためあっていたのかなと思ったりします。いよいよディベルティスマンが終わって、王子のソロです。なるほど〜、このカンパニーの男性ダンサーとしてはちゃんと踊れていますね。このくらいの人をパドトロワにもってきてほしかったなという、普通にきちんと踊れるレベルでした。で、期待のコレスニコヴァ。32回転が、めちゃめっちゃ音楽早いです。これは、オーケストラのせいなのか、演出なのか、彼女の要望なのか。どうなっちゃうんだと思ったら、シングルだけでなく、ダブルもいれて、ちゃんと32回転まわってつつがなく終わらせました。プロモーションでは、彼女のオディールがすごくドラマティックのようにいわれていましたけれど、別にでした。演出も、びっくりするようなものではなく、なるほど、これがあおられたわりには、、、の結末なのだと思いました。バレエ的にどうかというと、テクニックは、他のダンさーよりは上かもしれませんけど、上手いなというほどでもなく、表現力も突出したものは感じませんでした。コレスニコヴァは、つくられたスターなのだと思います。

 

四幕は、黒いチュチュもまざったバージョンです。特に珍しい曲使いや振り付けはありませんが、特徴的なのは、白鳥たちが、ばさばさ倒れるのです。オデットだけでなく、時に集団で倒れます。これは、乾杯の踊りの次にいい演出だなと思いました。このままオデットが死んじゃって、結ばれないバージョンかと思っていましたら、最後の最後にたよりない王子が唐突にロットバルトを倒して、ハッピーエンドでした。オデットは着替えませんが、仕草から翼が腕になって、人間にもどっているわというのがわかります。そうそう、このバージョンは着替えません。王子、ずっと同じ衣装です。せめて、舞踏会の時と、カジュアルな一幕とは着替えてほしかったです。もしかして、着替えていたらすみません。でも、気づかないほど、同じぽかったです。少なくとも、タイツは同じのでした。

 

開演前に、このカンパニーの創始者のコンスタンティンタッチキンさんからご挨拶がありました。こんな時に、やめずにきてくれてありがたいとは思いましたが、もう少し日本のバレエ事情を知ってほしいかなと思うコメントでした。日本にバレエのような芸術を普及させたいので、公演のお値段もお安くおさえてある、日本とロシアのアーティストが共演できるような活動をしたい、今回オーケストラが思いがけずそれを果たせたが、日本のオーケストラはサンクトペテルブルグと比べても遜色ない、毎年公演したいとのことでした。まあ、S席のお値段は高くはないけど、オーチャードのB7000円ってどうかな。オーケストラのことにしても、日本の芸術事情にしても、ちょっと上から目線?っぽいものを感じました。それに、毎年日本で公演したいなら、もうちょっとカンパニーのレベルをあげるか、グレードの高いメンバーそろえて公演しないと。作品も、こんな普通の演出のはしょったバージョンでは、作品そのものとしての吸引力もないし。地震と原発の影響で、来日を躊躇しているカンパニーやアーティストも今は多いかとは思いますけど、震災前までは、日本って、超一流のカンパニーやアーティストが次々公演していたところですから、バレエファンの目は肥えてしまっているのですよ。この激戦の中にとびこもうとするならば、もっと現実を知ってほしいかなと思います。

 

いろいろ書きましたけれど、全然だめというほどでなく、行って後悔でもなく、楽しかったことは楽しかったです。でも、感動はないかな。こういう日もありでしょう。

 

 

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img032.gif  レミゼラブル

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帝国劇場(東京)

ジャンバルジャン:吉原 光夫 ジャベール 石川 禅

エポニーヌ: 平田 愛咲 ファンテーヌ: 知念 里奈

コゼット :中山エミリ  マリウス :山崎育三郎

テナルディエ: 駒田 一 テナルディエの妻: 森 公美子

アンジョルラス: 阿部よしつぐ

 

今回は、キャストが出たときからテンション下がりまくりですけど、GWだし、やっぱ禅さんのジャベールは観たいしということで、B席最後列を早い時期に買ってました。去年の今頃、’レベッカ’ががらがらだったので、あんなのかなと思ったら、本日は完売だったそうで、レミゼはやっぱ知名度高いのねと思います。禅さん以外は、アンジョルラスの阿部よしつぐ君がどんなだかみたかっただけなので、あとのキャストはノーチェック。そのわりには、本日は、キャストのレベルは高く、コストパフォーマンスのよい公演であったなと思いました。

 

で、今日何がびっくりって、ガブロッシュが子供店長の加藤清四郎君だったのです。あんな大物が子役で出ているとは知りませんでした。でも、いくらなんでも、小さすぎました。どっちかというと、コゼットの役のほうがあっていたのではないかと思います。ガブロッシュは、実際は12歳以上でしょう。子供店長、演技はいいんだけど、あまりに無邪気すぎて、すれまくっている子供にはとってもみえませんでした。彼のキャリアとしては、ステップアップなんだろうけれど、ちょっと早すぎ。どうしても出たかったなら、’エリザベート’のルドルフのほうがよかったよね。最後に弾のはいったバッグをバリケードに投げるところは、無理よね〜と思ったら、ライトははずれた端っこに届いてました。ああ、なんだかね〜、しみじみ切なくなって、涙ぼろっときました。ガブロッシュの死ぬところって、なんか狙ってるっぽくてひいちゃうことがおおいのですけど、清四郎君の必死さとガブロッシュの命をかけたひたむきさが重なっちゃってぐっときてしまったのでした。(そこがプロなんでしょうね〜)

 

女性陣は、テナルディエ夫人以外は全部初です。エポニーヌは、笹本玲奈ちゃんだとばっかり思っていたら、違てるみたいですね。歌い方とか似ているような気がします。そういうわけで、歌い方は好きじゃなかったのですけど、演技はよかったです。全然ぱっとしないし、反応悪くて勘違いのマリウスがあんなに好きなのが、なんだかいじらしくて。’恵みの雨’の時、隣の隣の席の奥さん、泣いてました。わたしも、ちょっとうっときそうと思ったら、マリウスが変なところで変な反応したので、急にだめだろう〜とさめてしまい残念でした。あの演技も笹本玲奈ちゃんぽいなと思ったのですけど。コゼットは、誰がやっても同じなので、あとは好みですが、わたしは中山エミリさんより神田さやかちゃんのほうが好きです。今日、知念里奈が出るはずという認識のもとに劇場に向かったのですけど、てっきりエポニーヌだと思っていたら、フォンティーヌでした。で、これが、エポニーヌをそのままフォンティーヌにしたような、下層階級で気が強くて、貧困の中で、すれまくっている女性で、原作に近いと思います。フォンティーヌは、わりとお上品なお嬢さん風に演じられてしまうことが多いのでしょうが、これが本当なのかなと思います。でも好きじゃないわ。工場長にらんだりするし。あと、知念里奈は歌がね〜。フォンティーヌのパートを歌うなら、もうちょっと歌唱力を磨いてほしいものです。

 

これはどんなものでしょうと思った、阿部よしつぐ君、う〜ん、期待はずれかも。期待はずれというと言葉がきついのですけど、アンジョルラスは荷が重かったね。と、いうか日本のアンジョルラスの中では悪いほうじゃないんですけど。阿部よしつぐ君は、アンサンブルの時代からよくみてました。あら、っと彼が光っているわと思ったのは、ミュージカルのオムニバスCDで歌っていた’スターライトエクスプレス’。とてものびやかに、澄んだ歌声で、アンサンブルにうもれる人ではないわと思いました。あれから数年たってアンジョルラスの役を射止めたと聞いて、思った以上のビッグロールにおめでとうな気持ちでした。何がいけないというと、何も悪くはないのですけれど、アンジョルラスだものね〜。わたしのデフォルトのアンジョルラスは、オリバーだものね。原作のアンジョルラスとオリバーのアンジョルラスはあまりに重なったものね。期待してしまうと、どうしてもギャップが。背がちょっと低いわとか、歌にもうひとつ力強さがないわとか、存在感がなんだかうすいわとか、細々気になってしまうのです。何が悲しいって、演技はとても細かくてみせるんだけど、アンジョルラスでなく、学生のアンサンブルの一人にみえてしまうのです。残念、阿部よしつぐ君。でも、嫌いなアンジョルラスじゃなかったです。

 

本日、全然期待しないどころか、覚悟までしていった無名の新人(?)バルジャン、吉原光夫さん、よかったです。公式サイトの動画で普通のかっこうで歌っているところをみた時は、これはまたはずれだわと思ったのですけど、禅さんと阿部よしつぐ君の組み合わせでGW中だと吉原さんしかなかったし、別所さんも山口さんも前回のキャストの中では避けたい人々だったので、まあ選択の余地なしだねという心境でした。わたしは、石井さん、橋本さん、今井さんが好きなバルジャンなのですけど、吉原さんは歌は今井さん風なのでした。舞台ではちゃんと歌える人なんだ〜と動画との違いにびっくり。どのくらい若いのかはわかりませんけど、今井さんが近年太りすぎてバルジャン苦しいわと思っていたので、よきタイミングでチェンジしてくれたと思います。こういう無名の人が大役をやるので、どうしても自分の実力をみせたいという気持ちが先走り、ちょっと荒削りになるところは、これから回数を重ねていけばよくなると思います。どういう経歴の人なんでしょう?これから楽しみです。’ダンスオブヴァンパイア’のクロック伯爵とかいいと思いますよ。歌は、今回の3人のバルジャンの中では一番歌えていると思います。

 

本日のメインの禅さんは、もう期待どおりの、熱く正義に生き、正義に挫折するジャベールを熱演しておりました。この方が一月後には、おばかでかわいいマリウスを演じるとはとても思えぬほどです。わたしは、禅さんの歌は、高音ののびやかで若者っぽい時とか、人生の悲哀ひしひししみじみきかせるときとか好きなのですけど、本日の’Stars'は全然違う側面なのに感動しました。この’Stars'の感動は、2004年に初めてロンドンで、マイケルマッカシーの歌を聞いた時以来かと思います。吉原バルジャンとの相性もよく、久しぶりにフォンティーヌの死体の横の対決の場面も聞き応えがありました。橋本さんと禅さんの組み合わせが好きでしたけど、吉原さんと禅さんもすてがたいなと思います。

 

もう、何回観たのか忘れたくらいレミゼはみていますけれど、やっぱり好きだわと思います。今回が東宝版は85年のロンドンオリジナル版の最後の上演だそうです。今、ロンドンでは新しいバージョンが上演されているとか。どんな風にかわっているのか是非ロンドンで観てみたいものだと思います。

 

追記

 

書こうと思って忘れていたことを2つ。

1)オーケストラのテンポが今日は遅かったです。不思議なくらい。指揮者が違うのかな?

2)吉原さんのいいところで、すごい大事なところ、もう一つ。力持ち。久しぶりに、しっかりマリウスを担いだバルジャンでした。後半は、お姫様抱っこして、ジャベールに’みろ〜、ジャベール、死にかけてる’と抱っこしたままみせるのですよ。後半は、マリウス立たせっぱなしで、歩かせる人いるでしょ。あれは、どうかな〜と常々思っていて、死にそうな人が足動かさないよね〜とか。これからも、マリウスを抱っこしてやってください。

 

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img034  ラバヤデール 東京バレエ

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東京文化会館(東京)

ニキヤ(神殿の舞姫):小出領子 ソロル(戦士):イーゴリ・ゼレンスキー
ガムザッティ(ラジャの娘): 田中結子 ハイ・ブラーミン(大僧正): 木村和夫
ラジャ(国王):柄本武尊 マグダヴェーヤ(苦行僧の長):松下裕次
アヤ(ガムザッティの召使):松浦真理絵 ソロルの友人:森川茉央
ブロンズ像:宮本祐宜 影の王国(ヴァリエーション1):岸本夏未
影の王国(ヴァリエーション2):佐伯知香 影の王国(ヴァリエーション3):乾友子

 

もともとは、本日が比較的楽しみ、サラファーノフの俺様ソロルを観ようと思って買った日でした。フォーゲルの東京バレエでの成功はあたりもはずれも50%の確率なので、とりあえず買ったけど、降板になってもそれほど残念ではありませんでした。サラファーノフが降板は、あ、ちょっと残念と思ったのもつかのま、な~んとあのゼレンスキー様が代役というではありませんか!ゼレは、わたしのバレエ観劇が入門コースの頃からみたかったダンサーでした。ニーナのビデオでみた颯爽とソロルを踊る姿にひかれていたのです。’白鳥’の王子と’海賊’のアリはみれたけれど、この前マリンスキー来日公演に名前はなく、ゼレの全幕をもう観ることはないのだわとあきらめていました。それが、こんな原発事故レベル7の中、あのソロルを踊りにきてくれるなんて。NBSは、主役ゲストがかわっても代役さがしにかけては、超一流といってよいでしょう。昨日、お友達と話していてNBS代役さがしのもっともすばらしい実績を思い出しました。2005年、ロイヤルの来日公演で、ジョナサンコープの降板による代役ロバートテューズリーを連れてきたのもNBSだったのでした。

 

本日は、脇のメインの人たちもチェンジしています。大僧正の木村さんは、今まで彼をみた中で一番素敵でした。とても神経質で頭のよいエリート僧という感じ。そういう人がきれたら怖いよねという、恋のために自分を完全に失った様子がよかったです。次回もソロルはやめて、この役に徹してほしいです。松下君は、やっぱりゴールデンアイドルより、マクダベーヤが似合ってるわ~と思いました。踊りが丁寧になってきたので、さらにこういう野性っぽい役をやっても荒さがなくて形がきれいになったと思います。マグダベーヤをこのくらいのレベルの子をもってこれるようになれたということは、東京バレエの男の子も育ってきたのだねと思います。ゴールデンアイドルは、本日の子はおとなしかったです。ラテン系でないヨーロッパ人のすらっとした人がやるゴールデンアイドルに近い感じ。ただ、この役はもう少し元気にやらないと。ちょっと自信ないという態度が出て、心もとなかったです。この役が好きでないのかしらと思いました。ソロルの友人役の子ははじめてみましたけれど、立ち姿がよいです。これは、歩くだけの役なので、踊ってもいいことを祈ります。次回、踊る役で確認したいと思います。

 

影の王国はかわらずよかったです。ここは、音楽もよいし、東京バレエの群舞はよく訓練されて、息もぴったり。

日本のバレエ団の上の階層にいるカンパニーだなと思いました。バリエーションの印象は、ほぼ昨日と同じです。乾さんは、みんなで踊っているときは、あの人よさそうだわと思ったけど、ソロのところは普通でした。第一バリエーションが吉川るいさんかと思ったらこの前と同じ岸本さんでした。東京バレエは美人が多いわ。

 

ガムザッティの田中むすこさんは、昨日よりよかったです。チュチュを着て踊るソロは、やっぱり存在感にかけるし、回転がとまりそうになってはらはらするところが何回かあったけど、今日は演技がよかったと思います。田中むすこさん、ゼレのソロルが好きみたい。なんか、そういうのってでるんだなと思いました。三幕で、自分を愛してくれないソロルに向かって踊るソロがもう切なくて。この人が、こういう風に踊ることができるんだわとちょっと驚きました。だいたい、ガムザッティってかわいそうな女なんだけど、かわいそうって思ったことなかったです。華はなくとも哀れがある、これはこれで成功といえるのではないでしょうか。

 

小出さんは、これまでちょこちょこみて、いいダンサーだなと思っていました。特に’オネーギン’のオリガはよかったです。本日、見たところ、彼女は女というより、女の子なんですね。恋するというか、恋を夢見る少女だったら多分きっとぴったりだと思います。だけど、ニキヤは、巫女なんですよね。恋のために死んでしまうけれど、恋に情熱を燃やしつつも、どこか俗世の女性とは一線を画した神秘の部分がないと。一幕も二幕もなんだか生生しいというか、生命感にあふれた少女を感じてしまいます。バレエの動きは、悪くはないけど、昨日の形だけはばっちりの上野みずかさんと比べると、身体のサイズ分迫力に欠けるように思います。ゼレンスキーとの身体の相性もいまいちだったのかな。一幕の最初に、パドドゥがう~ん、息があってないなと思っていたら、肩より上に高くあげるリフトがきれに決まってから急に二人の呼吸があってきました。ここをクリアするのに緊張していたのかしらと思いました。一幕は、全体的にゼレンスキーが小出さんをふりまわしているように見えるくらい小出さんが小さくみえましたけど、二幕はわりと違和感なかったです。でも、影の王国の非現実の世界を現すには、小出さんはやっぱり生生しいです。せっかく大人のソロルが相手なので、ここは吉岡さんあたりでみたかったかなと思いました。

 

で、ゼレですね~。お衣装は、お持込だったのでしょう。マシューはオランダのお持込でなくミラノスカラ座からの借り物を着ていたと思うのですけど、ゼレのはミラノのお衣装ではなかったです。旧ソ連系のソロルだなというお衣装です。ビデオでみた若き颯爽としたソロルの勢いはありませんでしたけれど、ベテランの成熟した男性ダンサーが演じるソロルでした。ソロルに大人とか若者があると考えたことはありませんけれど、大人のソロルでした。このソロルは、頭で考えるんですよね。昨日のソロルは目の前にみえるものにすぐ反応しちゃうとっても素直な青年だったのですけど、本日のソロルはお見合いの時もいろいろ考えてます。すわり方も違いますし、ガムザッティとゲームして遊んだりしません。時々、ガムザッティをみつめては、状況をよおく考えなくちゃなと思案しています。(そのわりに流されるのですが)一幕のソロは、昨日のマシューのように最初っからとばしますというのとは違って、さらっと力ぬいてかわして、ちょっと物足りないわと思っていたら、二幕からのソロにむけての助走だったようで、力配分しているのだわと思いました。演技が細かく、ニキヤが蛇にかまれると顔をおおってショックをうけますし、三幕の結婚式のときなんて、結婚したくないという態度をあからさまにみせつけます。結婚式に腕組みして苦悩されるなんて、つらいわ〜。ガムザッティむすこは、ゼレのソロルがこんなに好きなのに〜。神様の前で誓いをたてるところは、もう抵抗して、抵抗して無理やり膝まづかされる始末。大人のソロルといいつつ、この辺のわがままさ加減は大人じゃありませんでした。ところが、神殿崩壊の時、神殿が崩かけて人々が散り散り逃げていくところ、ガムザッティむすこはちょっと救われます。昨日のマシューは、ひとり右側の暗闇に消えていったのですけど、ゼレソロルは、ガムザッティむすこの手をとって肩を抱くように左側へ去っていたのです。どこまでが演技でみせる領域なのかわかりませんが、これで、ガムザッティむすこの思いが救われたようで、なぜだかわたしも嬉しかったです。

 

今日は、今日で、味わいの違うバヤデールでよかったな〜と思いながらむかえたカーテンコール。ゼレンスキー、実はここが一番素敵でした。皆でならぶと、やっぱり彼は大スター。だけど、いやだからこそ、決して前には出ずに、誰よりもちょっと下がって、女性を前にそっと微笑む姿が、なんかすごく優しい。若いスターダンサーがゲストできたときは、観客もダンサーもそのスターダンサーにスポットライトを集中させるかのような拍手を送ることが多いのですけど、ゼレンスキーは自分への賞賛を東京バレエのひとたちにみたいな雰囲気を漂わせ、まるで自分のカンパニーの監督さんみたいでした。ソロルも素敵だったけど、お衣装のまま素にもどったゼレンスキーのベテラン加減にもぐっときてしまったのでした。

 

まだまだ震災の爪あとは深く、原発の不安はおさまらない中、こんなに素敵な公演を2日間続けてみれたことの幸運を思います。あたりまえだと思っていたことが、あたりまえでないとわかった震災の後、人々が自分のいる場所で自分のなすべきことを真摯にひとつひとつ積み上げることの大切さを身にしみて感じます。すばらしい舞台をつくりあげてくださった方々に感謝します。この公演は、東京バレエにとってもバレエ団の歴史に残る公演となるのではないでしょうか。

 

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img034  ラバヤデール 東京バレエ

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東京文化会館(東京)

ニキヤ(神殿の舞姫):上野水香 ソロル(戦士):マシュー・ゴールディング
ガムザッティ(ラジャの娘): 田中結子 ハイ・ブラーミン(大僧正): 後藤晴雄
ラジャ(国王):木村和夫 マグダヴェーヤ(苦行僧の長):高橋竜太
アヤ(ガムザッティの召使):松浦真理絵 ソロルの友人:柄本弾
ブロンズ像:松下裕次

影の王国(ヴァリエーション1):岸本夏未 影の王国(ヴァリエーション2):佐伯知香
影の王国(ヴァリエーション3):高木綾

 

’ラバヤデール’は、初演の時もみてこのバレエ団の作品の中ではかなり完成度高いと評価しており、楽しみにしていました。今回は、ゲスト付きだし、お値段も前より下がったし。フォーゲルにサラファーノフなんて、バレエ的に嬉しいわとちゃんと発売日にチケット買いました。ところが、先月の大震災で日本は一変してしまい、公演の開催さえ危ぶまれました。よくてもゲストなしかしらと随分気をもみました。そんな中で、NBS, Good Job! こんな大変なときに、きちんとゲストをさがしてきて、予定どおりに幕をあけてくれました。今朝も大きな余震があり、マエストロが会場になかなかこれない等のトラブルもありましたけれど、無事本日も公演を行えたことを嬉しく思います。

 

このバレエは、インドが舞台ということで、外見の違和感のなさが一番の強みかと思います。クラシックを日本のバレエ団がやると西洋のお衣装と男性はタイツ姿に泣かされるものですけれど、この舞台はお坊様とか、修行層とかインドのお役人や兵士ですから、東京バレエの男性陣、見た目が全然苦しくありません。しいていうならば、マグダヴェーヤなどが、もう少し丁寧にクラシックを踊れる子を使えたらよかったかと思います。最近、ロイヤルの録画をTVでみたせいか、蔵健太君のクラシックテイストな修行僧がやきついており、本日のマグダヴェーヤは荒っぽすぎるわと思いました。前回から引き続きの松下君のゴールデンアイドルはよくなってました。彼は、器用だけど、技巧に集中するあまり、動きがあらくなってしまうことが多かったのですけれど、細部まで神経つかえるようになってよかったなと思います。ガムザッティとソロルの婚約式で、左列の2番目に上手い子がいるわと思ったら長瀬君でした。なんで一列目でなかったのかなぞです。

 

影の王国のバリエーションのお3方は、普通でした。悪くもなく、ものすごくよいでもなく、このカンパニーのクラシックレベルはこういう感じなのだなと思いました。こういう脇なんだけど重要ポジションのバリエーションにどのくらいのレベルのダンサーを持ってこれるかでその底力がみえると思います。悪くはなかったですよ。でも、さすがという感じもありませんでした。影の王国の群舞は前回に引き続きさすがでした。こういうところは、東京バレエはみせてくれます。そろってますね。トーシューズばたばたがなければ尚よいです。

 

ガムザッティは、前回のときも田中結子さんでみましたけれど、印象はかわらずです。 この方は、わりとこのキャラ系の重要ポジションにいる人ですけど、存在感と華がなく、バレエも平凡です。演技も普通だしね。前回に比べると貫禄がでてきたなとパドドゥのときは思ったのですけど、ソロになるとがくんと存在感がおちます。特にチュチュになるとコールドにうもれてしまいそうでした。東京バレエは、テクニックもそこそこのきれいな人がいっぱいいるのに、ここにも年功序列が生きているのでしょうか。

 

上野みずかさんという人は、東京バレエにおいては、本当に役にめぐまれていないと思います。彼女が一番似合わない役ばかりで主役を務めねばならないのですね。オデット、ジゼル、シルフィード、そしてニキヤ。あれだけ日本人離れした体型にめぐまれ、バレエのテクニックを持っているのに残念です。彼女は、もっと現代的なコンテンポラリー系のカンパニーのほうが向いているのではないでしょうか。本日のできはというと、やっぱり役にたいする理解が浅く、それゆえに表現力に欠け、バレエがただ形として成り立っているだけで、ニキヤの恋の情熱と悲しさがすごく表面的な感じがしました。二幕の影の王国は感情表現はないのですけれど、踊りに情感がなくうったえてくるものがありませんでした。ただ三幕はなぜだかよかったです。あれは、ソロルがみているニキヤの幻影で実際の幽霊ではないと思うのですけど、情念だけがソロルをとらえてはなさない、ニキヤそのものでなくソロルが自らうみだした想像上の苦しみという感じがよくでていました。みずかさんは、決して表現力がないというわけでなく、あわない役をうまくこなせるほど器用ではないということでしょう。だから、何度もいいますけれど、ガムザッティやったらいいんですよ。絶対、彼女の代表作になると思います。そしたら、田中さんのぱっとしなかった婚約式のパドドゥだって見所になれると思いますよ。

 

まあ、なんだかんだと書きましたけれど、本日の公演はよかったですよ。何がよかったって、ソロルでしょう。オランダ国立バレエからの助っ人ダンサー、マシューゴールディングですよ。よくぞ、こんな逸材をこの状況で見つけてきたものだとNBSのネットワークには脱帽です。公演前にYou Tubeでみたところ、お顔はどうでもいいけど、なかなかよさそうな踊りじゃないですかと思い、来日後のお稽古写真をみるときれいにサポートもしているらしい。水曜日にみたお友達もかなりご機嫌です。と、期待も高まり公演にのぞんだのですけれど、これが期待以上、むしろフォーゲルより嬉しいかもです。 マシューは、これまで上野みずかさんが組んだ真っ当なダンサーの中で、彼女につぶされないで彼女をいかすことのできた唯一のダンサーといってよいでしょう。真っ当なダンサーなので、デビッドマッカテリはふくみません。マチュウは、白鳥とジゼルでつぶされ、フォーゲルはジゼルでぼろぼろにされ、サラファーノフは彼女を無視して一人ガラ状態。世界の名だたる若手ダンサーは、皆々、上野みずかさんとは美しいパドドゥを実現できていないのです。マシューは、田中むすこさんとさえもパドドゥ成立させていましたよ。あまりにどちらも安定してサポートして相手をいかしているので、30歳くらいの中堅どころのダンサーかと思ったら若干25歳の若者ダンサーじゃないですか!デマチでみて、その若さと初々しさにびっくりでしたよ。舞台の上では、お顔ちっちゃく、全体的にすらっとしているけど、がっちりにもみえるし、王子姿もよいだろうけれど、こういうソロルとか戦士系よさそうなタイプです。 立っているだけでノーブルな王子というわけではないのですけど、動くとただ立っているときの数倍いいのです。これは、初めてのパターン。たいてい、バレエがいい人は立ち姿もよく、立ち姿だけがよくて踊るとだめな人も多い中、たっているときは、わりと普通なのに、一歩でもうごくとすごいいいのです。二幕の影の王国に突入する前のソロなんて、ツボでした。演技もいいですね。三幕の結婚式のいよいよ神様に誓いをたてに階段の上にいって、両手をあげて傾くところなんて、ニキヤへの未練と罪の意識にさいなまれ、それでも成り行き上こばみきれない無念さが腕と背中にあふれているのです。全体の表現は、個人的好みとしては、もう心もち控えめのほうがいいですが、これはわたしが成熟した男性ダンサーに求めるレベルですから、この若きダンサーにそこまで求めるのは酷な領域でしょう。前回の東京バレエの一番の欠点がソロルでしたけれど、今回は一番のすばらしい点がソロルでした。マシューゴールディングは、ゲストダンサーとして十分に責任を果たすだけでなく、思いがけないほどのプレゼントを与えてくれました。彼の活躍は、来年の世界バレエフェスティバルの一枠をオランダ国立バレエが獲得するに値する働きであったと思います。今日が最後じゃなければ、もう1回分、チケット買いたいくらいでした。

 

震災以来、バレエの世界にも少なからず影響があり、ゲストダンサーの確保も容易でない状況が起こっています。そんな中で、余震にも原発の不安にもまけずに踊りにきてくれたゲストダンサーには感謝でいっぱいです。限られた短いリハーサルしかできない中、きっちりそのお仕事をこなして、さらには感動すら残していくことができるなんてすばらしいです。今日は、マエストロが遅刻してコンサートマスターがかわりに指揮をとりかけるという出来事もあり、公演の幕を開けるためにいろんな要素がかかわっているのだと実感しました。これまで当たり前に存在していたものの貴重さを実感しながら公演を観ました。明日は、いよいよゼレンスキーの登場です。

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img034  シンデレラ スターダンサーズバレエ

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テアトロジーリオショウワ(川崎)

シンデレラ:吉田都  王子:ヴァレリーヒリストフ

父:東 秀昭  継母:天木真那美

義姉妹: 佐藤万里絵 荻野日子 仙女: 小池知子

王子の友人:大野大輔 吉瀬智弘

ねずみ:小平浩子 新田知洋 林ゆりえ 福原大介

 

1月ぶりの劇場、2ヶ月ぶりのバレエ、3ヶ月ぶりの全幕バレエです。当初は、来週の’ラバヤデール’から春のバレエシーズン開幕の予定でしたが、お友達に誘われて都さんの’シンデレラ’を観てきました。スターダンサーズバレエは、2007年にトラウマとなっているロバートの出演が中止になった公演以来2度目です。’シンデレラ’といえば、日本ではアシュトン版やヌレエフ版が有名かと思います。日本のバレエ団が、よく知られた作品を上演する場合は、海外のバージョンをそのまま上演することが多いのですが、本日は、珍しくバレエ団のためのオリジナル振り付け、演出、鈴木稔さんの作品です。

 

鈴木版は、シンデレラのお父さんやねずみが登場します。パリオペのヌレエフ版もお父さんは登場しますが、酔っ払っていて頼りになりません。鈴木版のお父さんは、仕事人間のせいで家庭をかえりみていないので、シンデレラが意地悪されていることに気づいていません。ねずみは、ディズニー映画などでは、大活躍ですが、他のバージョンで登場することはありません。他のバージョンでは、舞踏会のダンスは、ダンス教師が教えますけれど、鈴木版はねずみが教えてくれます。ダンス教師は登場しないのです。踊るねずみが登場する前は、家の中にちょろちょろ小さいねずみがうろうろしており、シンデレラと戯れているのがなかなかよい演出だなと思いました。仙女は、最初、貧しい物乞いの格好でシンデレラの家を訪れ、そこで唯一シンデレラだけに優しくされます。ねずみと仙女の演出で、シンデレラの優しさを表現しているところは、他のバージョンにはなく、ただ姉たちに虐げられたかわいそうな女の子じゃなく、心も優しい子であったことが伺えます。お姉さんたちは、他のバージョンよりも踊りは踊れるという設定ですが、自分勝手が強すぎて、舞踏会ではうまく踊れないという設定でした。お母さんは、お父さんが好きなのに、仕事におわれて自分をみつめてくれない寂しさをシンデレラへの意地悪に投影していたようで、この鈴木版は、それぞれのキャラクターがきちんと背景があっての振る舞いをしているというのが明確でした。

 

’シンデレラ’といえば、物語とは関係ないところでは、四季の踊りはみどころでお楽しみなのですけれど、鈴木版にはありません。仙女が貧しい格好をぬいで登場してからは、彼女がつれてきた妖精たちが、そのかわりに一幕終わりのシンデレラがお城に向かうまですべて引き受けます。ここの群舞と仙女の振り付けが、クラシックのようでコンテンポラリーな動きで、やわらかさよりも硬質な、きびきび系の振り付けでおもしろいなと思いました。パリオペなどでは、ここは男性ダンサーが引き受ける群舞だったような気がしていたのですが。仙女は、眠りとかでいうとリラの精的なポジションで、やさしさと美しい威厳をもったクラシカルな振り付けかなと思っていましたところ、これがなかなかコンテテイストなのです。お衣装もチュチュではありませんしね。残念なのは、シンデレラの白いお衣装と、仙女や妖精の白いお衣装が同系色なので、際立つ人々がビジュアル的に区別できないのが残念でした。美術面の色彩は他でもちょっとと思うところがありました。

 

仙女を踊った小池知子さんは、大変よかったです。この方は、前回の傷心の中でみた公演で、唯一いいダンサーだなと思った方で、あの人に違いないと思って帰って前のレビューみたらそうでした。体型がすっとして、シャープな踊りをする人です。お姫様タイプではなく、仙女とかミルタとかというキャラの人かと思います。妖精を率いてリーダーシップのある役どころがよく似合っていました。ここのバレエ団は、男性ダンサーが非常に少なく、若手をよそから調達もしてこないでいいように作品を作っているせいか、今回も群舞には若手男性ダンサーはほとんど登場しません。二幕最初にお城で男性6,7人くらいで踊るシーンなどは、あんな年とったキャラクターダンサー系の人までしっかり踊るのだわと思う人がいました。特に下手な男の子はいませんが、特にうまい男の子もいませんでした。本日みた中では、吉瀬君がまあ上手でした。

 

スタダンのダンサーは、日本のバレエ団ですし、個々のあらがあるのは、許容範囲内でしたけれど、ゲストダンサーのヴァレリーヒリストフには、久しぶりに思いっきり失望させられました。ゲストで覚悟なく、がっくり加減がこれほど大きいのも珍しいくらいです。最初、都さんだけがゲストかと思っていたのですが、相手役もロイヤルのソリストを連れてきたと聞いてとても喜んでいたのもつかのまでした。体型は悪くありません。むしろ、すっとした下半身はめぐまれているほうでしょう。お顔もちっちゃく、白い王子のタイツ姿は、さすが外人にはかないませんという感じでした。しかし、二幕の最初に一瞬踊ってすぐいやな予感が走りました。ゆるい!ゆるいのは、ロシアの長身ダンサーだけかと思っていたら、ロイヤルにもこんな人がいたなんて。最初なので、わたしの思い違いだといけないから、ちゃんと見ましょうと彼の動向を注意してみましたけれど、う~んやっぱりゆるい。首の位置が悪いので猫背にみえますし、下半身が安定していません。いよいよ、王子のソロになったときは、まじめに気合いれて踊ってないのではないかしらと怒りがわきそうになりました。ゲストでこのレベルはないでしょう。もしかして、都さんをリフトするのだけは安定しているのかもしれないけれど、鈴木版のパドドゥはそれほど難易度の高い技はないのですよ。こんな日本で今踊ってくれる外人ダンサーはありがたいけれど、このレベルなら向学のため、スタダンの若手を都さんに御願いしてパートナーにしてもらって経験つんだほうがよかったように思います。

 

相手役は、さんざんでしたけれど、いうまでもなく都さんの踊りは完璧にすばらしかったです。当たり前すぎて、いい加減なこと書いていると思われそうなくらいですが、本当に非のうちどころがないとはこのことです。鈴木版の振り付けは、ソロもパドドゥも一つ一つの振り付けがそれほど難易度が高くないのではないかと思われます。海外のバレエ団の作品を見慣れていると、あまりにさらっとして、これから盛り上がりそうという半ばがクライマックスくらいの勢いです。それなのに、踊れる人が踊るとこうなるというあるべき形を目の前で完璧にみせてくれた舞台でした。あの地味なソロの振り付けで、大きくは盛り上がらないパドドゥの振り付けで、さすが都さんだわ〜というマジックをみせれらたようでした。演技もいうまでもありません。鈴木版は、上記に書いたようにそれぞれの人物の性格を演技の中からわかるように演出されているので、都さんの細かい演技が生きていました。特にねずみたちをお姉さんたちから隠すところや、12時の鐘とともにお城を去っていくときにガラスの靴がぬげてしまうところなどよかったです。

 

今回バレエそのものとともにおもしろいなと思ったのは、振り付けや演出がカンパニーのサイズやレベルにあわせて最大の効果を求めて作った作品であることが随所に感じられたことです。ダンス教師が出てこないことや、一幕後半を妖精だけでのりきるところなどは、男性ダンサーの少なさを補っていると思います。ソロやパドドゥが冒険しないで、ダンサーのレベルにおさまっているというのも初めてで、こういう作り方もあるのだなと知りました。結果、カンパニーとして、大きなリスクを負うことなく、ゲストなしでも自前でおもしろいくみせることの作品にしあがっていると思いました。カンパニーに合わせたオリジナル振り付けや演出ができるというのはカンパニーにとって大きなことだと思います。多少残念なのは、王子がシンデレラをさがしに旅をするところだけは、馬にのりっぱなしで、舞台上を走らなかったことです。ここは、改善してほしいです。

 

311日を境に、被災していない人々もなんだか精神的に不安定な雰囲気がただよっています。物理的には何不自由ないわたしのようなものが精神的な癒しを求めることはぜいたくなことかもしれませんが、まずは、自らが明るい心をもてなければ始まらないような気もします。そういう意味では、バレエは心の糧だなとあらためて思い出すことができました。

 

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img034  ロミオとジュリエット

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東京宝塚劇場(東京)

ロミオ

音月 桂

ジュリエット

舞羽美海

マーキューシオ

早霧 せいな

ベンヴォーリオ

未涼 亜希

ティボルト

緒月 遠麻

パリス

彩那 音

キャピュレット卿

一樹 千尋

キャピュレット夫人

晴華 みどり

モンタギュー卿

飛鳥 裕

モンタギュー夫人

麻樹 ゆめみ

ロレンス神父

奏乃 はると

乳母

沙央 くらま

ヴェローナ大公

大凪 真生

大湖 せしる

彩風 咲奈

 

このミュージカルは、オリジナルはフランスで、日本以外では、オーストリア、マジャル、韓国、ルーマニア、イギリス、ロシア等で上演されており、いつになったら日本にやってくるのかしらと思っていた、日本未上演の大物ヨーロッパミュージカルの一つでした。東宝がいったいいつ手をつけるんだともう数年前から噂されていましたけれど、やっと宝塚が昨年初上演しました。その時は、関西公演しかなく、バレエ月間と重なってしまい、1年後の東京公演の日まで待ち続けていた舞台です。2008年にマジャルで観て以来、CDも何枚も購入し、大好きなミュージカルです。フランスのツアー版が韓国台湾まで来ていながら、日本に来てくれず、パリの凱旋公演もどんなに行きたかったことか。そういうわけで、とにかくこの作品を観たかったわけなのですけど、本日は、作品を観る以外に、宝塚初体験ということも大きなウエイトをしめていた夜でした。

 

思えば、この作品は、マジャルでの生舞台は英語字幕、DVDは字幕なし、あとはフランス語版CD2種類とウィーン版とマジャル版をもっているものの、はっきりと意味を全部理解してみたことはなかったのでした。英語字幕のマジャル版は、実は、オリジナルフランス版とは演出面で大きく違っており、音楽の順番とか使い方も独特なのです。本日、宝塚版は、たぶんオリジナルフランス版ベースの宝塚バージョンになっているものと思われます。歌詞を日本語で聴いて、そういうことだったのか〜と思いつつ、片言わかるフランス語版とはあきらかに違った訳詞になっているなと思うところもあり、本当のフランス語版はどんなんでしょうねと思いながら観てました。 名作ミュージカルというのは、なんといっても音楽がよいのです。このミュージカルの見所は、この音楽とシェークスピアの原作のよさでしょう。このすばらしい歌の数々をどう日本語にするのかしらと思っていましたところ、やはり翻訳物は難しいのだなと実感です。特にフランス語で、その音やリズムが強く残る‘Les rois du monde’や’Jari peur, Aimer’などは、う〜ん日本語をこのメロディにのせるのは、むずかしすぎと思いました。元の詞をあまり意識しないで日本語をのせたと思われる‘Lamour heureux’や’Avouir une fille’などは、あまり違和感を感じませんでした。

 

たいていどのミュージカルにも代表曲として有名な曲があり、このミュージカルでは、通常‘Aimer’と’Les rois du monde’がどのバージョンでも有名です。それは、劇中に見せ所になっており、見終わった後ももっとも印象に残る場面に使われます。ところが、この宝塚版、たぶん歌唱力というか、キーのせいで、歌は、聞かせどころがこの2曲以外もみごとにはずしており、女性だけで音楽中心のミュージカルを演じることの限界をみたように思います。宝塚の場合は、ミュージカルとしてのパフォーマンスが第一というわけではないので、この点をどうこういうつもりはありませんが。特に‘Les rois du monde’は、何も知らないで観た人ならば、この場面はたいして印象にも残らないし、この曲にインパクトは受けないかと思われます。大変にうすかったです。何より、キーが低すぎて、歌う人々がしっかり歌えていないので、ロミオ、ベンヴォーリオ、マキューシオの3人がもっとも輝く場面なのに、群集にうもれ、あまり際だっていなく、歌詞がききとりにくく、またこの歌詞がメロディーにのっていなく、大変に残念な場面でした。わたしとしては、この場面はやはり、本物の歌の歌えるできればビジュアルのいけている男の子たちでみせてほしいという思いを強くしました。’Aimer’については、歌詞をまったくかえて原詞よりも、もっと甘いメロドラマ風にしあげており、美しいメロディも手伝って、一幕の最後にちょっと感動したりなんかしました。キーワードの‘Aimer’は、日本語ではうまく載る言葉がなかったらしく、そのまま’エメ‘と歌っていたのは多少残念です。

 

宝塚体験というのは、思った以上に強烈で、最初はなかなか物語にはいりこめなかったのですけど、一幕後半くらいから、音楽の美しさに助けられ、わりとすんなり最後のほうはミュージカルそのものを楽しめました。ロミジュリはバレエでもたくさんのバージョンをみましたけれど、このミュージカル版のロミジュリは、両家の対立による悲劇という部分がもっとも強調されて描かれており、ストーリーがわかりやすくなっているように思いました。特に二幕は、一幕から繰り返される対立により、死者がつぎつぎに出て、最後は両家がもっとも大切に思う息子や娘が死をもってしかいっしょになれなかったことで、両家がやっとあゆみよることを考えるというのが明確でした。と、そこで終われば、わりとよくて感動したわと思っていたのですけれど、さすが宝塚です。これは、世界初ではないかと思うのですけど、ロミオとジュリエットが天国なのかな、そこで結ばれて踊るのです。これは、蛇足だわ、無駄だわ、やりすぎだわと、わたし的には興ざめでしたけれど、それには理由があったのです。

 

何がびっくりしたといっても、物語終了後に、カーテンコールの前にショーがあるのですよ!このために、出演者の着替えの時間をかせいでいたのかしらと、上記の天国場面の蛇足の理由を思いました。出演者が、歌ったり、踊ったり、そういえば、テレビでみたことありました。‘エリザーベート’の宝塚版DVDにもはいっていたわ。あれは、DVD収録用の特別バージョンかと思っていたら、大劇場の公演というのは毎回あるそうです。そのショーというのが、ラインダンスはあるし、男装の集団がそろって踊ったり、主役は、本当にきらきらの衣装をきて歌ったり、最後のカーテンコールなんて、ロミオは、羽しょって出てきたのですよ。びっくりしたわ〜。あまりに濃く、別世界にひきずりこまれたようで、本編のミュージカルの感動がうすれてしまいそうなくらいでした。あれは、好きな人には大事なのでしょうが、ミュージカル本位の人には、どんなもんでしょうというこの劇場特有のイベントだと思います。いいなと思ったところは、カーテンコールで出てくるとき、その役の人が、ワンフレーズくらい自分のパートを歌いながら出てくるのです。これは、他でもとりいれてほしいなと思いました。

 

個々の出演者については、宝塚の知識がまったくないので評価できません。ロミオ役の人は、かわいかったし、お洋服も似合っていて、悪くはなかったです。その他の男の人は、わたしとしては、NGです。やっぱり、男性は、男性に演じてほしいです。宝塚では、女性役の地位は男性役より低いのか、今回も‘ロミオとジュリエット’ではなく、‘ロミオ と ジュリエット’くらいの扱いでした。バレエでもマジャル版でも、ロミオとジュリエットは、同等でしたけど、たしかに他のバージョンでもロミオをあからさまに大きくあつかってくれたほうが嬉しいだろうなと思い、宝塚のどこまでも観客の意にそった手法には感服です。宝塚は、ショップも充実しているし、公演のDVDはたいていですそうですし、一つのカンパニーが専用劇場を関西と関東にひとつづつもっているなんて、ファンにはたまらないだろうなと思いました。バレエもこのくらい恵まれた観劇環境にあれば、日々がもっと楽しくなるだろうと思います。話がそれましたけど、全体的に出演者のレベルは歌よりダンスのほうがよいかと思いました。女性が女性をリフトするのはあまり見栄えのするものではありませんが、バレエダンサー以外のダンサーの群舞であまり見苦しいと思わなかったので、ダンスはよいかと思います。歌は、思った以上に皆いまいちでした。男性パートはしかたないとしても、乳母とか母親たちのソロ等がもう少し聞かせてくれないとそのソロの意味がないように思います。男性では、ティボルト役の人の歌がまあましだったかなと思います。これは、宝塚の演技のしかたなのか、この俳優さんのせいなのかわかりませんが、ティボルトが女々しくて、もう少し両家の中で、自分の立場や環境においこまれて孤独を深めていく悲哀がうすかったようです。マジャルのサポPのティボルトをみた時にその役の深さを感じたのが忘れられないで特にそう思いました。

 

今秋、いよいよTBSと東宝が主催で、このミュージカルが上演されるそうです。今から配役が発表されていないということは、メジャーな人が演じるのではないかもしれません。前には井上君のロミオに浦井君のマキューシオと思っていましたけれど、井上君が今スケジュールの発表されていない大役をやることはないでしょう。と、思って、それならと考えたら、そうだ、城田君がいいわ♪と(彼だっていきなり、9月に発表されていないスケジュールがあるわけないと思いつつ)思うと、そうだわ、あのお衣装だってすごく似合うと思うし、この際歌はまあいいやとか。(本当は、ロミオは爆音で激ウマの人が海外では演じています)マキューシオは、やっぱり浦井君以外考えられないし、ティボルトは、う〜ん、ちょっと年齢高いけど、吉野圭吾君かな。大公は、石丸さんで、キャピュレット公は、石川禅さん、ベンヴォーリオは小西りょうせい君。ジュリエットは、歌のうまい子をオーディションで選んでください。

死と愛は、いりません。できれば、ダンスは極力、しろうとのような振り付けにして、あまり群舞をめだたせないほうがよいでしょう。期待しています。

 

つっこみどころは満載の宝塚バージョンでしたけど、このミュージカルはやっぱり好きです。いつの日か、近い将来、マジャル版を見るために是非にブダペストに行きたいとこの音楽を聴くたびに思い焦がれています。

 

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img034  JUBILAUMSGALA ZUM 50 JAHRIGEN BESTEHEN DES STUTTGARTER BALLETS

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Stuttgarter Opernhaus(シュツットガルト)

 

シュツットガルトバレエは今年50周年の記念の年です。今月は、その記念行事がいっぱいで、そのハイライト50周年記念ガラが先週末行われました。今回は、ロバートを観るが大目的のシュツットガルト新参者が客席にいるのが申し訳ないほど、シュツットガルトでは大切な夜だったようです。会場の正装率は高く、年齢がいっていてもやけに美男美女がいっぱいいます。それもそのはず、かつてシュツットガルトバレエで踊っていたダンサーや、今も現役のよそのカンパニーのダンサー、芸術監督など、初日の3分の1は一般人ではなかったようです。プログラムの後ろに、かつてカンパニーに所属していて今回ガラに来た人々のリストがありました。ドイツ語なので、最初、かつて所属していた人々の全リストかと思っていたら、今回参加の人だけだったようで、その多さにはびっくりです。大半は知らないとはいえ、今回の滞在中は、会場周辺を歩けば有名人にあたる状態でした。

 

このガラ、今プログラムを読み返すと、なんだそんなに演目なかったのねと思うのですけど、ものすご〜く長かったのです。どんなに長いかというと、世界バレエフェスティバルのガラより長いのです。初日は、19時始まりで、終演はなんと真夜中すぎ、12時半です。会場がしまった時間ではありません。幕が降りた時間です。休憩は2回だけです。幕間には、お祝いのシャンパンがふるまわれました。こんな長丁場、日本なら飲み物と食べ物持参して、休憩中にお菓子だのおにぎりだのサンドイッチだの食べるのですけど、海外のオペラハウスは、そういうペットボトルにコンビニ食品を食べたりできる雰囲気はありません。多少、オードブルは売っていますが、ものすごく混雑しているし、勝手もわかりませんから何かを食べれる余裕もありません。ガラがすすむにつれ、空腹と疲労で、正直忍耐もしいられたガラでした。

 

This is the moment

Randy Diamond

最初、オーケストラが演奏をはじめて‘なんか、ジキルとハイドのオープニングの曲に似ているわ。でも、あんな暗いミュージカルをバレエ公演で演奏、それもお祝いの席ではしないでしょう’と思っていたのです。きっと、似ているけど違う曲のはずと。そしたら、やっぱりこれは、‘ジキルとハイド’のオープニングの曲でした。全く、意味不明なんですけど、ガラの最初は、このミュージカルからの楽曲を歌手が英語で歌いました。この歌手は、シュツットガルトバレエの人と関係があったらしいのですが、プログラムがドイツ語なので詳しくはわかりません。なんで、ドイツ語の‘Dies ist die Stundeじゃないんだろうと思ったら、この歌手はアメリカ人でした。ミュージカル好きなそれも’ジキルとハイド‘は5バージョンもCDを持っているほど好きなわたしがたいして嬉しくないできでした。

 

 

たぶん市長かえらい人のスピーチ

オールドイツ語で、20分くらいは話したと思います。彼が誰なのか、何をいっているのかさっぱりわからず、すでにここで忍耐の旅は始まっていたのです。2日目は、どうかここはなしにしてほしいとおもったら、なかったので助かりました。2日目だけ観た日本人の方がいましたが、ラッキーでしたね。

 

 

リードアンダソンのスピーチ

基本ドイツ語で、間英語で、そんなに長くなく、観客やゲストにお礼をいって、幕間にシャンペンがフリーでふるまわれる告知をして、まあ、芸術監督としては当然というそれなりのスピーチでした。彼は、今回のホストの頭ですけど、いつもと同じ黒っぽいノータイのスーツでした。

 

 

Etueden 

ジョンクランコスクールの教師振り付け(多分)

ジョンクランコスクールの生徒

Defilee

Tamas Detrich振り付け

シュツットガルトバレエの団員

 

プログラムには、別々に書かれてあったのですけど、これ区切りなく続いていたので、いっしょにしました。

振り付けや音楽も別々らしいのですが、最後は舞台にいっしょに立っており、どこまでがどっちの振り付け家のものかわかりません。

まず、最初にスクールの生徒がレッスン着の上に私服を着て、舞台を右へ左へ歩いたり、早足だったりで移動していき、途中で上着を箱にいれるとパフォーマンスが始まるなという予感がします。一番小さな子が、大きな生徒に自分たちがやりたい〜みたいな仕草をして、しょうがないねというようにゆずると小さい子たちの演技がはじまります。まだ本当に体操のような動きを、しっかりと日々鍛えられているなと思うような柔軟なからだで丁寧にみせていきます。将来のダイヤモンドになるかもしれない原石が大切に育てられている様子が感じられました。

演技は、小さい子から順番に大きな子たちへ引き継がれていき、途中からは、男女別々になります。女の子は、黒いスカートのついた練習着、男の子は白いシャツに黒のタイツ。大きくなるほど、さすがに動きは安定してきて、最後の男の子たちは、もう大技をみせてくれてなかなか楽しくなってきました。途中に、舞台の端から端へ斜めに踊りながら渡ってくる場面があり、‘オネーギン’の一幕、レンスキーとオリガを先頭にロシアの男女ペアが渡ってくるシーンを彷彿させました。

生徒たちがはけた後、いよいよプロのデフィレが始まります。コールドから順番に、女の子は白いチュチュ、男の子は白いシャツに白いタイツ。そして、OH〜、なんと華やかな。今夜、来てよかったわと初めて思えた瞬間。プリンシパルの登場です。シュツットガルトは美形率が高いのですよ〜。プリンシパルのお衣装は、模様入りでちょっと豪華です。ここは、この夜、いえ、この滞在中もっとも貴重な瞬間といってよいです。だって、シュツットガルトバレエの王子たちのタイツ姿は、このデフィレの瞬間だけだったのですもの。あ、そうそう、姫たちのチュチュもこれだけでした。まあ、この短い瞬間、姫たちをみている余裕などありません。最初の列のエヴァンマッキーの麗しいこと!!!このまま眠りのパドドゥ踊ってほしいです〜。あ、きらきら金髪のマリインもいるわ。次の列は、バランキ君も。フォーゲルはなんで、髪をちゃんとなでつけてこなかったのかしら?このほかにダグラスリー(今回はデフィレだけで残念。初めてしったけど、とてもダンディでかっこいい人です)、ジェイソンレイリー、アレクサンダーザイツェフがいます。残念ながら期待の美少年ウィリアムムーアはインフルエンザのためお休みでした。姫は、アイシュバルトの不在が寂しかったけど、これだけ王子がそろったら文句はいえません。リードアンダソンの趣味のよさをひしひしと感じました。

最後は、スクールの生徒もでてきて、プロのダンサーとともに勢ぞろいしました。パリオペのデフィレは有名ですが、他のカンパニーがやるのは映像もふくめ初めてみました。大変に嬉しく目福な時間でした。

 

表記は、演目名、振り付け家、ダンサー、カンパニーの順です。

 

一部

 

Jeunhomme

Uwe Scholz振り付け

Blythe Newmann, Admil Kuyler

Badisches Staatsheater Karlsruhe

 

すでにこの時点で、もしかして21時近かったのではないかと思われます。やっとガラの演目が始まりました。はっきりいって、もう疲れています。おなかもちょっとすいています。このバレエ団は、多分ドイツ国内のご近所仲間かなとか思ったりします。女性は黒いレオタード、男性は黒いユニタード。音楽は、モーツァルトでとてもドラマティックです。振り付けは、どちらかというとネオクラシック。お話はあるのかもしれませんが、プログラムには、作品の解説はないのでした。舞台をみるかぎり、男女の別れをはさんだ愛憎みたいにみえます。こういうとき、お衣装がこういうコンテンポラリー系のものっていうのは、かなりマイナスだわと思いました。せめて、衣装が美しければ、物語も感じられたかもしれないけど。まあ、こういうのは、踊れる人が踊れば、感動があるのかもしれませんけど、このペアがまあまあなんですよ。女の人は、つくりすぎだし、男の人はサポート危ういし。2日目は、途中で男性がバランス崩して、二人のコンビネーションが半ばあたりはぼろぼろでした。で、長いんですわ、これ。最初の演目だというの、早く終わればいいのに〜と思ってしまいました。

 

 

My way

Stephan Thoss振り付け

Marijin Rademaker, Alexander Jones

Stuttgarter Ballet

 

一演目目で、萎えた心と疲れた体がいっきによみがえった瞬間でした。この作品は、プラハのガラでシムキン親子が踊る映像と、You tubeでマリインとジェイソンが踊るのをみたことがあります。振り付けそのものは、そんなにいいとは思わないし、音楽もなんだか俗っぽくてそんなに好きではないのですけど、そんなことはどうでもいいわと思えるこの組み合わせですよ!シュツットガルトのきらきら金髪王子のマリインと、次期王子確実なアレクサンダージョーンズ君が踊るのですもの〜。マリインは、すでにプリンシパルの風格をもって身体もしっかりできすぎて、あまりに見事なのですけど、アレクサンダージョーンズ君のこの初々しさときたら。もう、きゅんとなります。かつて、マリインのせわしない‘椿姫’の映像をみたときよりも、もっとかわいい〜と思う感情がわきあがります。アレクサンダージョーンズ君は、この時が、この作品を初めて踊る時だったとかで、余計にその緊張感とか若者のおそれとかいろいろ入り混じって、この作品に似つかわしい雰囲気を醸し出していたのではないかしら。2日目に、ウィリアムムーアとアレクサンダージョーンズが踊ると聞いて、マリインよりもっと嬉しいかも〜と思っていましたけど、ウィリアムムーアはインフルエンザから立ち直れていなかったようで、2日目もマリインでした。マリインは、もうほんとうに身体が大人になりきって、2008年の少年のような王子の様相はお顔に残るのみで、あのたよりないプリンスにぐっときたわたしとしては、ちょっと寂しいかなと思いました。きっと、この作品もこれからは、もっとしたの子たちにゆずっていくのでしょう。そういう意味でも生でマリインのMy way見れてよかったです。よきパフォーマンス、楽しい演目でした。

 

 

Pas de deux Aus Molto Vivace

Stephen Baynes振り付け

Amber Scott, Adam Bull

The Australian Ballet

 

オーストラリアバレエ、シュツットガルトバレエに客演するということで、きれいどころを持ってきたらしいです。それに、シュツットガルトバレエの男性の身長はものすご〜く高いので、アダムブルぐらいでないと見劣りしますものね。この二人なら、ビジュアル的には負けてはないはず。ですけど〜、なんでシドニーからきたのに、こんなお稽古着みたいなお衣装で踊るかな〜。こちらも、現代作品ながら、振り付けそのものは、ネオクラシックです。音楽もLargoですからきれい。しかし、それゆえに、退屈。この作品も、多分恋愛的な部分を描いているのでしょう。途中でくちづけしましたもの。わたし、この人たちを去年の来日公演でみていなければ、今回、すっかり記憶に残らなかったか、いい印象を残さずおわってしまったと思います。何時間もかけて地球半周してくるならば、グレアムマーフィーの‘白鳥の湖’持って、長くて白いウエディングドレスで踊ってほしかったわ。何ゆえに、オーストラリアバレエまでがこんなコンテまがいのネオクラシックを踊るのだろうと大変に疑問でした。もしかして、他のバレエ団は、シュツットガルトバレエの引き立て役のために呼ばれたのではないか疑惑がわいてきます。

 

 

Pas de trios Aus Tueckkehr ins Fremde Land

Jiri Kylian振り付け

Alicia Amatorian, Nikolay Goudunov, Evan McKie

Stuttgarter Ballet

 

これは、キリアンですので、もちろんコンテンポラリーです。暗いステージに男性二人と女性一人が組み体操のようにしっかりと身体をよせあっています。う〜ん、この感じ、どっかでみたような。振り付けが似ているとかそういうことでなく、この醸し出す雰囲気。そうだ、エトガラでみた、イリ、シルヴィア、サーシャ(リアブコ)のイリが振付けたパドトロワですよ。詳細な振り付けはどちらも、それほど鮮明に覚えていないのですけど、この3人の役割というか、バレエの感じが似ているのです。ニコライグドノフは、いっけんごっつくみえるのですけど、わりと繊細な動きをするイリブベツェニク、アリシアはシルヴィア、エヴァンはサーシャの位置ですね。何がとかどこがという強烈な場面はないのですけど、しみじみよかったです。エヴァンは、コンテンポラリーを踊っていても、やはりエレガント。ロバートがヘルマンシュメルマンを踊ったときに、なんてクラシックテイストなのかしらと思ったことを思い出しました。できることなら、こんなコンテンポラリーでなく、‘ジゼル’でも‘眠り’でも踊ってほしかったです。本音をいえば、‘オネーギン’が観たかったわ〜。(まあ、このガラでは、オネーギン役ではみれないとは思っていましたけど)

 

 

Standchen

Christian Spuck振り付け

Roland Havlica, Damiano Pettenella, Alexander Zaitsev

Stuttgarter Ballet

 

おもしろかったです。 シュプックって、今やガラではおなじみのあの’ルグランパドドゥ‘の振り付け家です。この作品は、2009年のリードアンダソンのお誕生日ガラで初演されたものらしく、今後、シュツットガルトバレエのお祝いごとがある時には上演されるのかな? 膝までの短いズボンの地味〜なスーツに、ノータイ、靴下、頭には、銀色の小さな三角帽子で、一人、アレクサンダーザイツェフがマイクをもって舞台を低い姿勢で右から左に渡っていきます。何かしら?と思っていると、今度は左から一人ふえて、同じ姿勢で右へ。最後は3人になって右からでてくるかなと思ったけど、3人目はずいぶん遅れてステージに出てきます。3人はスタンドマイクを前にたって、さあ歌うぞという姿勢をみせますけど、一人が咳がとまらなかったり、一人はゲップがでたり、一人は鼻をかんだり、なかなか歌をはじめらません。なかなかダンスらしきところはなく、コメディーをみているようなステージが続きますが、途中歌の場面なのかな、踊る場面も出てきます。ここまで、かなりコミカルなことをしつつ、ダンスも軽いのりでバレエぽっさはないのですけど、さすがバレエダンサー、踊ると光ます。こういうときに、びしっと踊ってくれるってわたし好きなんです。ミュージカルとかで、まあまあなダンスをみせられるとがっくりくるように、バレエ以外のところで、ぴしっと踊ってくれるバレエダンサーのきれのある動きってなんともいえないのです。アレクサンダーザイツェフは、どうしてもわたしは、バレエは好きになれないダンサーなのですけど、この作品はよかったです。とてもおとなしそうで、主張のない彼が、こんな役をやれるのだね〜とほほえましかったです。この作品が、’ルグランパドドゥ‘のように世界中にひろがることはできるのかな?これをやる勇気ある男性ダンサー達のいるカンパニーが他にあるのかな?わたしは、見てみたいですけどね。

 

 

二部

 

 

Fanfare LX

Douglass Lee振り付け

Anna Osdcenko, Evan McKie

Stuttgarter Ballett

 

これは、昨年のマラホガラで、カニスキン&カブレラでみました。けっこうおもしろい振り付けで、赤いヴィヴィッドなお衣装なのに、カニスキンがぱっとしなくて、わりとつまんなかなった記憶があります。この系統は、踊り手でかわるものですね〜。エヴァンのクラシックテイストなコンテ、よかったです〜。カニスキンのような王子系の人がなにゆえにこんなコンテをと思っていましたけれど、エヴァンだって王子系。このコンテンポラリーは、王子を踊る男性が踊ることになっているのだわ。だいたい、この赤いレオタードが似合わなくてはね。カニスキンは、その割に背がなくて、お顔が大きいのが残念でしたけど、背がすっと高くて手も脚も長くて、お顔がちっちゃいエヴァンが踊るとこの作品、生きてました。こんなに楽しい演目だったとは。始まってから終わるまでがあまりにあっという間でした。オサチェンコの記憶は、う〜ん、多分、よかったんだと思います、違和感なかったから。って、みえてなかったかも。

 

 

Awaking from the dream

(Pas de deux au Peony Pavillion)

Fei Bo振り付け

Wang QiminLi Jun

Chinesisches Nationalballett

 

中国国立バレエでしたっけ?今回は、‘オネーギン’やりましたつながりでしょうか。同じアジアの国ながら、東洋系のバレエ団はそういえばみたことなかったです。ヤンヤンタンとか中国人だけど、欧米のカンパニーの人とか見たことありますけど。中国風のお衣装に、音楽も中国のもの、振り付け家も中国系でしょう。もう、つまんなくて、つまんなくて。女性のほうは、ローランプティのガラとかに出ている人とのことですので、どうせなら、プティの‘ノートルダム’でもやってほしかったです。(‘カルメン’は嫌よ)と、いうか、これだけ誰も古典やらないなら、思い切って、ここで‘くるみ割り人形’の金平糖の精と王子のパドドゥとかね。 または、ちょっとお国は違うけれど、‘ラバヤデール’でオリエンタルムードを醸し出すとか。ぱっとしない中国人ダンサーが、ぱっとしない中国風のバレエを踊ってもなんだか嬉しくない演目でした。ほんと、ゲストカンパニーは、引き立て役になっちゃってます。

 

 

AU’LEEN(ALLEIN)

Bridget Breiner振り付け

Bridget Breiner

Stuttgarter Ballett

 

この方は、現役プリンシパルで、シュツットガルトバレエの中でも最も美しい女優のような人だそうです。自分で振り付けもするそうで、今回のこの作品も自前です。緑色のお衣装でこれまた、コンテです。ラインがきれい系でもなく、技巧バリバリでなく、コンテ。つまんなかったです。どうして、こんなにいっぱい、コンテ????

 

 

In Peril(初演)

Sabrina Matthews振り付け

Heather Ogden, Gullaume Cote

The National Ballet of Canada

 

この人たちのせいではないかもしれませんけど、初日も2日目も、この辺になると、コンテンポラリーバレエの応酬にもう嫌気がさしてきて、あ、まただと思った瞬間から集中してみてませんでした。どんな作品かも、すっかり記憶にありません。ただひたすら、眠かったです。この二人、ルグリガラで‘チャイパド’や、‘プルースト’踊った人たちなのに。どうして、こんな作品選んだのでしょう。‘チャイパド’が観たいよ〜と叫びたかったです。ちゃんとみたら、よかったのかな〜、初演だったのだね、この単語(Urauffuhrung)も帰国してから知ったんですもん。ナショナルバレオブカナダなら、もっとレパートリーあったのではないかしら?何もコンテだらけのこのガラで、コンテの初演することなかったのに。

 

 

Pas de deux au Kazimir’s Colours(カジミールの色)

Mauro Bigonzetti振り付け

Katja Wunsche, Alexander Azitsev

Stuttgarter Ballett

 

これは、絶対に上演されるだろうなと思っていました。それだけに、けっこう誰が踊るのか楽しみにしてただけに、ザイツェフは残念。その上、わたし的にはカーチャもいまいちでした。これは、二人のテクニックとか表現力が未熟だからとかいう理由でなく、完全に好みの問題なのですけど。と、いうのも、いっしょにこのガラをみていた日本人の方の何人かは、とてもよかったと言っていました。日本では、この作品は、けっこうみるチャンスあります。わたしも、バランキ&テンチコワ、マラホ&ヴィシ、カニスキン&カブレラで生でみました。ロバートのは、台北ガラで一瞬予定されていたけど、カーチャが怪我して演目かわって幻となってしまいましたが。この二人、ほんとに、技術的には全然悪いところはないのですけど、わたしの好みとしてだけだめなのですよ〜。何でしょうね。ビゴンゼッティの作品って、緊張感の中に情感が漂って、独特の雰囲気がありますでしょう。コンテンポラリーなのに、男女間の人としての関係を感じさせるような。その緊張関係の作り方かな。ザイツェフとカーチャの‘カジミールの色’は、初めてみるパターンでした。こういう表現方法もあるのだわと思いました。

 

 

Fancy Goods

Marco Goecke振り付け

Friedemann Vogel

David Moore, Brent Parolin, Ozkan Ayik

Matteo Crockard-Villard, Demis Volpi

Stuttgarter Ballett

 

ゲッケの作品は、ルグリガラのときにフォーゲルが踊った‘モペイ’を観たことがあります。大雑把にいうと、この作品もあれと似たりよったり。フォーゲルは、またまた上半身、何も来てなくて下は黒いパンツ。去年の冬から、彼をステージでみる時、いつもこの格好のような気がします。(‘モペイ’、‘ボレロ’、‘Fancy Goods)たしかに、彼の身体は美しいですけどね。最初、フォーゲルがソロで踊っており、途中から、ピンクの大きな羽飾りをもったダンサーたちが束になって登場します。この作品も、リードアンダソンのお誕生日ガラで初演のようで、お祝い用の作品みたいです。多分、もっとバリエーションのあるガラの一演目の中にあれば、楽しめたのかもしれないけど、これだけコンテ、コンテの中で、今更ゲッケでもちょっと食傷気味です。フォーゲルは楽しそうでしたけど。で、わたし気づきました。彼は、ゲッケの作品も、’ボレロ‘も同じノリで踊っているみたいです。そっか、前日の’ボレロ‘のあの違和感はこれだったのだわ。ゲッケとベジャールを同じ領域でとらえて踊っているのかも。フォーゲルって、どう考えていいんだかわかりにくいダンサーです。レンスキーを踊るのをみたときは、なんて才能あるダンサーだろうと思ったのに、アルブレヒト踊ったときは、上野みずかにぼろぼろにされたし、デグリュー踊ったときは、動きはきれないなのに奥行きも深みもなかったし、ゲッケの’モペイ‘は魅力的だったのに、’ボレロ‘も同じノリだったり。あんなに踊れるのに、この先、彼はどこへ行くのでしょう?

 

 

Pas de deux aus Othello(オセロ)

John Neumeier振り付け

Elizabeth Mason, Jason Reilly

(Stuttgarter Ballett)

 

よかったです〜。しみじみよかったです〜。バレフェスでみた、ハンブルグ組ボアディン&ブシェもよかったけれど、これがまたハンブルグとは違ったシュツットガルトテイストで、この二つのカンパニーは2卵性双生児のようだわと思いました。‘椿姫’もハンブルグとシュツットガルトでは、何が違うわけではないのに、独自のテイストがありますでしょう。パリオペの‘椿姫’のおまけDVDの中で、お衣装の人が、パリオペからみたこの二つのバレエ団のことを‘椿姫’に関して、‘ドイツの双子のいとこたち’と呼んでいた記憶しています。ビジュアル的には、ハンブルグよりももっとわかりやすく、褐色のジェイソンと金髪のエリザベスが、シェークスピアの悲劇の原因、人種の違いを際立たせています。エリザベスがかわいくて、かわいくて、デスデモーナを愛するあまりその不貞を許せなくて(本当は不貞ははたらいていない、罠だった)妻を殺してしまうオセロのシチュエーションに説得力があります。静かに静かに大きな動きはなく、二人が舞台上にたたずむ姿に物語が流れます。シュツットガルトバレエは全幕でこの作品はやるのかしら?是非に観てみたいなと思いました。

 

 

Pas de deux au Maylerling(マイヤリング)

Sir Kenneth MacMillan振り付け

Irina Tsymbal Wiener Staatsballett

Robert Tewsley

 

プログラムにこの作品だけ、簡単な解説がついていました。この作品のみならず、この作品の背景にあるウィーン皇太子のルドルフとマリィベッツェラの事件すらも、ここシュツットガルトではあまりなじみのないものではないかと思われます。今回、ロバートがいったい何を踊るのか前日まで知らなくて、トリプルビルの幕間に知り合いのドイツ人のファンに教えてもらいました。マクミランもシュツットガルトバレエとは縁のある振り付け家ではあり、ガラの一つに彼の作品があるというのは当然ではありますが、この選択を聞いたときには、わたしもちょっと意外な感じがしました。‘マイヤリング’は、たしかにパドドゥもソロも満載の見せ所の多いバレエではありますが、すべては物語の中にあり、どこかをどう切り取ってきてみせるのかは大変に興味深いものがありました。蓋をあけてみると、二幕最後のパドドゥ、マリーベッツェラがルドルフを訪ねてきて、コートのしたがいきなり黒い下着の挑発的な部分でした。

幕が開く前に、この場面の直前の音楽が演奏されました。聞きなれた音楽ですが、ウィーンとシュツットガルトでは聞こえる印象がちがうわと思いました。幕があくと、このガラでは珍しく、ルドルフの部屋のセットがちゃんと設置されていました。 お衣装と髭の様子から、あ、二幕の最後だわと気づきます。コートとお帽子をとるとマリーベッツェラは黒い下着姿。はじめてみる人々は、この場面がどんなところだかわかっていたのかしら?わたしは、この作品は、ロバートで4回、ロイヤルで3回みており、ここに向かうまでのルドルフの気持ちの傷つき方や、野心に燃えるマリーのいきさつがわかった上ですので、この二人の尋常でない交わり方も納得づくです。それどころか、そのあとに続く悲劇を思うと、アクロバティックで官能的なパドドゥにも胸をしめつけれられそうになります。去年、6月のウィーンの舞台こそ、ロバートのルドルフ皇太子をみる最後と覚悟を決めてみていたのに、またここで、出会えて、またこんな切ない気持ちをかかえて日本へ帰るなんて。ここが、シュツットガルトであることを忘れて、ただロバートの舞台だけが目の前にあって、長い物語の中にいたような、一瞬の幻の中にいたような、気持ちが時間の感覚を忘れて、気づいたら幕が閉まりかかっていました。ああ、やっぱり短いわ。短すぎます。こんな短い時間でこの作品を持ってくるなんて、つらすぎます。わたしのこの心をどこへどうやって落ち着かせてくれるのでしょう。

冷静になって振り返ってみると、この場面では、ロバート特有のノーブルなラインを描くランベルセやアラベスクのような美しい形の動きはありません。とても男性的で、野生的で、マリーの野心とぶつかりあった激しいパドドゥのシーンです。マクミランらしいといえば、大変にマクミランらしい振り付けです。これまでシュツトガルトバレエがらみの振り付け家のコンテ作品の数々を思うと、異色中の異色であったと思います。ゲストカンパニーがシュツットガルトバレエの引き立て役のようであった中、突出してアイデンティティを感じたパフォーマンスでした。

シュツットガルトバレエは、ロバートが長年たくさんの作品を踊ったカンパニーであり、彼でクランコの作品を観たかった観客もたくさんいると思うし、いまの彼がどんな風に踊るか興味深い観客は少なからずいたと思います。そこで、この作品を持ってきたロバートの気持ちはなんだかわかります。‘マイヤリング’は、彼にとっては格別の作品なのでしょう。技術的にも演劇的にも、今の彼だから演じきれる男性ダンサーとしては、持てる実力を試される作品だから。かつてこのシュツットガルトの地で、ロミオもアルマンもオネーギンも踊りつくした彼の今をみせれる作品が‘マイヤリング’だったのでしょう。‘マノン’のパドドゥをもってきたほうが、たとえなじみはうすくても、観客にはもっとわかりやすかっただろうなと思います。でも、デグリューでは、きっとアルマンやロミオやレンスキーの影を人々は感じてしまうでしょう。ある意味、人々が彼に持つ甘いプリンス系のイメージをもたないこの作品をえらんで、シュツットガルトに帰ってきたのだわと思いました。

わたしは、正直、今度こそは、ロバートがクランコの作品を踊る姿をみれるのだわと期待していたのですけれど、またまたマクミランでした。どこまでもわたしとロバートはマクミランでつながっているのだわと思います。シュツットガルトの人々はどんな風に観たのでしょう?客席には、モニカメイスンもいたし、舞台袖か近くにはボネリやサララムもいたはず。シュツットガルトバレエのガラで、ロイヤルの作品をこんな風にみせるというのもなかなか大胆なことだと思います。あ、ルグリ先生もいましたよ。自分のカンパニーのイリーナとロバートのパフォーマンスをどんな風にとらえたのでしょう?帰国して冷静になった今はいろいろと思いますけれど、観てすぐには、何も考えられませんでした。ロバートのバレエをみると幸せとともに、大きな切なさがおそってきてしばらく消えないのでした。

 

 

三部

 

 

Dear John

Eric Gauthier振り付け

Eric Gauthier, Gauthier Dance, Theaterhaus Stuttgart

Egon Madsen

 

初日に見たときは、あまり印象になかったのですけど、2日目になかなかよいなと思った作品です。この二人のダンサーは、このシュツットガルトバレエのOBです。OBなんて軽くいえるどころか、エゴンマドセンは、‘椿姫’の初演アルマンですよ、Oh〜。お話のあるような、ちょっとしたコメディのような、やりとりが繰り広げられます。お洋服は、普通のそのへんできているようなカジュアルなシャツとパンツ。動くピアノのセットと、椅子がひとつ。エリックゴーティエさんは、最初ここのOBとしらず、そんなめぐまれた体型ではないのに、いい動きする人だな〜と思っていたら、やっぱりここのダンサーだったらしい。たしかにこの体型では、リードアンダソンのところでは上まではいけませんね。ゴーティエさんが踊ってみせると、マドセンが、いやいや違うな、ここはこんな風にねとお手本?をみせます。そして、じゃ、頭からいってみようか、みたいなノリで二人のダンスが始まります。マドセンは、おじいさんになってしまったけれど、踊っていた人は違うねという動きをします。オーストラリアバレエの‘くるみ割り人形’で、老人ダンサーがしみじみいい動きをしていたことを思い出します。派手なみせどころはありませんが、ほのぼのとした温かみのあるダンスでした。わたしは、今回はじめてシュツットガルトでシュツットガルトバレエを見たので、ちょっとよそ者というか、異邦人ですけど、ず〜とここでバレエを観続けてきた人は、この二人のこういう作品は、身内のノリで見守って楽しんでいるのだろうなと思うような拍手を感じました。

 

 

Urlicht

William Forsythe振り付け

Laura O’Malley, Filip Brankiewicz

Stuttgarter Ballett

 

これ、フォーサイスだったんだ〜と、日本に帰ってプログラム読み返して知りました。なんで、フォーサイスがなかったのかしらと現地では思っていたので。で、内容、覚えてません。フォーサイスといえば、いまやコンテンポラリーの古典になりつつある、‘In the middle of somewhat elevated’とか、’ヘルメンシュメルマン‘を振付けた人ですよね。 この二つは最初にみたとき、とっても衝撃的でコンテンポラリーがこんなにおもしろいと知った作品でもありました。(初めてみたとき、踊っていたのがロバートというのも大きかったです。)なので、フォーサイスの作品は、あのような興奮にみちたものだと思っていたのです。でも、今回のこれは、多分そういう類じゃなかったことは確か。バランキ君が踊っているのに、ときめかなかったのです。これは、わたしとしては、大変にめずらしいことです。確かに、舞台上のきりっとした姿はかっこよくはあったことは記憶しているのですけど。なんか、パドドゥがぎこちないような、スムーズでないような。彼は、もともと、やさしくサポートするタイプじゃないからかな?う〜ん、今となってはもう1回みてみないとなんともいえません。つまんないとは思わなかったんだけど、よくもなかったのよね。

 

 

Two Pieces for het(シュツットガルト初演)

Hans van Manen振り付け

Alicia Amatrian, Marijin Rademaker

Stuttgarter Ballett

 

これは、何がすごいって、マリインのお衣装でしょう。ダンスのことより先に言うなといわれそうですけど。黒いメッシュのユニタードに黒いTバックなんです。 この子、最近えらく身体がしっかりしてマッチョな感じになっており、2008年に花束抱いて爪をかんでいた男の子はどこへいっちゃったんでしょうというような、“男”になっちゃいました。この振り付けも骨太です。対するアリシアは、すごくやわらかそうなスカートのついた緑っぽいお衣装で、回転するとスカートの部分も同じようにくるくるって回転して、人の回転よりもっとあとをひくような印象で、ちょうちょが舞っているようなイメージがわきます。女の子のパートは、アリシアが踊りそうな振り付けなのですけど、男の子のパートは、一昔前なら、ジェイソンだっただろうなと思えるようなものでした。男っぽさ全開で筋肉質な感じ。それをマリインが踊るようになったのだわ〜。踊れるものが増えるのはいいけれど、もう少し、頼りなさの残るプリンスのままでいてほしかったわ。今度日本にくるときは、そのりっぱになったからだは隠して王子のコスチュームで舞台にでてきてほしいと思います。

 

 

Pas de deux “Meditation” au Thais

Sir Frederick Ashton振り付け

Sarah Lamb, Federico Bonelli

The Royal Ballet, London

 

今回、ゲストカンパニーの中で唯一、その存在感が光っていたのがロイヤル組のこのパフォーマンスでした。モニカメイスンのマーケティング力には疑問をもつことが多いのですけど、今回のこの選択は正解です。これまで踊ったゲストカンパニーが、ことごとく半端なコンテンポラリーでつぶれて、自らのカンパニーの特色やよさを出せずにいた中、ロイヤルのこの演目は内容的にもパフォーマンスのレベルにおいてもみせてくれました。だいたい、お稽古着やレオタードでなく、しっかりとした色も飾りもあるお衣装がよいです。アシュトンは古典ではないけれど、この作品の動きはほぼクラシックですから、コンテだらけの今回、驚くほどに新鮮で、自分の中です〜と受け入れられるのを感じました。それに、サララムもボネリもさすがのプリンシパルのパフォーマンスです。同じ演目を昨年、ロイヤルの若手ダンサーが踊ったローザンヌガラでみた時とは、別物でした。サララムは美しいですね〜。外人にはかなわない系の美人さんです。そして、ボネリ。わたしは、ボネリは、バレフェスの‘カルメン’を見て、やっぱイタリア男は大味だわとあまり重視していない男性ダンサーの一人だったのです。が、今回これをみて印象かわりました。やっぱ、この人はロイヤルのプリンシパルらしい、自分が前にでないけど、しっかりきっちっり、エレガントなラインでサポートできるダンサーなのだわと思いました。これからは、もっとちゃんとボネリのことも考えようと思いました。(考えるって何を?だけど)ガラのゲストカンパニーならば、そのカンパニーらしい演目で、カンパニーらしさをみせるって大事だと思いました。他もこのくらいやってほしかったです。

 

 

Pas de deux aus Carmen

Marcia Haydee振り付け

Natalia Berrios, Luis Ortigoza

Ballet de Santiago de Chile

 

カルメン‘といっても、あのプティやアロンソの’カルメン‘の曲とは全然ちがうのです。最初、ビゼーじゃないんだと思ったけど、一応、ビゼーの曲ではあったみたい。ここは、ゲストカンパニーですが、コンテンポラリーではないし、一応、お衣装をつけていたといえばつけていたかな。あ、でもカルメンはビスチェでなくて、スカートはいてます。そうだ、ホセはタイツだったから、バレエらしいかっこうは二人ともしていたのです。でも、だからってだめなものはだめでしょう。ホセが、あまりに甘ったるくて、カルメンは、なんだか老けてセクシーじゃなくて。題名にカルメンとつかなければ、誰もこれをカルメンと思わなかったでしょう。物語はあるっぽいのです。でも、カルメンっぽくないし、男性ダンサーがしきりにうったえる表情をするんだけど、何なんだかわからないし。2日目は、もういいやと思って、目をつむって休むことにしたのです。で、起きたらまだやってました。長い。そして、最後の最後、プティのパドドゥのパクリになってます。ハイデともあろうお方が、どうしてしまったのでしょう。遠い遠い南米からやってきたのに。

 

 

Der Sterbende Schwan(瀕死の白鳥)

Mauro dde Candia振り付け

Vladimir Malakhov

Staatsballett Berlin

 

プルグラムに2010928日ベルリン国立バレエ初演となっているのですけど、たしかこの作品、去年の5月には東京で踊りましたよね?プログラムの年がまちがっているのか、内容が違っているのか、まあいいんですけど。この作品をマラホガラで観たときは、彼のしなやかさやたおやかさが生かされていなくて、期待の曲、期待のイメージだったのにがっくりきた記憶があります。もっと、クラシックなフォーキンの振り付けをマラホ風にしたような作品になるかと思っていたのにと。今回は、どういう作品かわかっていたせいか、それはそれほど気になりませんでした。と、いうより、今回は、これもありだなというかよかったです。作品がどうというより、これは、マラホの才能ゆえではあるかと思います。わたしには、彼は、男性の“性”が足りなくて、その才能は感じつつ、心はつかまれないダンサーではあるのですけど、いつもバレエの上手さとカリスマ性はあるなと思ってはいました。それが、今回のこのガラのこのポジションにいてさらに強く感じました。これだけ、コンテだらけのガラで、こんなロングランのガラの後半も後半に、出てきてきた瞬間から、それまでの疲労感を忘れるほどに舞台にひきつけられるものを感じました。観客の心をはっとさせ、自分のいる場所に視線を集めるそのスターオーラは、それまで登場したシュツットガルトの現役の麗しい王子たちにはないものでした。この人もまた、シュツットガルトで踊りつくした魅力的な役柄とはまったく違った、進化した姿をもってここに帰ってきたのだわと思います。

 

 

Pas de deux aus Onegin

John Cranko振り付け

Sue Jin Kang, Jason Reilly

Stuttgarter Ballett

 

 

いよいよ大トリ、これこそ、シュツットガルトバレエの神髄、‘オネーギン’の登場です。ここまでの道のりはなんと長かったでしょう。シュツットガルトまで来ていながら、コンテ、コンテ、コンテに何時間も耐え、クランコの物語バレエをやっと観ることができたのです。さすが、本家です。ガラだというのに、ここだけはフルセット。3幕、嫁いだタチアナのグルーミン邸での場面。手紙のパドドゥです。さきほどまでの、ガラの空気は一変して、まるで一幕も二幕も重ねてきたよう、舞台も客席も‘オネーギン’の世界に没入します。

ジェイソンのオネーギンは、レンスキーを失ってから、ここモスクワにもどってくるまでに、激しい後悔ののち人までかわって心をいれかえたようにみえます。あんなに冷たくタチアナを足蹴にした男とおなじ人とは思えない、彼女を今思う気持ちは、どんなオネーギンよりも真実で、切なくて、ひたすらです。スージンは、どんなにまだオネーギンを思っていても、決して家庭はこわさない、夫に対する貞節を守らねばならないと耐えに耐えるタチアナです。日本でみた時、前日のアリシアが、最初から妻であるよりすぐに女にもどって、オネーギンの誘いに揺れに揺れまくる姿とはとても対象的だったのを覚えています。その耐える姿が、なんというか、同じ東洋の女性として、共感してしまうようなつつましさというか道徳心というか、悲しいけれど、人として決して超えてはならないところに必死にふみとどまる姿を感じます。ジェイソンの演じるオネーギンは、一瞬のきまぐれや、迷いからタチアナを誘っているオネーギンでないだけに(バランキのオネーギンは素敵だけど、あのままついていったら、数ヵ月後には捨てられると思いました)、その切実な情熱は、タチアナの精一杯の心を痛いくらいに揺さぶります。オネーギンの誘いに気持ちが高まりその世界におぼれかけるタチアナもいるけれど、スージンの場合は、彼が近くにくればくるほど、耐えねばならない心が痛くて、一瞬でも彼の世界に足をふみいれることはなかったと思います。最後の最後、オネーギンをふりきって、一人部屋にたたずみ号泣する姿は、その耐えに耐えた末の涙で、客席にいるわたしも、目のはしからポロどころでなく、滂沱の涙となって幕をみつめたのでした。

すばらしかったです。‘オネーギン’は、やっぱりシュツットガルトバレエのものだわと思います。何があろうとも、やっぱりこの作品ははずせません。50周年の中で、一番シュツットガルトバレエが誇れる作品ですから。そして、その作品を一番みせてくれることができるのが、シュツットガルトバレエです。最後の最後に、一番シュツットガルトバレエらしさのある作品をこのすばらしいダンサーで締めくくってくれたことを感謝します。

 

 

構成とか演目選びについては、随分かたよっているなという感じは否めませんが、こうして今一つ一つの作品の情報をプログラムで読み返してみると、振り付け家やその作品は、シュツットガルトゆかりの人々や作品が連なっていたのだなと気づきました。特にシュツットガルトバレエのダンサーが踊った演目を振付けた振り付け家はどの人もはずすわけにはいかない、シュツットガルトバレエを巣立った人やシュツットガルトバレエで創作した人々ばかりです。50年前といえば1960年代ですから、それ以降に生まれた作品をあつめると確かにこうなってしまうのかもしれません。現代作品の嵐にちょっと食傷気味ではありましたが、考えてみると、これだけの振り付け家の作品群を一夜にしてみれたことは、貴重な体験かもしれません。まして、大好きなシュツットガルトバレエのダンサーたちが踊ったわけですし。

 

正直、せっかくシュツットガルトバレエの記念ガラにきたのだから、このカンパニーがツアーで上演しているようなドラマティックバレエの数々を本場のダンサーたちの競演で見たかったのも確かです。せっかくの美男美女だちが、きれいいなお衣装に身をつつむこともなく、レオタード姿ばかりというのも残念でしたし。2夜あったのだから、一夜目と二夜目の演目をかえるとかできなかったのかな。(ダンサーやお衣装、セットは大変ですね)それがだめなら、今のプログラムに、‘椿姫’と‘ロミジュリ’だけでも加えてほしかったです。もっと、いうならばハイデ版のカラボスつきで‘眠り’も。

 

ガラのプログラムについては、思うところは、いろいろありますが、本当のところ、夢のようにあっという間で楽しいことばかりのシュツットガルトバレエ遠征でした。いつもロバートの全幕バレエをみる遠征は、その感動とともになんだかやりきれない切なさやさみしさにあふれているのですけど、今回はお祭りのせいか、シュツットガルトバレエの見目麗しい王子たちのせいか、切なさに打ち勝つ楽しさにもあふれていたように思います。こんな素敵なところに導いてくれたロバートに感謝です。ロバートが今回お里帰りしてくれなかったら、シュツットガルトバレエにくることはできなかったのですから。そして、シュツットガルトで出会った方々、ごいっしょくださった方々のご厚情にも感謝いたします。この特別な年に忘れられない思い出ができました。こんな素敵な思い出が作れたこの地にまた帰ってくることができますように。今は、ロバートが踊るところに、ロバートが踊る時にしか遠征はできませんけど、いつの日か、彼が出演しなくてもここで全幕バレエを観に帰ってきたいです。大好きです、シュツットガルトバレエ。

 

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img034  Initialen R.B.M.E / Frank Bridge Variation / Bolero シュツットガルトバレエ

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Stuttgarter Opernhaus(シュツットガルト)

 

ロバートがシュツットガルトバレエの50周年ガラに出るだろうなと思いつつ、チケット争奪戦のことやパリオペ遠征の直後ということもあり、当初は遠征を躊躇していました。ところが、ラッキーなことに昨年冬のボーナスがちょっとよかったこともあり、シュツットガルトバレエに問い合わせたらチケットがとれそうな感触。そして、その前後のプログラムがなんと魅力的なこと!50周年記念行事で、2月のシュツットガルトはものすごくたくさんバレエを上演します。お休みさえあれば、最初から最後まで1ヶ月間滞在したいくらいです。とりあえず、会社が許容してくれそうなお休みでいくと、前日のこのトリプルビルを追加するのが精一杯でした。

 

シュツットガルトバレエは、なんといっても、若き日のロバートがたくさんの作品を踊った場所ですし、2008年の来日公演以来すっかり大好きなカンパニーになっていましたので、一度は訪れてみたかったところです。これまでの遠征では、大都市のオペラハウスがメインでしたので、街中にいきなりオペラハウスがど〜んとあったのですけど、ここシュツットガルトのオペラハウスは、駅からは遠くないのに、公園の中にあり、劇場の前には湖?池かな?があり、とても落ち着いた場所です。建物自体は、ウィーンやパリのような重厚でぜいたくなものではありませんが、大きさもほどよく、2ndカテゴリーの後ろのほうでも観劇には問題ありません。 幕間には、出演したダンサーのサイン会があり、休憩中さえもお楽しみがありました。(ちなみに、この日は、マリインとエヴァンとカーチャとオサチェンコでした。)

 

今回、プログラム類は、全部ドイツ語で、あんなにインターナショナルなダンサーをそろえたカンパニーでありながら、英語表記がさっぱりなく、残念ながら、作品の解説がちっとも理解できない状況です。これを機に春からドイツ語でもお勉強したほうがよいのかもしれないと一瞬だけ思いました。

 

 

Initialen R. B.M.E

ジョンクランコ振り付け

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この作品のことは、随分前のDance Europeのバックナンバーで、97年の‘Hommage a John Cranko’のレビューの中で読んだことがありました。クランコが愛した当時のダンサー、Rはリチャードクラガン、Bは、Birgit Keil, Mは、マリシアハイデ、Eは、エゴンマドセンへの愛と友情をこめて作った作品だそうです。わたしが読んだ記事の時は、ロバートがR、マーガレットイルマンがBYseult LendvaiM, そしてマラホがEを踊っていました。シュツットガルトバレエ以外で上演されることはないだろうし、来日公演ではこの系統はみれないので、今回ガラの前日にこのプログラムがあると知ったときは、是非みたかった作品でした。

 

お衣装はユルゲンローゼだそうですが、基本は男性はユニタード、女性はレオタードです。ユルゲンローゼらしい淡い色使いにお花かな?なんか模様がはいっています。このお衣装をみて、コンテンポラリーかしらと思ったら、振り付けは、基本クラシックでした。カテゴリーでいくと、アブストラクトバレエというのでしょうか、物語はありません。感じとしては、昨年夏にみたマクミランの‘コンチェルト’をみたときのようでした。奇抜なコンテでなく、ドラマティックな物語バレエでなく、ダンサーの表現力とテクニックがみえる作品であったと思います。

 

イニシャルごとに別々にダンサーが登場するのかと思っていましたら、そのイニシャルのパートを主に踊るは、そのメインのダンサーなのですけど、どのパートでもつなぎのところ等に、他のイニシャルのメインのダンサーが頻繁に登場します。なので、初っ端から、今回のRはバランキ、Bはアリシア、Mはスージン、Eはザイツェフなのねとわかりました。

 

まず、Rはバランキ君です〜。嬉しい!実をいうと、今回、思った以上に、いや死ぬほど、現代作品ばっかりみせられましたので、この作品も細かいところは覚えていません。なので、残っている印象からしますと、久しぶりに彼の風をきるような、颯爽とした回転やジャンプをみて、う〜んバランキ君だわと思ったので、そういう作品だったのでしょう。(と、すごいいい加減)この方は、舞台にたつと、とてもハンサムに見えますし、あのとおり長身ですっとしており、これだけで、今回シュツットガルトに来てよかったと思いました。この上、翌日はロバートも観れるなんて、ぜいたくがすぎると初日から自分をいましめていました。

 

Bは、アリシアです。最初のRもなかなか満喫したのですけど、ここで、わたしは今回の遠征の大収穫のひとつに遭遇したのです。アリシアの相手役のエヴァンマッキーです。彼は、2008年の来日公演の前からYou Tubeで‘椿姫’のデグリューを踊る姿に、絶対いいに違いないと思っていたのに来日公演ではほとんどメインな役を踊っておらずしっかりと彼のバレエをみたことがなかったのです。このお衣装でなく、白いタイツのプリンス姿で踊ってほしいようなエレガントでノーブルな動きをする人です。そして、この表情のつくりかた。ツボです。何ゆえに、ここまでツボなのかしらと思ったら、彼のバレエって、ロバートみたいなのです。今まで、数々の美しい男性ダンサーをみたけれど、バレエそのものが、ロバートの時ほどに心ときめくラインを描いたのはエヴァンだけだと思います。アリシアもプリンシパルの中では別格の動きのよさなので、この二人のパドドゥは見ごたえがあり、大変に美しかったです。バランキ君の記憶がふきとばされたのはこのためであったのでした。

 

これだけ盛り上がったBでありながら、さらに輪をかけてすばらしかったのが、Mでした。これは、ハイデに捧げているだけあって、アブストラクトバレエながら、なんともいえない情感のある振り付けでした。日本では、それほど大きく扱われないスージンですが、彼女はやはりここのナンバーワンプリマなのだと思いました。そのお相手は、ジェイソンです。この二人は、イリが去った今、‘オネーギン’のファーストキャストですから、みせてくれます。物語はないのに、何か心をきゅんとつかまれるようなスージンのしなやかな動きに、終わったときには、ひとつの物語が完結したかのようでした。

 

残念ながら、Eは全然覚えていません。やっぱり、当日レビューは書かないとだめですね。レビューに残さないと永遠に記憶からも消えてしまいますし。こまったものですが、今となってはどうしようもありません。ホテルのネットがうまくつながらなくて、夜中で英語のサポートセンターに電話したりしていたもので、すっかり挫折してレビューをさぼったつけです。

 

 

Frank Bridge Variations

ハンスヴァンマーネン振り付け

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(ところが、このキャストは正しくなく、Sue Jinのパートは、多分Hyo-Jung Kangではないかと思います。)

 

ヴァンマーネンの作品をみるのは初めてです。 こちらは、ばりばりのコンテンポラリーです。お衣装はユニタードのパターンが模様入りとなしと2パターンあって、男女のペアになっています。アンサンブルの3組も模様入り2種と模様なし1種類がありました。実をいうと、ガラでもヴァンマーネンの作品をみて、そちらが諸事情あって強烈な印象を残したので、これも今となってはうすれてしまいました。記憶に残っていることを書くと、わたしが男性ダンサーにばかり目がいくということをおいといても、男女の実力差を感じる仕上がりでした。ジェイソンレイリーのバレエの上手さは日本でもよく知らせていますので、彼がこのくらいのパフォーマンスをみせるであろうことは十分に予想の範囲でした。驚きなのは、ジェイソンと並んでも遜色なく、マリインがしっかりとしたパフォーマンスをみせていたことです。彼の成長ぶりは、昨年のマラホガラの時に確認してはいましたけれど、さらに進化しているようです。お顔の様子からは、まだまだたよりないプリンスにみえますけれど、シュツットガルトのプリンシパル、それももはや中核をなす存在となったことを認識しました。ヴァンマーネンは、彼の祖国の振り付け家でもありますので、この作品をこのように踊りこなすというのは格別でしょう。コンテンポラリーというと、どうしてもアリシアの上手さがきざまれているせいか、カーチャもHyo-Jungも平凡でした。コンテンポラリーは下手はいうまでもないですが、平凡だともはや負けなのよね。

 

 

Bolero

モーイスベジャール振り付け

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まだシーズン最初で、誰がこの作品を踊るかわからないとき、ジェイソンとアリシアが最初に浮かんだのですけど(希望的にはバランキも)、今シーズンは、フォーゲル、マリイン、アリシアがキャスティングされているそうです。1月に初演されてから、ずっとフォーゲルだったので、そろそろマリインにあたらないかなと思っていましてけど、やっぱりフォーゲルでした。フォーゲル君は、東京バレエでも、ここシュツットガルトバレエでも大事にされているらしいです。

 

日本では、ベジャールは人気ですから、コアなファンが多いですよね。そういう人々にとっては、誰が‘ボレロ’をどんな風に踊るかということには、ひとかたならぬこだわりがあることでしょう。わたしは、どちらかというと‘ボレロ’以外のベジャール作品は苦手ですし、映像では、ジョルジュドンよりパトリックデュポンの踊ったほうが好きだったし、それほどのこだわりはありません。しかし、まあ、難をいうと、昨年の夏、ニコラの‘ボレロ’を生でみちゃっていますので、ある程度、覚悟の上で今回のことにはのぞんではいたのでした。

 

それでですね〜、一言でいうと、これは、シュツットガルト仕様の男の子たちのコンテンポラリーダンスの一つだわということです。語弊があるといけませんが、ベジャールバレエの方々の‘ボレロ’こそ、ボレロ、またはニコラの‘ボレロ’こそボレロと思っていると絶対にこれは受け入れられないだろうと思います。わたしは、やはりニコラの印象が強いので彼のみせた印象をデフォルトで話ますと、エネルギーの方向や発散のさせかたがまるで違います。最初の出だしのゆっくりした動きの時は、ちょっと神経質だわと思いましたけれど、音楽がだんだんたかまると、その神経質さは影をひそめます。ニコラの内に秘めた莫大なエネルギーを極限まで制御して、最後の最後まで一つの大きな爆発さえもない、ある意味ストイックなまでの芸術性の深みを思うとき、ここシュツットガルトのボレロは、あまりに外向きなのです。若いのです。若者が、何を恐れることなく、その性をエネルギーを外へ外へと発散させても、新しい若い力が次々生まれてきて、そこに留まってはいられないとでもいうような。そのエネルギーは、外に出ても死なないのです。まわりのリズムに吸収されて、メロディーの周辺から、もっとその力が強くなってしまうような。だから、考えてなんかいられない、今ここにあるものを外へ外へと逃がしていかなくては。まるで、生き急ぐロミオが踊っているような‘ボレロ’でした。

 

東京でニコラのをみた時は、リズムの存在はないも同然でしたけれど、ここシュツットガルトの男の子たちがフォーゲル君の周辺をかこんで、ロミオを盛り立てているさまはなかなかよいものでした。メロディーが突出していなくて、リズムとメロディーの動きが融合でして、一つの作品となっていました。これが、ベジャールの‘ボレロ’と知らなければ、昨年、ニコラの神々しいまでのパフォーマンスを見ていなかったら、もっと興奮したかもしれません。男の子たちのコンテンポラリーの一つと思えば、お楽しみだと思います。わたしは、いいんです、これでも。でも、絶対にまちがっても、東京で踊ってはいけません。彼は多くを敵にまわし、失うものは大きいと思う。彼が踊っていることが悪いのではないと思いますけど。こういう踊られ方、継承をされてきた作品でなければよかったのにね。実際、ここシュツットガルトの地元の人々には大絶賛でした。スタンディングオベーションでした。でも、わたしは立てなかったです。最前列で、日本人がここで立って、彼の将来をこわしてはいけないと思ったから。悪くはないのですよ、ダンスとしては。でも、いろいろあるのよね。ゲッケを踊るノリで、ベジャールは踊っては受け入れない場所もあるんです。

 

 

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img034  チャイコフスキー ベルリン国立バレエ

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東京文化会館(東京)

チャイコフスキー:ウラジーミル・マラーホフ 分身/ドロッセルマイヤー:ヴィスラウ・デュデク
フォン・メック夫人:ベアトリス・クノップ チャイコフスキーの妻:ナディア・サイダコワ
王子(若者/ジョーカー):ディヌ・タマズラカル 少女:ヤーナ・サレンコ

 

ベルリン国立バレエ‘チャイコフスキー’2日目です。こういうのを2日見ますと、やっぱりキャスト違いは大事だねと思います。昨日は、どちらかというと、マラホの独り舞台という感じで、ダンサー的にはとにかくマラホ一人が光って、マラホあっての作品という印象でしたけど、本日は、脇のキャストが実にしっかり骨格を形成し、一つのカンパニー作品としてきちんとした一品に仕上がっていたと思います。どっちかしかみれないなら、断然、本日が観るべきキャストの日であったなと思いました。

 

昨日、最初ということもあり、展開の早さと舞台というか物語構成についていけてない部分が多々あり、お友達が‘DANZA’の解説がよくわかるよと教えてくれたので、昨夜帰ってから‘DANZA’の電子ページを開いてみました。

http://www.mde.co.jp/danza/book/031/#page=44

これを観ますと、たしかに幻想や妄想や想像で登場していたようなイメージを見逃さずに、またどの作品につながっているかがよくわかります。こんなに随所にひっきりなしに、含みや秘めた内容がつまっていますと、わかりにくかったわけです。まあ、その分、大まかにでもその構成を頭にいれてみますと、物語がすんなりとはいってきて、今日は昨日感じた単調さのようなものは感じませんでした。

 

しかし、その大きな要因は、そんなところにあったのではなかったのです!今日と昨日の大きな違い、それは、分身役のダンサーです。中村祥子さんのだんなさんのデュデックです。この人、Kバレエのデマチのとき、祥子さんを迎えに来てなんてかっこいい人なんだと思い、You Tubeで踊りをみるとぱっとしなくて、夏のローザンヌガラでみた時は、たしかに見た目すごいかっこよく、舞台の立ち姿も美しいけど、ダンスは祥子さんに完全に負けているわ〜と、それほどには期待していなかったのです。容姿に恵まれているというのは、ダンサーにとっては、非常に大きなメリットなのだわとやはり登場の瞬間から思いました。デュデックって、バレエのテクニックは多分それほどではないと思うのですね。ひとつひとつの動きは荒いと思います。でも、その存在感と表現力は見直しました。分身って、こんなにも物語の骨格をなす役どころだったのだわと、昨日、全然気にもとめなかったシーンの大切さを随所に感じました。チャイコフスキーの隠れた欲望とか、理想とか、苦悩とかをしっかりと観客に伝えていくのが、分身の大事な役割だったのですね。昨日は、分身がいるなくらいにしかとらえていなかったように思います。ところが、今日は、デュデックの容姿のよさもあるのですけど、分身から目が離せません。分身が苦悩し、痛みを感じるたびに気持ちが分身にかたいれしていくのです。昨日は、舞台上の誰にもそういう感情移入みたいなことはありませんでした。チャイコフスキーの苦痛は、今日は、マラホでなく、分身であるデュデックにひしひしと感じました。そして、それがマラホ、チャイコフスキー自身にも投影されて、一つになり、チャイコフスキーの人生の哀しさが、この二人がオーバーラップすることにより、深い闇と複雑な人間の感情をみせていました。分身と本人が舞台上に別々に存在し、別々の表現をしつつ、一つの人格を形成しているさまが見事に表現されていたと思います。これができてこそ、分身が存在する意味があるというものです。デュデックは、きっと古典のプリンスや、テクニック系のコンテではぱっとしないかもしれないけれど、内面の表現力を要求されるような役では、きっと素敵になれるダンサーなのだと思います。分身は、はまり役です。それにしても、かっこいいよね〜、見た目。祥子さん、うらやましすぎます〜。デュデック、‘オネーギン’で観てみたいです。そうだ、祥子さんがタチアナっていうのもいいかも。祥子さんは、コンテをよく踊っていますけど、今度は、ネオクラシックのドラマティックな作品で、二人のパフォーマンスを見てみたいです。

 

本日、デュデックの次に光っていたのが、少女役のヤーナサレンコです。この人は、古典系のバレリーナですね。うまいよね。特にお姫様系、今回のような少女の役はお見事です。少女役っていうのは、ほんの一瞬にしか登場しないのです。王子役のダンサーが、王子でなく、素の男の子ダンサーの時の相手です。この素の男の子というのが、多分チャイコフスキーの理想というか、彼が恋愛の対象となるようなタイプではないかと思われます。分身は、男の子を追いかけるのですけど、男の子は、少女を追いかけ、分身の腕をするりとかわして、逃げていきます。三角関係っぽく、追いかけても追いかけても、男の子に分身の心は届きません。昨日は、このシーン、そういう切ない感情のところだと全然きづきませんでした。女の子もただの相手役くらいにしか重みを感じていませんでした。が、本日のヤーナサレンコの少女の可憐さと儚さは、分身がどんなに思いをつのらせても、男の子を動かせないような強い魅力にうつります。そうか、そういうシーンだったのね〜と見ごたえありました。

 

昨日と同じキャストながら、本日気づいてよかったのが、2幕のチャイコフスキーと奥さんのパドドゥです。奥さんが、欲望にまかせて娼婦のように男たちに抱かれながら、チャイコフスキーともまた情事をかわすシーンです。パドドゥで見所はなかったと昨日は思ってましたけど、このシーンはなかなかおもしろい振り付けでした。が、なにゆえに昨日見過ごしていたかというと、このシーンだけは、マラホがいけないんだと思います。チャイコフスキーはゲイとはいえ、男性でしょう。ここは、男、男したところをみせてくれないと、そういうシーンだって気づきません。そうだわ、マラホ以外のもっと男っぽいダンサーでみたいと思ったのは、こういうもの足りなさなのです。もうちょっと、男になってほしかったです。いいダンサーなのにね、マラホ。男‘性’がみえにくいっていうのは、あまりに惜しい。この作品において、それを一瞬でいいからみせてほしかったです。お相手のサイダコワは、昨日に引き続き大熱演でした。昨日よりも、もっと悲しくて、やっぱりわたしは、この奥さんは悪くないと思います。かわいそうすぎます。チャイコフスキーよりももっと。

 

フォンメック夫人は、よおく考えると、いったい何なんだかわかりにくい設定です。チャイコフスキーの理解者でパトロンというのはわかっているのだけれど、二人の精神的なつながりは、じゃあ、何だったのだろうと思うとよくわかりません。よって、カブレラがよかったとか、クノッブがよかったとか、よくわからないのです。クノッブのほうが影があり、踊りには哀愁がありました。わかりやすいキャラの部分、カラボスとかスペードの女王は、カブレラの表現のほうがより明確で大胆でよかったかなと思います。この役は、重要なのでしょうけど、わかりづらい。誰かほかの人がやると違うのかな?なぞです。

 

王子は、残念ながら本日もタマズラカルでしたけど、昨日よりはよかったです。丁寧に踊っていたように思えました。また、少女役のヤーナサレンコの上手さにささえられ、男の子役のときは、昨日よりいきいきしていたようです。しかしながら、デマチで、マリアンヴァルターをみかけましたところ、やはり彼でみたかったわという気持ちがまた再現してきました。お顔もヴァルターって、かわいいんです。それに、見た目、それこそ王子キャラ。この王子で、サレンコの少女ならさぞ、分身の苦悩も深かっただろうなと思います。ところで、サレンコ、次回のバレフェスは、ナショナルバレエオブカナダの人でなく、だんなさんのヴァルターときてほしいものです。二人で、‘くるみ割り人形’とか踊るとかわいいと思います。

 

本日も群舞は充実でした。昨日、プログラムとかを読みながら、黒鳥なんて出てきたっけ?と、思ってみてみますと、そうか、あのルジマトフ軍団がそうだったのだと気づきました。黒鳥役って、男のダンサーが、髪をルジマトフみたいにして、黒い皮のパンツにタンクトップみたいなかっこうなのです。なぜか、わたしには、ルジマトフがいっぱいいるみたいな気がしてしょうがなく、黒鳥だとは思っていなかったのです。で、黒鳥とわかってみますと、白鳥といりまじって、善と悪の葛藤のように踊る群舞もみごたえがありすばらしかったです。

 

本日のパフォーマンスは、実にすばらしく、‘チャイコフスキー’という作品のよさがでていたと思います。この作品をレパートリーとするならば、ベルリン国立バレエ、マラホ以外にチャイコフスキーを演じられるダンサーと、デュデクのようにすてきな分身をもう一人育てていかなければいけないでしょう。これからに期待します。

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img034  チャイコフスキー ベルリン国立バレエ

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東京文化会館(東京)

チャイコフスキー:ウラジーミル・マラーホフ 分身/ドロッセルマイヤー:イブラヒム・ウェーナル
フォン・メック夫人:エリサ・カリッロ・カブレラ チャイコフスキーの妻:ナディア・サイダコワ
王子(若者/ジョーカー):ディヌ・タマズラカル 少女:セブネム・ギュルゼッカー

 

2011年バレエ初めは、ベルリン国立バレエ‘チャイコフスキー’です。当初は、‘シンデレラ’とガラのチケットも買っており行く気満々だったのですが、パリから帰って風邪がこじれにこじれ、よくなっては悪化するというのを繰り返してしまい、最初の2公演は泣く泣くお友達にチケットを差し上げて行ってもらったのです。で、‘チャイコフスキー’は、もともと2回は観たいと思いつつ、セカンドキャストの日はチケットが余るに違いないとふんで、すぐチケのエコノミー席まで待って今週月曜日にチケットを購入したのでした。こういう見ごたえのある作品をすぐチケのエコノミー席で見れるなんてすばらしいことですが、それだけ観てない人が多いと思うと複雑です。日本にいながら、こういう作品を全幕でみるチャンスがあるというのは、大変に幸運なことだと思いました。

ボリスエイフマンの名前は、ロバートがNYCBの時に、バランシンをモデルにした‘Musaget’を振付けた人ということで知ってはいましたが、作品をみたのは初めてです。お友達が’アンナカレーニナ‘がすごくよかったといってましたし、プロモ映像もかなりそそられました。

 

チャイコフスキーといえば、その作品はあまりに有名ですけれど、彼の生涯のことはあまり知られていないかと思います。わたしも全然どういう生涯かは知らずにみたせいもありますし、物語が幻想と現実がいりまじっていることもあり、1回ではわかりにくい作品かと思いました。事前にストーリーは読んではいましたけれど、人間関係とかは、すぐには頭にはいりにくいなと思いながら読みましたし。とてもドラマティックな内容ではあるのですけど、いわゆるナラティヴな作品とはちょっと違うのですね。あと、音楽の使い方が、ず〜とテンション高いままということもあり、かえって途中単調だなと思えるところもあったりします。実際は、とても緊張感にみちており、息をぬく暇がないような展開ではあるのですけど。チャイコフスキーの音楽ですから、どれも美しく耳には心地よいのですけど、まずストーリーがあって、あった音楽を切り貼りしながら、一つの作品にまとめたような音楽使いでなく、ある区切りまでは、多分編集なしで、そのまま使っているような、振り付けや展開のために音楽をいじってないような印象を受けました。そこが、単調という印象をあたえた要因かと思います。これは、エイフマンの舞台構成や振り付けからして、決してマイナスなことではないのですけど、今日、ドラマティックだけど、ナラティブでない音楽使いという点でこれまでのドラマティックな作品との大きな違いを感じました。

 

この作品でまず、一番よかったなと思ったのが群舞の振り付けです。どれもこれも、すごくかっこいいのです。そのかわり、作品のせいもあるかと思いますけど、美しいパドドゥのようなものはないのですけどね。わりとメインの人々のソロの振り付けは、けっこうアクロバティックなところもあるし、ラインや流れはきれいなのですけど、物語を語るようなせりふのような感じはないのです。そういう場合は、通常つまんない振り付けということが多いのですけど、ソロやデュオの見せ場がなくとも、次々に展開される群舞がみせるのですよ。特にすばらしかったのが、2幕の‘スペードの女王’の場面。大きな机を中心に男性ダンサーが賭博の客になったり、カードそのものになったり、音楽のもつ危うさと妖しさと融合して、見ごたえのあるシーンでした。その他の幻想のカラボスの場面もよかったし、白鳥たちの群舞もよかったです。白鳥たちは、そこだけクラシックな世界で、この現代的な振り付けの中で、異色ながら違和感なく物語にとけこんでいました。

 

本日のキャストは、だいたいストーリーをうまく把握していないので、その役作り的なところは、言いにくいのですけど、カブレラとサイダコワがよかったと思いました。どちらも踊りの表現力というか、バレエのラインにその人物像をのせて踊っているなと思います。カブレラは、よくガラでカニスキンとコンテンポラリーを見ましたけれど、‘アレクサンダー大王’の時のセクシーさといい、ドラマティックな表現をする役にあっているのかもしれません。とてものびのびとやわらかいラインで踊る人です。サイダコワは、最初すご〜く美しいご婦人なのです。なのに、チャイコフスキーとの夫婦生活の破綻とともに、まるで娼婦のように最後は悪魔のようにな容姿になってしまいます。彼女は加害者のように描かれていますけれど、サイダコワが演じると彼女にも同情を禁じえない哀れを感じました。両方ともまだすごくメジャーではありませんけれど、他の物語のしっかりある作品でみてみたいなと思いました。

 

残念だったのが、王子。だいたい、今日って、マリアンヴァルターの予定だったでしょう。今日いった目的のひとつは、違う王子もみるだったのに〜。タマズラカルって、王子じゃないんですよね〜。たしかに、ブルノンヴィルとか踊ったらうまいけど、所詮は技巧小僧の域をぬけていないのですよ。まあ、1日くらいならタマズラカルでも許すけど、明日もだといやです。王子の気品とかないのは、まだしょうがないけど、バレエそのものがノーブルではないのです。この王子は、単なる古典の王子でなく、チャイコフスキーの理想の部分を表しているわけなので、もっと説得力のある王子キャラの子を選んでほしかったです。ヴァルターがだめなら、カニスキンとか。奥さんのカブレラも出ていることだし。そういうわけで、王子に見ごたえなしの本日でした。

 

もうひとつ、だめだったのが、分身。1幕みながら、作品の展開や振り付けのわりに、なんかぱっとしないわ〜と思いながらみていたのです。幕間に木曜日にみたお友達がいうには、今日の人は、全然踊れてなくて、分身以下で、全然マラホと対等の関係になってないとのことです。なるほど〜。そういえば、この分身が、全然魅力的ではありません。プロモ映像の時は、インパクトありましたのにね。この役は、大事です。チャイコフスキーの内面の暗い部分をみせるチャイコフスキー自身でもあるわけですものね。まったく別物にみえたらまずいですよ。本日のダンサーの方は、ダンステクニックも表現力もこの役をやるには未熟すぎたのでしょう。いい役だけど、難しい役ですから。あしたのデュデック、容姿は期待できるけど、この点はどうでしょう。期待してよいのだろうか。

 

そして、マラホ。すばらしかったです。今までみたマラホの中で一番ダンサーとして、パフォーマーとしてよかったです。この人は、バレエが本当に上手。今までみた作品で何がいけなかったかというと、自分中心のナルシスト的な役作りと濃すぎる表現、それでいて男性なのに男性ダンサーのパフォーマンスをみた感じがしないものたりなさ。そういう自己中心的なところをすっかり封印して、きちんと役作りをしており、こういうインパクトのある表現力の必要な作品をバレエテクニックがすぐれたダンサーが踊るとこうなるというのをみせつられたようなできばえであったと思います。やればできるじゃん、マラホと思いました。アルブレヒトでもマラホ、瀕死の白鳥でもマラホっていうのは、あれしかできないんだわ、この人はって思ってましたけど、違うんですね〜。これは、彼の代表作といってもよいかと思います。っていうか、古典の甘ったるいナルシストでない、この作品こそ、彼の代表作にあげてほしいとさえ思います。

 

しかしながら、この役を別のダンサーで見てみたいと思ったのも事実です。今のベルリン国立バレエで、セカンドッキャストになれるダンサーがいないのが残念ですが。マラホは、あまりにこの役に似つかわしく、最初から最後まで痛々しいほどに、哀れなのです。これは、これで一つの表現、解釈でよかったとは思うけれど、もう少し、男っぽいダンサーで比較できたなら、見ごたえのあるツアーになったのにと思います。これは、演じるダンサーの解釈によって、きっと別の面をみせてくれる作品であると思うのです。チャイコフスキーは、明日もまた、マラホですけど、分身はかわりますし、作品そのものはより深く楽しめると思いますので、楽しみです。

 

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